闘争者




第四章

 頭が痛い。
 あの糸車の音が聞こえない。
 気が狂いそうだ。
 なんとか抑えている。
 でももう時間の問題か。
 「お兄ちゃん。」
 瑞稀。
 大事な妹。
 俺が守らなければならない大事な妹。
 だけど。
 こんな俺が。
 人の命を簡単に奪うような人間が。
 人を守ることなんてできるはずがない。
 糸車の音は聞こえない。
 「お兄ちゃんは1人じゃないんだよ!」
 俺は1人じゃない?
 瑞稀?
 俺はもう1人だ。
 姉さんはもういないんだ。
 俺の全ては姉さんだったんだ。
 俺はどうすればいい?
 姉さんを失った俺はどうすればいい?
 「お兄ちゃんを助けたいと思ってるのに助けてほしいって思ってて!」
 俺に救いを求めるのか?
 堕ちた俺に救いを求めるのか?
 俺が救いをもたらせると思うのか?
 わからない。
 わからないけど。
 お前が泣くことで俺が落ち着きを取り戻す。
 何も考えることのできなかった心が冷静さを取り戻す。
 俺はなぜ悩む?
 なぜ人を殺して悩む?
 俺はなぜ生きている?
 1つは瑞稀を守るため。
 姉さんの最後の頼み。
 1つは姉さんの仇を討つため。
 俺がやるべき最後のこと。
 仇を討つのなら。
 もし俺がいつか仇を討つ日が来るのなら。
 俺はそのとき手を血に染める。
 四肢を引き裂き内臓を引き摺り出し眼球を抉り絶望の悲鳴を聞きながら緩慢に訪れる死を待つ。
 それだけでは足りないだろう。
 しかしそのときにはもう常識的な判断をする理性は残っていないだろう。
 憎しみの赴くままに傷つけ続ける。
 そして少しでも憎しみを薄れさせる。
 そう、そのときまで。
 そのときまで俺は生きる。
 瑞稀のために。
 ならばただ1人の人間を殺しただけでなぜ落ち込む必要がある?
 倫理も道徳も必要ない。
 妹の幸福を願えばいい。
 復讐のための憎しみを募らせればいい。
 俺は瑞稀の頭を抱きかかえた。
 これ以上悲しませたくなかった。


 クリスマスやお正月といった年末年始の行事も終わって。
 雪が舞い散る時期になった。
 久しぶりの大雪。
 お兄ちゃんと一緒に見ることが出来たのが嬉しかったな。
 クリスマスもバイト。
 お正月もバイト。
 しかも郵便局での配達も掛け持ち。
 睡眠時間は1日5時間前後だとかで。
 休みもろくになかった。
 昨日が今月初めての完全な休みらしい。
 ほんとはずっと休みでもいいのに、とか思っちゃう。
 いつもギリギリの状態で働いてお金をたくさん稼ぐよりは遊びながら勉強してた方がいい。
 そう思うんだけどそれだけは譲ってくれない。
 他のことは大体どんなに無理を言っても聞いてくれるのに。
 根が真面目であんまり冗談が通じないから無理もそんなに言えないけどね。
 でも私が頼んだらやっぱり大抵のことは断らないから言いたくなる言葉があるのよね。
 絶対言っちゃダメだけど。
 私の思いはこの雪のように地面に積もりながらも太陽に照らされ儚く消え行くのかしら。
 なんて。
 柄にもないこと思ったりして。
 お兄ちゃんに言ったら笑われるかなぁ?
 言うわけにもいかないけどね。


