ソードバスター 第一章




第五話

「リッカちゃん、リッカ、リッカ・フレイア、もういいだろ? もう十分感じたんだから、離せ! さっさと離してくれ!」
 このおぞましい締め付けが始まってから十分も立っただろうか。ソードの発する声はもはや嘆願の色彩だ。
 命令形が懇願形へと変わっている。
「だああー、誰でもいいから助けてくれ!」
(気を失いっぱなしの馬鹿女め、これ以上我慢できないんだ、俺様は。殺すぞ? リッカちゃんの腹掻っ捌いてセカンドを引き抜いたっていいけど、女は絶対に殺さない主義だから、できればそれは避けたい・・・ けどなぁ、もう我慢の限界は過ぎてるんだ!)
「リッカ・フラウア! 死にたくないなら眼を開けろ!」
 ガクガクと揺する。一方、リッカはと言えば、快楽の狭間を漂い続けていた。
 決してソードの声が聞こえていないわけじゃないけれど、答えるのも煩わしい。
 体全体が、心までもが満ち足りていて、一言で言うと幸せな気持ちのまま、夢うつつのままソードの声を聞いていた。
 それでも、時間とともに快楽の波が収まっていって、遠くから聞こえる男の声が鮮明になってくる。
(起きろ、うごけ、こら、しっかりしろ)
 そんな声だったのが、
(殺す、ほんとに殺すぞ、頼む、うがああ)
 に変わってくる。
(ああ、なんだか気持ちいいけど、そろそろ起きようかな? でもまだ起きたくないなぁ・・・ これって、せっくすのせいで気持ちいいんだよねぇ・・・ 変なの・・・ いいや、うるさいし、そろそろおきるとしますか・・・)
 次第に現実に向かう意識とともにリッカが眼を開こうとしたとき、ソードの背後にはバルタン兵が迫り、リッカの腹の上にはソードの握った剣が迫っていた。
  ・・・・・・・・・
(駄目だ、こんなことで可愛い女を殺せやしない。俺様は紳士でかっこいいんだ。こ、この程度のピンチは秒殺できるはずだぞ。血迷っただけだっ、腹を切って取り出すなんてかんがえてなんかいないぞ)
 激痛に耐えながらも剣を後ろに放り投げたソード。
 このまま剣を手にしていたら本当に突き刺してしまいそうだったので、ただ後ろに投げただけ。
 本来なら剣が地面に落ちる音がするはずなのに、
「ぐはっ」
 耳に入ってきたのは野太い悲鳴だった。
(なにっ、後ろに誰かいる?)
 振り向くソード。そこには・・・バルタンの兵士が幾重にも重なっていて、正面には右手を押さえてうずくまる巨漢。
 無闇に大きなマントを羽織り、左手で他の兵士が駆け寄ろうとするのを製しているかのよう。
「バルタン人? まだこの町にいやがったのか! チイッ、よ、よりによってこんなときに来るか?」
「うう、ん、うう」
「リッカちゃん? おい、気付いたか? 起きろ、さっさと起きろ!」
「ううう」
 体に揺さぶりを感じ、重たい瞼を持ち上げるリッカ。最初に移ったのは汗にまみれたソードの顔だった。
 この数日、見上げればいつも、そこにこの顔があった。
 それはそのはずで、ソードがリッカをお姫様抱っこで運んでいるか、馬乗りになっているかの二つに一つだったのだから。
 本来憎しみの対象であるべき男の顔、けれど自分でも分からないうちに妙な安心感を覚えてしまう。
(ああ、私生きてるんだ? 死んだのかと思っちゃったよ)
 ふっ
 体の力が抜けていく。夢うつつの中でもどこかに力が入っていたのに、其の力まで抜けていくような。
 一方、リッカの上ではソードが確かな変化を実感していた。
(お? お? おお! 来た、来たぜ! 抜ける、抜けるぞ)
 明らかに弱まった締め付け。
 もちろん締め付けがなくなったわけではないけれど、先程までの万力のような圧力は、少なくとも消えていた。
(こいつさえ抜けばこっちのもんだぞ。後ろにバルタンの糞野郎共がいるが、丁度いいぜ、ぶっ飛ばしてやる)
「うおおお! どうだ、抜けるときは抜けるのだ、わははは」
 しっかりと腰を抑え、一気に自分の腰を下げたとき、するり。
 目の前には先端だけくびれたようになってしまったセカンドソードがぶら下がっていた。
(それにしてもこんなに痛かったのは生まれて初めてだ。大丈夫かよ、ウオ、形まで変わってるじゃないか、俺様の芸術品が・・・)
 悲嘆にくれる暇もない、抜けた感動を味わう暇もない。さっきの巨漢が距離を詰めてくる。
 手にはいかにも重そうな長刀、しかし軽々と片手で持ち上げて走ってくる。ソードはといえば素手。
 ついさっき後ろに投げ捨ててしまった剣が悔やまれる。
 もっとも、投げていなかったら敵の接近にきづきもしなかっただろうけれど。
 ずさっ
 裸のまま左へと身を翻し、ソードは廃屋の影に身を隠した。
(・・・助かったぜ。もし後数秒間俺様の芸術品が締められてたら、俺様も息子も駄目になってたぞ?)
