闘争者




第五章


 8年。
 長かった。ひたすら長かった。随分と待ちくたびれた。いや、一応2年とも言えようか。
 あと1年待たなければならないとも言えようか。だが依頼は今年で終わる。あとはついでだ。
 そのついでで一生遊んで暮らせるような金が手に入るんだから楽なもんだ。誰にも邪魔をされることはない。
 まだ刀のように細い月を見上げる。
 俺も物好きだな。だがせっかくの楽しい時間だ、盛り上げないとな。
 2年前の下らない思いやりを今回も続けるとは自分でも思っていなかった。
 が、悪くはない。死者への手向けだ。これくらいはサービスだな。
 くっくっくっと低い笑いが口から漏れる。その横顔はどことなく誰かに似ていた。


 「今日も行かないんだ。」
 私は帰路に着くお兄ちゃんの背中に言った。
 お兄ちゃんは足を止めた。
 振り向きはしないけど。
 「あんまり体調が良くなくてな。」
 「今月はあんまり行ってないんじゃない?1日は卒業式だったし。2日と3日は行ったんだっけ。」
 背後から歩み寄って並ぶ。
 横から覗き込んで顔を見上げる。
 身長差が14センチもあるからいつも見上げてるわけなんだけど。
 いつもよりちょっと元気に見える。
 ただ、毎日見てないとわからないくらいほんの少し。
 「そうだな。2日間だけ行った。そのときに部長は引き継いできたから一応引退ってことになる。」
 「まだ3月は1週間しか経ってないのに。気が早いんじゃない?」
 これはほんとに話。
 普通は3月中旬の終業式前か春休み中に次期部長と副部長は話し合いなどで決まる。
 部活によって違ってたまにくじ引きで決まるところとかあるけど。
 科学部は選挙だったとか。
 1人2票。
 選挙の管理は現部長が行うから前回は八坂さんということになる。
 得票数の多い方から部長と副部長にするつもりだったらしい。
 つもり、と言うのは水野さんが「自分には部長に向いてないし、今年は忙しくなるので。」
 と言って頑として聞かなかったそうで。
 八坂さんや大神さんも説得しても全く聞き入れず結局得票数が2番目に多かった大神さんが部長をやることになったと
 か。
 副部長の地位は水野さんに。
 これはさすがに周囲が降りることを認めずほぼ無理やり決まったと言う話。
 今年も選挙なんだろうか。
 科学部はさておきお兄ちゃんのところはどうなんだろう?
 「今月からは忙しくて構ってられないからな。指名してきた。」
 「指名!?」
 「そうだ。」
 お兄ちゃんはあっさり言ってのけた。
 私からすれば信じられない手段。
 「科学部は選挙だよ。」
 「空手部は代々部長の指名で決まる。世襲みたいなもんだな。話し合いとかだったらとは俺も思ったよ。
 選挙だったらどうせ俺に決まっただろうしな。」
 確かにわからなくはないかも。
 力が中心の世界では力を持つ者が頂点に立つことが当然の摂理。
 部活のような小さな範囲で部長のような細かいことまでやらされる場合は真面目な人間の方がいいだろうけど。
 お兄ちゃんはたまたまどちらにもあてはまる。
 部活には特別真面目だったらしいし、飲み込みも早くて1番腕が良かったとか。
 その上気が利くから部長にはうってつけだったかも。
 選挙でも結果が変わらないのは多分人徳もあるからだろうし。
 「選挙だったらどうして自分になるだろうと思うの?」
 「みんな結構不真面目だったし、集団を引っ張っていくような器の人間はいなかった。」
 なるほど。
 つまり自分がやるしかなかったと。
 ちょっと傲慢な気もするけどそれだけのことを言う能力はある。
 お兄ちゃんだしね。
 「でも結局お兄ちゃんが部長だったのは正しい選択だったわけでしょ。」
 「ま、そうかもしれんがいい迷惑だな。」
 そんなことを言っていてもやることはやる。
 それにもし部長じゃなかったとしても、
 他の人がしっかりしていなかったらイライラして怒り出して全部仕事を片付けちゃうだろうし。
 お兄ちゃん、人がいいからなぁ。
 「そんなところで立ち話?」
 そういえば歩きもせずに話してた。
 後ろから聞こえた声で風音さんがそこにいたことと、お兄ちゃんと2人でぼんやり外を見ながら話してたことに気付く。
 「こんにちは。」
 お兄ちゃんと一緒に振り返って私は挨拶をした。
 風音さんは笑顔を返してくる。
 「2人そろって誰か待ってたの?」
 「ぼんやり話してただけだよ。深い意味はないさ。」
 少しくらい気の利いたこと言えないのかなぁ?
 そんなんじゃ風音さんだって「ふーん。」って言うぐらいしかないよ。
 実際それだけで終わってるし。
 でもそういうことは口に出すものじゃないし。
 「帰るか。」
 風音さんが靴を履き替えた時点でお兄ちゃんは歩き出した。
 結局待ってたのかな?
 最近いつも風音さんと一緒に帰ってるし。
 風音さん、嬉しそうだなぁ。
 心の中で応援したりして。
 でもお兄ちゃんは自分の事に関しては鈍いから気付いてる様子なんてあるわけない。
 このまま付かず離れずで終わるのかな。
 そうなってほしくないな。
 そうなってほしくはないけど考えたら今の状況ってもしかして私って邪魔?
 そんな素振りは見せないけどもし学校帰りに告白しようと思ったら私は邪魔かもしれない。
 1日だけ外してみようかな。
 1日だけだと覚悟ができてないから2日間とか。
 そうは言っても何もないときに急にそんなことを言えるかどうか。
 風音さんの表情は友だちでも傍にいられればいいって感じだし。
 どうしようかなぁ。
 自分の事のように悩んでも本人に言わないと仕方ないかな。