 月日ってのはあっという間で。
 この前正月だったかと思ってたらもう1月も終わりになって修学旅行があって。
 スキーでこけまくってたかと思うと気がついたらもう3月。
 行く1月、去る2月、逃げる3月だったか。
 よく言ったものだ。忙しいとそういう気分になるらしい。
 毎日バイトに行ってればそうなるか。テスト前以外には月に2、3日しか休みがないしな。
 俺が頼み込んでそうしてるんだけどさ。あと1年しかないとは言え金は十分たまった気がする。
 この前見た時には260万くらいだったか。
 ワンルームマンションなんか借りるための敷金としては十分だろう。
 もちろん俺が住むレベルの場所の話だが。あんまり高級感漂う場所というのは俺には合っていない。
 築数年で交通の便が微妙なところくらいがちょうどいいだろう。例えば最寄駅まで15分とか。
 それだと原付でも買う可能性があるけどそれは将来的な贅沢だから問題はない。
 就職すれば今ほど無理しなくても節制していれば少しは金も貯まるだろう。
 そうすれば1人くらい養う余裕は出てくる。
 まだ先と言えば先の話だがこの調子だと流されるままに時間が過ぎ去りそうでなかなか怖いものがある。
 だからといってバイト前に睡眠時間を削って考えるほどのことでもないだろうか。
 考え事を初めて何分か経ったころに部屋のドアがノックされた。
 テストは昨日までだったのに復習でもするのか?それとも何か用でもあるのか?
 「開いてるよ。」
 ドアが開いて人が入ってくる。自分の表情が凍ったのがわかった。
 「話があるから下りてきてちょうだい。」
 母さんだった。声を聞いたのは何日ぶりだろうか。何ヶ月ってことはさすがにないと思うが。
 「何の話だよ。何を話すことがある?」
 「あなたのことよ。めぐみのことで話さなきゃいけないこともあるから。」
 俺は黙って立ち上がった。母さんがどんな顔をしていたかなんて知ったことじゃない。
 俺はただ姉さんのことがわかるならなんでもいいと思った。


 階段を上がってくる足音1つ。
 音からするとお母さん。
 なんだろう、何か用かな?
 私の部屋のドアがノックされるかと思ったら、見事に予想は外れた。
 お兄ちゃんの部屋に行ったみたい。
 もう1年以上ほとんど干渉してないのにどうしたんだろう?
 盗み聞きしようかと迷ってたらすぐにお母さんは1階に下りていった。
 少し遅れてお兄ちゃんも。
 お兄ちゃんの足音はちょっとうるさいからすぐにわかる。
 わざと知らせてくれるみたいで嬉しい。
 階段を下りきったのを音で判断して部屋を出た。
 もちろんお兄ちゃんに何の話があるか聞きたいから。
 お兄ちゃんは怒るかもしれないけど気になるんだもん。
 ごめんね、お兄ちゃん。