 改めて先刻の状況を思うと心臓が大きな音を立てる。自分の背後に忍び寄る影なんか気にもしていなかったわけだ。
(さすがは俺様だ。どんなピンチもへっちゃらだからな!)
痛む股間を意識しながらも、ソードは心の中で快哉を叫んだ。
けれども、それはそれとして、何か武器になりそうなものを持たないといけない。
(それにしてもだ。何でバルタンの連中はこうも間が悪いんだ。どうせ殺されるんだから、もっとちゃんとしたときに殺されるべきだ。よりによって俺様が裸でヘルプな時に襲ってくるなんて、卑怯にもほどがある)
 そんなことを考えながら視線を右に左にすばやく窺う。
 正面にはマント男、そして自分を囲むように兵士たちが環を作っていた。背後は壁。
 さっきはある意味絶体絶命のピンチだったけれど、今だってピンチには代わりがないのだ。
(この家に入って、屋根にでも上って逃げるか? 逃げる方が賢いか)
 視線だけはマント男を見据えながらも、手は何か武器にできるものを探す。
 マント男はじりじりと近づいてくる。男の側には・・・倒れている裸の人影。
 そうだ、リッカちゃんのことを忘れていた、とソードが気をとられたとき、
 ぐおっ
 マントを翻しながら男が殺到する。
 影に入っているソードの隙を捉えた洞察力といい、突進の速度といい、相当に腕の立つ男だ。
「とおお」
「くそっ」
 すかさず左に跳び、一般兵の環と触れる直前で方向転換、さっきまで鋳たのと反対側の廃屋に背をつける。
 二度の跳躍。そして、先程とは違う壁に背をつけながら、ソードは武器の代わりを手にしていた。
 それは看板吊の鉄棒、炎のせいで看板部分がなくなった吊棒。
 月光が反射して、チラと光るのを確認し、これを目当てに飛び込んだのだ。しっかりと握り、数回振ってみる、丁度いい軽さ。
(これで戦えることは戦える。逃げるのもいいが、どうせならあいつだけでもぶっとばしてやるか)
 そう決めたとき、マント男が口を開いた。図太い声。
「少年、貴様年端も行かぬと見下して追ったが、中々の腕ではないか。エルマの者か? 名はなんと言う」
「あーん? 人を後ろから襲っておいて、いまさらなんだ。はっきり言って、俺様は今機嫌が悪い。本来ならお前のようなむさくるしい男は相手にしないが、特別だ、ぶっ飛ばしてやるから掛かって来い」
「ほほう、先程の敏捷さといい、裸で相対峙しての豪胆さ・・・ ウム、これはきちんと試合わずばなるまいて」
「なにをぶつぶつ言ってるんだ。糞バルタンが、エルマ人が怖いのか? こないのならこっちから行くぜ!」
「あいやまたれい、世に嬉しきは強き男に巡りあったる、男同士の戦いよ! せっかくの嬉しき夜をこのような形で迎えるのは心苦しい。思えばその方は鉄棒、こちらは名刀ササニシキ。それがうえにも多勢に無勢。かかるかかるに女連れを相手にしたとあっては我輩としても心苦しい」
「?? 意味が分からないぞ」
 マント男はいつの間にか長刀を地面に放り出し、芝居ががった風に両手を挙げて、なにやら唱えている。
 その巨体からは、先程まで噴出していた殺気が嘘のように消えている。
「かような場所では貴殿も戦いづらかろう? 拙者も、どうせならばもっと広い場所がよい。どうかな、時計台の前にこころもち円形をとった広場があってな。そちらにて真剣勝負としゃれ込もうではないか。いや、よいよい、案じめされるな! こちらは不意打ちなどと毛頭考えてはおらん。先刻は先刻、貴殿を戦場で強姦に及ぶふとどきものと勘違いしての拙者の妄動。男と認めた人間に、礼の心は忘れますまいて」
「要するに場所を変えたいのか??」
 少し気の抜けた声でソードは尋ねた。マント男の言葉は聞いていてちっとも理解できない。
「左様、まったくその通り。拙者としては、貴殿のような勇者と対峙するに、かような形式では残念至極。互いに名乗りあった上で、何の遺恨もなく戦いたいと思っている次第。もっとも貴殿がエルマ人でなければ死合でなく、試合を執り行いたいところではあるが、ミヤの中にいる男はバルタン以外全て殺せとの仰せでな、こればかりはどうしようもない。ともかくだ、もっときちんとした形、そう、一騎打ちの形をとろうではないか。そのほうが死に際に悔い少なかろうというもの」
「なんだと? まるで俺様がこれから死ぬみたいな口ぶりじゃないか」
「はっはっは、イヤイヤ失敬。つい本音がな、いや忘れてくだされい」
「本音だと、ふざけるのもいい加減にしろ。たとえお前が十人でかかってきても、俺様の敵じゃないぞ」
「クックック、若い、若いですなぁ! その覇気やよし、若者はそうでなくてはなりませなんだが・・・相手の力すら見抜けないとは、若さとは扱いにくい宝物よのう。その覇気は無知なるがゆえのものなのですかな?」
「・・・貴様、後悔するぜ・・・ いいだろう、一騎打ち? 上等だ」
 次第に相手に乗せられてゆくソード。無知だ、若いといった言葉以上に、マント男の余裕な態度が神経を逆撫でる。
(一騎打ちなんかどうでもいいが、この男は不愉快だ。殺す。そうだ、不意打ちで殺してやるか)
 ついさっき、一騎打ちを受けてたったことをころりと忘れ、いかにして楽に、小気味よく殺すかを考えているソード。
 この数時間、いろいろなことがあって、本来の自分を見失いそうにもなったが、いつの間にか彼らしい思考を取り戻している。
(マント男は俺様と一騎打ちするつもりで油断しているはずだ・・・ よし決めた。あいつの背中にこっそりまわりこんで、有無を言わさず殴りかかって一発だ。決定だ。それで、あいつをぶっ殺してから裏道を通って逃げ出そう。糞バルタンは潰してやるが、さすがにひとりじゃ無理だからな・・・ サンドラにでもいくか)
 思考がまとまりかけたとき、マント男が踝を返すとさっと手を振った。
 広場に向かう道に広がっていた兵士達が道の脇へと移動してゆく。
「さぁ、ついて来られい。案内仕りましょうぞ」
 男は先に立って歩き出す。
 先頭におけるタブー、それは敵に背後を見せること、男はいま一番大きなタブーを平然と破っているわけだ。
 さらに、この状況はソードのシミュレーションと完全にかぶっていた。すなわち、
「隙あり、先手必勝ぉ」
「うぬう?」
「吹き飛べ、クソジジイ!」
 どがぁん。
 男の後頭部に鉄棒が炸裂する。半ば振り向いた姿勢のまま男の巨体が宙を舞う。
 そして、道の脇へかたまった兵士の列に突っ込んでいった。
 会心の手ごたえ、両手で握った鉄棒が十五度ほど曲がっている。決まった。
「フフン、思い知ったか愚か者が。ソード様に生意気な口を利いた報いだ。残念だったな、一騎打ちができなくて」
(ふう、すっきりしたぞ。こうなったらもうここに用はない。セオラさん達もいないし、味方だっていない。いるのはむさくるしい馬鹿ばっかりだ。それにこの調子だと、バルタン兵が湧いてきそうだからな、逃げるか! よおし、グッバイだ)
 兵隊達が駆け寄ってくる。大将をやられてさぞ狼狽しているのだろう、動きがばらばらだ。