 父親と話すのは久しぶりだと思う。最後に話したのがいつなのか全然覚えがない。
 ひょっとしたら2年前かもしれない。どうでもいいことだが。
 ダイニングテーブルを挟んで父親の目を見据える。どんな思惑があるかは知らない。知る気もない。
 「お前ももう17だ。話さねばならんことがある。」
 「俺が17になったのは去年の11月だ。何を寝惚けてやがる。」
 「武。」
 母さんが諌めるように俺に声をかけた。俺は母さんを一瞥してから視線を父親に戻して話を促す。
 「厳密には17になった後の3月に言うことだ。」
 奇妙な話だ。17になってすぐに言えばいいものを。
 「家系のことは知っているな。この家に生まれた者はすべからく狙撃者(スナイパー)の能力を持っていることを。」
 俺はうなずいた。知らないはずもない。
 この能力がなければとっくに死んでいたかもしれないくらいなのだから。
 「この能力は命中精度や環境による影響の受け方など微妙に異なるが、大沢の血を引けば持たない者はいない。
  しかしそれでは能力を持った者が際限なく増殖し、果てにはあらゆる局面で利用されることになるだろう。
  スナイパーは暗殺を最も得意とする。言わんとするところはわかるだろう。」
 「細かいところだと市長レベル、大きくなると総理大臣だとか一国の大統領選での敵を皆殺しにできるってことだろ。」
 「そうだ。」
 簡単な問題だ。なんでも暗殺、謀術に頼る暗黒時代が来てしまうってことだ。
 「我々の先祖はそれを危惧し、ある掟を定めた。」
 声のトーンが落ちる。母さんが目を伏せた。
 「17になった後の最初の春には、その子どもを大人とし、殺すことにしたのだ。」
 俺は叫びそうになった。が、なんとか抑えた。話はこれだけじゃないだろう。
 ただ殺すだけでは人間が減り『家』自体が消えることになる。
 「ただし17までは親だけでなく周りも決して子どもが死なないように守らなくてはならない。
  そして17歳の最初の春でその期限は切れ、狙われることになる。狙う相手は従兄弟。
  つまり従兄弟同士で殺し合い、最後まで残った一族が生存権を得る。
  一応親は殺されはしないが、能力を後世に伝えることはない。
  兄弟間の殺し合いは認められていないため、1代経るごとに争いは繰り返される。」
 「それでそのバカな戦いによって姉さんが殺されたってわけか。」
 「そうだ。」
 そろそろ限界だった。姉さんの話を淡々とするこの腐れた父親を殺したいと思っていた。
 一応従兄弟を殺して生き延びた身だけにかなわないだろうが。
 「お前はこれから狙われることとなる。これまでは私が守っていたがこれからはそうは行かない。
  自分の身は自分で守ってもらう。」
 「当然だ。言われる前からそのつもりだ。」
 「万一殺されたとしても、事故死と処理される。それはめぐみのときのことでわかっているだろう。
  私はお前が殺されないことを願っている。」
 「聞きたいことがある。」
 父親は何も言わなかった。肯定だろう。質問によっては答えないと言う意味かもしれない。
 「それをわかっていながらなぜ能力の使い方を教えなかった?
  はっきりと教えていれば姉さんだって死なずに済んだかもしれないのに。」
 「私は兄と相談して互いに子どもには何も教えないでおこうと言った。私たちが従兄弟を殺したときの話だ。
  しかし兄の子どもは自ら能力を使いこなすようになりどうやってかは知らぬが兄の口から今言った事実を聞き出した。
  そしてめぐみを呼び出し、殺した。」
 「あんたの兄貴は何してたんだよ?」
 父親の眉間にしわが寄ったが俺は気にしなかった。今さら無礼も何もない。と思ったのだが。
 「殺されていた。私も2年前に聞いた。子どもたちに殺されたらしい。
  25歳と20歳の男だ。めぐみの葬儀にも来ていた。」
 姉さんの葬儀に・・・?いたのか従兄弟なんて。わからないな。
 よく覚えていないと言うのが本音だが。あの時は随分と錯乱していたと思う。
 それがまだ尾を引いていると言っても誰も信じないだろうが。
 「なぜあんたは2年前に姉さんを守らなかった?まさか17歳だからとか言うんじゃねえだろうな?」
 多少の凄味を効かせたつもりだが何の効果もない。反応するのは母さんだけだ。
 「私1人でずっとかばいきれると思うか?さっきも言っただろう。親だけでなく周りも、と。
  大沢の本家には従者が数十人単位でいるはずだ。
  彼らは伝統を重んじる私の父、お前の祖父の命令によって動く。
  だからこれまではお前の身には何も起こらなかったがこれからはその保証はない。」
 結局命の保証はできないってことか。
 逆に言うと俺が姉さんを殺したやつを殺してもかまわないってことだ。俺は内心ほくそ笑んだ。
 「わかった。これからは俺1人でなんとかする。」
 俺は椅子から立ち上がった。母さんの顔が引き攣っていた。
 俺は笑っているのか?姉さんの仇を誰にも咎められずに討てることを喜んでいるのか?
 そうかもしれない。それが表情に出ているのかもしれない。感情が表に出ているのか。
 悪い傾向じゃない。俺はともすれば口からこぼれそうになる高笑いをこらえた。
 こらえる意味はなかったのかもしれない。けれど笑ったらなぜか涙がこぼれそうな気がした。
 哀しかった。