 必然的に人の密度に差ができる。ソードの視線が一点を突き刺す、ミヤ東門に通じる脇道。
 脇道と自分をさえぎる兵士は一人しかいない。全力で石畳を蹴り、向かってくる兵士一人に一撃、
「せあっ」
 がしい
 受け止められるのもかまわず力だけど右に吹き飛ばす。
 後は目の前の小道に駆け込んで、東門まで走り続けるだけだ・・・
「? なんだ?」
 脇道に駆け込んだ瞬間、ソードの頭上を一筋の影が走った。全力で走りながら上を見上げる。
 焼け焦げた家々の隙間から差し込む月の光。何時頃からだろう、雲はどこかにいってしまった様。
 後ろには、もう大分小さくなった兵士達の影。
 距離にしたら100メートル位だろう、ここまで引き離せば新手でも出てこない限り安心だ。
(ようし、いい感じだぞ。このまま一気に駆け抜けるぜ)
 不意に自分の股間が気になった。裸で走っているせいで、棒がパスパスと足に当たってなんとも間の抜けた音がしている。
 音がするだけならいいのだが、痛みも伴うから始末が悪い。
(町から出たら、服を調達しないとな。後、剣とかも何とかするか。何とかするといっても死体から奪うんだけど。ふぅ、こんな気色悪いことを考えないといけないのも、俺様の芸術品がズキズキするのも何から何までバルタンのせいだ。セオラさんたちがいないのも・・・みんなあいつ等のせいだ、畜生っ)
 思い出し笑いとはよく言ったものだが、思い出しムカつきというのはあまり聞かない。
 思わずこぼれそうになった涙を振り払ってソードは走り続けた。
 もともと足は抜群の速さだ。スピアーの中でも、ソードより足が速い人間は五本の指で足りる。
 超人集団スピアーのなかでそうなのだから、一般人の中で彼に追いつける人間など、まずいない。
 ましてやここは彼の庭みたいなもの、知りうる限りの近道を駆使して走るのだから、バルタンから逃げ切ったも同然だ。
 シュッ
「っ、またか?」
 さっきと同じ違和感、いや、今度は確かに何かが彼の上を過ぎ去った。それもかなり大きな物体だ。
(雲じゃない。鳥? いや、それなりに大きな影だった。鳥にあんな大きい奴はいない。鳥でもない雲でもない、と。だったら人間、か? いや、人間でもあんなに大きくはない。さっきのマント野郎くらいの大きさがないとな。なんだ?)
 マント男がここにいるはずはない。
 とっくに成仏したはずだし、仮に一命をとどめていたとしても彼のスピードに追いつけるはずはない。
(確かに何かが飛んでいったが、まあいいか。この世の中には不思議なことがたくさんあるってミハルさんがいってたしな。そうだ、プラズマだ、プラズマが飛んでいったんだ)
 キュキュッ
 ほとんど直角に、そしてさしたる減速もなしに目の前に現れた脇道に飛び込む。
 走っては折れ、走っては折れを繰り返す。そうして数分走り続けただろうか、これが最後の脇道。
(こいつを抜ければ東門だ。よく考えたら、わざわざ東門に来る必要なんてなかったな。そうだ、素直に壁をよじ登って逃げればよかったぞ。ウウム、これは迂闊だったな。しかし、まあいいか。壁を登るなんてガキのすることだ。大人は門から出て行くものだぞ、うん)
 自分に苦笑しながら走り続ける。そして最後の角をキュッ、美しく曲がる。
 ここからは東門大通りで、今まで小道ばかり走っていたのが、急に視界が広くなる。
 正面にかろうじて原型をとどめている門が見える。そして、通りの中央に、人がいる?
(ん? 誰かたっている。どこかでみたような・・・ 誰だ?)