 伝統に縛られて翻弄されて大切なものを失って。
 今までそれに疑問を感じることもなく従ってきたってこと?
 お父さんたちがちがったみたいだけど。
 でも私たちの従兄弟に当たる人物がまた同じようなことを繰り返そうとしている。
 そのせいでお姉ちゃんが殺されて、お兄ちゃんはいつも虚空を見つめるようになって・・・・・
 話が唐突に途切れてお兄ちゃんが立ち上がった。
 あ、来ちゃう来ちゃう。
 隠れないと。
 でもどこに?
 お兄ちゃんはドア1枚を隔てたダイニングの中。
 なんとか足音を立てずに玄関の方に逃げてしゃがみこんで隠れてみるけど。
 「盗み聞きしてたろ。」
 いつの間にか頭の上からお兄ちゃんの声がする。
 ばれちゃった。
 「ごめんなさい。」
 「話は俺の部屋でしようか。ここだと聞かれそうだ。」
 私はうなずいてからお兄ちゃんの背中を追った。
 無言のまま歩いて部屋に入るまで何も言わない。
 お兄ちゃんの部屋でお兄ちゃんが机の椅子に、私がベッドに落ち着いてからお兄ちゃんが切り出した。
 「俺ももう姉さんと同じ年なんだよな。」
 感慨深げに言う。
 その顔つきもため息も恋する人のもの。
 でもひどく哀しげで儚げ。
 相手はもうこの世にいないのだから。
 引き出しから煙草、ライター、灰皿を取り出してベランダに足だけ出して座る。
 お兄ちゃんは紫煙を吐いた。
 たまに私の部屋からでも煙の臭いがすることがあった。
 ベランダから身を乗り出して煙草を吸ってる時だった。
 その表情を見たこともある。
 何を考えてるかはすぐにわかった。
 煙草を吸い始めたのは2年前。
 煙草の離れた唇が紡ぐ声のない声は『姉さん』。
 お兄ちゃんが煙草を吸う時はお姉ちゃんのことを考えてるとき。
 頭を抱えて、時には目に涙が浮かんでるから間違いない。
 「まだまだこれからって時期だよな。俺も17になってそう思うんだけど。姉さんは何を考えてたんだろ。」
 私に、と言うよりは場に投げかけるように言う。
 答えを求めているというより思ったことをそのまま言葉にした感じ。
 泣きそうな声。
 慰めた方がいいのかもしれないけど根本的なことを考えた。
 ちょっと引っかかってたこと。
 2年前のこと。
 「お姉ちゃんは全然何も知らなかったのかな?」
 「え?」
 お兄ちゃんは驚いた風だった。
 こっちを向いたその表情からは考えつかなかった様子がうかがえる。
 「何も知らなかったら、別に内緒で行くわけないと思った。
  だってあの日は夜出かけることを全然誰にも言わなくて、
  それから・・・・あの、お兄ちゃんと会ってから、1人で行ったみたいだけど。」
 ちょっと言い淀む。
 さすがに自分からは言えない。
 どういう意味かはお兄ちゃんも気付いたみたいで。
 「し、知ってたのか。」
 「うん。」
 動揺を隠せない様子で外を向いて煙草に口をつける。
 「そっか。そうだったのか。」
 やっぱり気付いてなかったんだ。
 なんであのとき私が来たかまでは考えきれなかったんだ。
 あんな状況じゃ無理もないかもしれないけど。
 でもお姉ちゃんは気付いてただろうなぁ。
 覗いた時に目が合ったし。
 お兄ちゃんにはそこは言わないでおこう。
 「考えたらそうだよな。殺される可能性も考えてなかったら俺にこれを渡していくこともなかっただろうし。」
 シャツの下からネックレスを出した。
 縦が10センチ、横は7センチくらいのちょっと大きめで豪奢な感じのするネックレス。
 お姉ちゃんの1番気に入っていたアクセサリー。
 お兄ちゃんはいつもシャツの下に入れてたから確認できなかった。
 夏は何かがあるって言うのはわかってたんだけど。
 割と筋肉質だからシャツとか少しきつそうなことも多かったし。
 「いつ渡されたの?」
 「厳密に言うと渡されたわけじゃない。ほんの少し寝てる間に首にかけられてた。」
 話の流れからするとそうなんだろうけど。
 てっきり私が追いつくまでの間に渡したかと思った。
 ほんとに最初から殺されても大丈夫なようにって・・・・・
 全然大丈夫じゃないのに。
 お兄ちゃんはそれから自分の事全然考えないようになって。
 心もどこか虚空に彷徨ってる感じで。
 お姉ちゃんを思うときだけがそこにいるんだって思える。
 今もそう。
 ネックレスを握り締めてお姉ちゃんのことを考えてる。
 悩むその姿だけがお兄ちゃんの実体のようで。
 お姉ちゃん。
 全然大丈夫じゃないよ。
 私で心の隙間を埋めてあげたいのに。
 お兄ちゃんの心に開いた穴に私を滑り込ませて。
 「お兄ちゃん。」
 私はお兄ちゃんの背中から腕を回して抱きついていた。
 首に巻きついて肩に乗った左手にお兄ちゃんの左手が重なった。
 「ありがとな。」
 ため息をついた。
 安堵のため息だと思う。
 表情はわからないけど少し落ち着いてると思う。
 お兄ちゃん。
 今なら言っていいかもしれない。
 今しか言う時はないかもしれない。
 心の底から思うこと。
 今までずっとずっと言いたかったこと。
 言葉にして伝えたかったこと。
 「お兄ちゃん・・・・」
 「・・・ん?」
 好き。
 好きなの。
 昔から。
 ずっとずっと。
 お兄ちゃんのことだけが。
 お兄ちゃん。
 好き。
 大好きだよ!
 ・・・・・・
 「時間大丈夫なの?」
 「少し遅刻かもな。なんて言おうか。」
 私が離れてから立ち上がる。
 私が見つめ続けてるのに気付く。
 「どうした?」
 「私を1人にしないでね。」
 お兄ちゃんは黙って背を向けてから「ああ。」とだけ言った。
 お兄ちゃんが部屋を出る。
 言いたかった。
 私の気持ち。
 でも言えなかった。
 世間体が気になるから?
 いけないことだから?
 違う。
 怖かったから。
 拒絶されることが。
 私はお姉ちゃんじゃない。
 私は私。
 だから怖かった。
 お兄ちゃん。
 私のことどう思ってるの?
 知りたいよ。
 お兄ちゃんの気持ち。


 怖いよな、妹って。
 俺が気付かないうちになんでも悟ってるようで。男と女って違うんだよな。
 どうしようか。ってどうしようもないけど。
 手馴れたコンビニのバイトは考え事をしながらでも大体出来る。
 大きなところでミスしないように雑誌の置き方とかはたまにまちがってみたり。
 どうでもいいんだけど。
 休憩時間にジュースを飲んでからぼんやりする。
 脳裏に浮かぶのは瑞稀のことばかりだ。そりゃそうだ。
 今の生甲斐は瑞稀と言っても差し支えない。あいつがいるから俺はまだ死ぬ気になってないだけだ。
 俺は瑞稀だけのために生きてるようなもんだ。自分の意志ではない気もするけど。
 そんなことを考えながら目を閉じる。休憩時間は1時間。貴重な睡眠時間だ。
 寝起きは良いから誰も文句を言わない。
 目覚めると1時間を少し過ぎていた。過ぎる前に起こせって言ってるのに。
 俺に甘くしちゃダメだってば、調子に乗るから。
 「あ、大沢クン、おはよう。」
 「おはようじゃないですよ、店長。起こさないといつまでも寝てますよ。」
 「君は普段からよく働いてくれてるけどいつも疲れているように見えるからね。
  少しくらい多めに休んでも誰も咎めないよ。それよりこれ。お客さんの1人が君にって。」
 店長が傍のテーブルに置いてあった封筒を取ってよこした。
 どこにでもある普通の茶色い封筒に確かに「大沢様」と書いてある。
 綺麗とまでは言わないが汚くもない。角張った字は男が書いたものと思わせる。
 他には何も書いていない。裏にも何も書いていないと言うことは中に名前を書いてあるのか。
 口も折ってあるだけで締め切ってない。面倒だったのか。
 「誰がこれを?」
 「帽子を目深にかぶった大学生風の男だったよ。
  入ってきてこれを置いてすぐに店を出ていったよ。奇妙な人だったな。」
 「そうですか。」
 字に見覚えはない。こんなことをする人間は周りにいない。と思う。
 気になる中身なのだが、仕事が先なので傍のテーブルに置こうと手を伸ばす。
 「中は見ないのかい?急ぎかもしれないよ。」
 つくづく甘い店長である。悪いとは思いつつも甘える。中身は白い2つ折りの紙片が1枚。
 広げると真ん中に小さく文字が並べてあった。封筒に書いてある字と同じ筆跡。

                      満月 頂へ昇るころ
                   かの人物の魂の墓場にて 貴殿を待つ


 書いてあるのはそれだけだ。が、意図は十分に伝わった。
 俺は折り目の通りに折って封筒の中にしまう。
 「なんだったんだい?」
 「挑戦状ですよ。」
 少しばかり微笑みながら言う俺に店長も笑って言った。
 「大沢クンの冗談はいつも奇抜でおもしろいよ。」
 「褒め言葉と思っておきます。
  ところで今月の休みは10日にしてくれませんか?満月はその辺りですよね。
  あと、それから後は来ることができなくなるか、少しの間入院しているかもしれません。」
 店長は絶句した。俺の言葉が冗談ではないと言うことに気付いた。
 「一体何の勝負だい?」
 「俺は櫛那高校に通っています。俺が言えるのはここまでですよ。巻き込むわけにもいきませんから。」
 店長の顔が青褪めた気がした。脅すつもりはないけど実際に来れなくなってから言ったんじゃ遅い。
 そうはなってほしくないもんだが。俺は苦笑してから手紙をしまいに奥のロッカールームへと向かった。
 時間も場所も相手も見当はついている。あとはどう料理するかを考えるだけだ。
 ポケットからカードを1枚取り出した。ピエロの不気味な笑みを少しの間見ていた。




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