 ソードは足を止めた。知らず知らず右手の鉄棒を強く握り締めている。
(あのマント、あのデカさ、いや、まさかな。さっきの男じゃないだろう。奴の兄弟か何かじゃないのか)
 そう思ってみる。
ゾゾゾゾッ 
その瞬間、彼の背中にすさまじい悪寒が走った。頭では否定してみるものの、直感が真実を告げてくる。
目の前にいるのは奴だ。ついさっき彼自身が殺したはずの男。
(・・・いや、あいつはさっきのマント野郎だ・・・ 馬鹿な、俺様の一撃だぞ? あれを頭に喰らって生きてるのか? しかも、このスピードに追いついてきた? いや、あのでかさでそれはさすがにないだろう、きっと秘密の地下通路か何かを通ってきた。そうだ、そうに違いないぞ)
 向こうもこちらに気付いたのだろう、長剣を片手に歩み寄る。
(第一この町に地下通路なんてない。それは俺様が一番知っている。それに、それならさっきからちらついた影はなんだ? ひょっとして、あの影は奴が俺様を追い越した影か?)
 肉眼でも相手がはっきり分かる距離だ。80%の確信が100%の確信に変わる。
(チッ、ああもうどうでもいい! よく分からんが俺様が最強だ! 生き返ったのなら改めてぶっ殺すだけだ)
 手元が震えるのは気のせいだろう、ソードは世界一のはずだから。
「貴様、どうやったのか知らないが、たいしたタフさだなぁ」
「・・・」
「どうした、あんなにしゃべってたのにいまはだんまりか」
「・・・」
「望みどおりの一騎打ちだ。今度こそ息の根止めてやるぞ」
「・・・」
「おうどうした、何か最後に言っておかないのか!」
「・・・リミッターは外す。これも命令なのでな、私は、貴殿のような若者が嫌いではないのだが、命令とあらば、ウグ、ウウムムムムッ、殺さねばなるまいっ」
 男は身にはおっていたマントを脱ぎ捨てた。マントの下には、全裸の体。糸一切れもまとっていない。
 ごつごつとした筋肉に覆われた、これこそ漢というからだ。全身が剛毛に覆われた中から屹立としてそびえる芸術品。
 それは、ソードのそれを軽く二倍は上回る大きさをもち、大きく右に反り返っていた。
「ふふん、裸になって、この見せたがりめ。でかけりゃいいってもんじゃないぞ。意味不明なこと言ってないで、さっさとかかってきたらどうだっ」
「私の名はロッシュ・ツヴァイ・ベンゲル卿だ・・・ それでは参るぞ・・・」
「うおっ?」
その変化はあまりにも急激で、ソードですら捉えきれない迅速さだった。
マント男が何か小声でつぶやき、忽然として瞳から光が消える。
次の瞬間に瞳に浮かんだ光は狂気のそれ、獣の炎。思わず息を呑んだソードに殺到する。
ぐおっ
ソードのスピードとは比べ物にならない速度。まるで雪崩が襲ってくるようなプレッシャー。
「チイッ」
 一撃目をかろうじてかわし、思い切り地面をけって左へ飛ぶ。
(な、何てプレッシャーだ。速いし、でかいし、なんなんだ?)
 右手を地面につけ、軸にして体を反転、ロッシュとか言う男がいたほうに体を向ける。
 いない。視界には人影すら存在しない。
(あれ、いないぞ。どこだ、どこに行った?)
 思わず目が泳ぐ。左、いない、右、いない。勘だけが危険信号をこれでもかと連呼する。
(畜生、うえかっ)
 見上げもせず、這い蹲るようにして体を移す。そのとたん、
 どかーん
 自分のいた場所から爆風と、衝撃が。背後からの風に押されるようによろめくソード。
(あいつ、それは俺様の必殺技だっ)
 やっとのことで体勢を立て直す。衝撃の発生地点からは濛々とした煙湧き上がる。
 煙の中から、奴がムクリと起き上がる。足が地面にめり込んでいる、否、地面に大穴が開いているのだ。
 しかも、足元はむき出しの大地ではない、歴記とした石畳である。もしも第二撃が襲ってきたらと想像する。
 もしも奴が地面に剣をたたきつけた勢いをもって襲ってきていたら・・・ ゾゾゾッ、二度目の悪寒だ。
「・・・」
「く、来るならきやがれっ」
 次第に煙が四散して、ソードとロッシュの目が合わさった。
(何て目をしてるんだ、まるでガイキチだぜ、おい)
 素直な感想。知性も、理性のかけらすらも感じさせない瞳。
 その目に見据えられたとたん、思わず何か口にしないではいられないソードだった。
 ぐおっ
 またしても雪崩が迫ってくる。
(やってられるかよ、みてろ、これが俺様のとっておきだ)
 全力の跳躍、真上に、ただ真上に飛び上がり、男の行方を視線で追う。
(どこだ、どこに行った? あっ、あすこか)
 ほとんど真下、自分の攻撃がかわされた地点のまま動きが止まっている。
まさに絶好の位置、向こうからしてみればやってみろといわないばかりの場所取りである。
「そうおぉぉどばすたあぁぁ!」
 両手に握った鉄棒を振りかぶり、後背筋を張り詰め、体をえびぞりにもってゆく。
 瞬間杵を振り下ろすように棒を打ち据え、重力と張力の相合わさった一撃。
 標的は動かない、じっとして、頭上に迫る剣圧を感じていないのだろうか?
(もらったぞ、こいつで終わりだぜ)
 ガキイン
 中ったと思った直後、真っ向から上昇してくる剣閃。空中で巻き起こる衝撃波。
「くそっ」
 衝撃波に乗って跳びずさり、本当なら風圧を利用して二撃、三撃と打ち込むはずが、そのまま敵に背を向けて走り出すソード。
 手にはなにも持っていない。
(ま、負ける! 奴は化け物だ、人間じゃないぞ。 俺様の全力を、しかもあの間合いで、モーションなしで受け止めるだと? 駄目だ、勝負するなんてやってられるか!)
 さっきの衝突で、ソードの握っていた鉄棒は粉微塵になっていた。
 衝突した力が互角だったせいで、行き場のないパワーが武器の中で破裂したのだ。これが意味することは一つ。
 全力ソードバスターと、敵がノーモーションで繰り出した剣戟の威力が一緒だということ。
 ソードが逃げ出したのは、武器が潰されたからでもあるが、何よりも相手の実力を認めてしまったからだった。
(力じゃ勝負にならない。とにかく今のうちに逃げないとっ、くっ?)
 息を呑む。目の前には裸のデカブツ。何時の間に追い抜かれたのだろう、とにかく好きのない構えで待ち受ける肉体。
 クイックターン、百八十度体をひねり、もと来た方に走り出す。
(とにかく奴から離れるんだ。東から出れないなら西門から出ればいいって、おい!)
 急ブレーキ。目の前にいるのは裸の大将。ありえない、まだ十秒も走っていないのに、もう追い抜かれたなんて。
「う、嘘だろ、おい。 瞬間移動ってやつなのか?」
「・・・」
「おい、黙ってないで何かしゃべろ」
「・・・」
「相変わらずのだんまりか」
 じりじりと間合いを詰めてくる。
 向こうは刀、こっちは素手。じりじりと迫ってくるプレッシャーに押されるように、ソードも少しずつ後じさりする。
(力では向こうが上、スピードも俺様の負け、というわけか。技だってそれほど差があるとは思えないぞ。ということは、どういうことだ?)
 ゾゾゾゾッ 例の悪寒。
(俺様が負ける? 馬鹿な、いや、しかし勝機が見つからない以上、負けちまうのか? 死ぬ? いや、俺様が死ぬわけないぞ。そうだ、俺様のほうが上のモノがひとつだけある)
 背中に建物の壁が突き当たる。ちらと振り返り、すぐ脇に焼け爛れた扉の後があるのを見て、中に逃げ込む。
(俺様は負けず嫌いだ! そうだ、あきらめの悪さなら絶対に負けんぞ。まだ負けと決まったわけじゃない)
 中は真っ暗。それはそうで、窓すらない、まるで箱のような家。
(やばい、これじゃあ逃げ場がないじゃないか。しまった、自分から閉じ込められてどうするんだ?)
 気付いたときにはもう遅い、唯一の出入り口には奴の影。
 まさに扉の敷居をまたごうというところ。壁を壊そうにも何も道具がない、手当たり次第に辺りにあるものを掴む。
(これはなんだ? 皿か? これは? コップか! ええい、食器ばっかりだ、ここは食堂か? それだったら、せめてナイフくらいないのか?)
 握ったものはどれも使えないものばかり。
「来るな、あっちへ行けっ」
 手にしたものをただただ投げつける。化け物は避けもせず、手で払うこともなく、淡々と近づいてくる。
 こうもまっすぐ来られると、たださえ狭い部屋のこと、あっという間に部屋の隅に追い詰められてしまう。
「とらっ、これでもくらえ」
「でやっ、とうっ」
 食器棚を倒し、テーブルをひっくり返し、ありとあらゆる浅ましい抵抗を繰り返しながら、それでも確実にソードは追い詰めたれていった。
 さすがのソードとはいえ、もうどうすることもない。なにもすることがない。
 勝てない、逃げ切れない、しかし、あきらめない。
(畜生、畜生っ! 俺様は死ぬのか? まだ十人切りもしてないんだ、死んで堪るかっ)
 最後に手にしたコップ、手触りからして木製だっただろうか、いたちの最後っ屁とばかりに投げつける。
 これも、避けたりしない、淡々と近づく。さすがにもうどうしようもない、ソードはきゅっと目を瞑った。
「くう〜〜っ」
 死ぬときは痛いものだろうか、死後の世界はあるのだろうか、過去の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
 それにしても、長い。ひょっとしてもう自分は死んでいるのだろうか? そんなはずもない、まだ生きている。
「・・・そこにいるのは先刻の少年か?」
「〜〜〜っ」
「おお、拙者、ここで何をしておるのだ・・・ うむう、さっぱりわからん・・・」
「・・・?」
 瞼を押さえつけていた力を、そっと緩める。
(この声は、あのマント野郎か? なんだ、殺さないのか?)
 直感が告げる、チャンスだ!
 ばちっ
 思い切り目を開ける。
 ソードの瞳に映ったのは、狂気にあふれた赤い瞳でなく、馬鹿そうではあるが、理性だけは感じさせる瞳。
(なんだか知らんが、逃げるならいましかないぜ! とにかく逃げろ!)
「おおっ、いかがなされたっ、戻られい、一騎打ちをするとの約定たがえるお心積もりかっ!」
「戻られい、返されい、いかがなされたぁー?」
 突き飛ばすようにして男の脇を潜り抜ける。全力の全力、息もせずに走る。
 後ろから何か声が聞こえてくるけれど、もはや彼の耳には何もはいってこなかった。
 初めて『死』突きつけられたのだ、五感が麻痺しかかっている。
 頭はうまく働かないし、音はどこかに吸い込まれたよう、視界もまるで点のように小さい。
 走っているのは本能がそうしろというからそうしているだけ。
 瞳だけは不敵な光を消してはいないけれど、理性も知性もどこか遠くへ行ってしまって、とにかくひたすら走り続けた。
 頭の中では山彦がこだまして、早く早くとせかし続ける。そして、ソードはせかされるままに足を動かすのだった。
 ・・・どれくらい走っただろう、足をもつれさせて地面に体を叩かれてふっと正気を取り戻したときには、ミヤははるかかなたにかすんでいた。
 追いかけてくるものもなく、ただひとり平原に突っ伏していて、遠くでは太陽が先っぽをもたげていた・・・

 ロッシュ・ツヴァイ・ベンゲル卿は一人、ポカンとしながらたたずんでいた。
 いったいどうして自分がここにいるのか、どうしてあの少年が目の前にいたのか、疑問が沸いては消える。
(・・・??? なにがなんだかさっぱりわからぬが、まぁよいわ。キャベンディッシュ様から、この町の男は皆殺しに、とおおせつかっておるが、ひとりくらい見逃してもかまうまい。それにしても、まさかリミットを外した拙者と渡り合ったのか? だとすれば、アヤツ、たいした少年・・・ 万が一にも左様なことはありえぬが、記憶の隅にとどめておこうぞ・・・)
「せめて名前なりとも聞いておきたかったのう」
 ひとりごちる卿の股間の先端には、木製のコップがちょこんとかぶさっていた。




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