 3月3日にして部長引退。
 異例の早さだと言うが俺は別に好きでやってたわけじゃないし、
 それに俺が指名する前に俺が指名できなくなっても困るから早く決めておいた。
 いや、死ぬ気があるわけじゃない。ただ保険はかける。慎重とも言うが俺にしてみれば臆病なだけだ。
 だけど臆病でなければ実際は生き残れない。
 勇気があっても何も考えずにいつでも全力勝負をするだけならそれは蛮勇でしかない。
 詭弁にしか聞こえないかもしれないけど俺は昔から基本的にこういう考え方をしている。
 姉さんに背中を押されたときだけは別だったが。
 「でもお兄ちゃんが部長だったのは正しい選択だったわけでしょ。」
 正しいと言えば正しいかもしれない。客観的に見ても俺がやった方がしっかり練習もするし、管理も行き届く。
 実際そうだった。他のやつがやってたらこうまでうまくいかなかっただろう。さすがにここまで言うと傲慢か。
 背中越しに風音の声が聞こえる。3月に入って部活に行かなくなってから毎日一緒に帰っている。
 今日もなんとなく待ってみた。時間が余っているわけでもないが少しくらい空白があってもいい。
 瑞稀との話の最後の部分だけ聞いていたらしいから最初から簡単に説明する。
 俺が部長を辞めたと言う話はもうしていた。
 次期部長の話についてはしていなかったが。部活のことで話していたらすぐに家に着いた。
 それほど遠くもないのだから当然か。
 風音と別れてから言う。
 「パソコンに興味あるか?」
 「え、教えてくれるの?」
 実は結構使いたかったらしい。
 バイトと学校と部活で俺にはほとんど時間がなかったから教えて欲しくても催促しなかったのだろう。
 俺の状況を考えている辺り俺とは出来がちがうと思う。俺は自分のことしか考えてない。
 そんなことを以前瑞稀に言って「そんなことないよ。」と返されたことがある。
 理由をいくつか聞いたが俺にとってみればそれは普通のことだった。
 瑞稀が言うにはその普通のことができない人の方が多いそうで。
 確かに納得させられるが、俺の心の奥底にある俺の本当の行動理念は自分のことしか考えない自分勝手なものだ。
 エゴイストと言う言葉がよく似合う。そんな俺の妹である瑞稀は実によくできた妹と言える。
 部屋に戻り、一応普段着に着替えてから瑞稀を待つ。瑞稀も着替えてから俺の部屋に来る。
 部屋に入ってきた瞬間コロンの香りがしたのは気のせいか。しかもこの香りは俺が1番好きなコロン。
 理由は単純に姉さんが使っていたからだけど。瑞稀が使っているのか?
 いや、さっきは感じなかったし、たかが俺の部屋に来るだけなのにわざわざコロンなんて使わないだろう。
 気のせいだ。気のせい。
 パソコンの前に座らせ、起動の仕方、終了の仕方からいろいろと手ほどきをしていく。
 俺の部屋にあるパソコンは高校入学記念にと父親が買ってくれたものだ。
 姉さんのことで話す気にもならなかったものの、無数にあるものから1つ選ぶのだから相談せざるを得まい。
 あれ以来何日も続けて話すようなことはない。
 とにかく、あの当時にかなりスペックの高い、値の張るものを買ってくれたからで今もまだ十分使える。
 インターネットもつないでくれた。その辺りのことは感謝すべきだろう。どういう形で表せばいいのかはわからないが。
 とにかく、俺のために買ってくれたわけで当然俺の部屋に置かれ、瑞稀が使うことなどなかった。
 多少後悔しているのだが、今さら言っても仕方が無いので1から教えていく。
 どこから教えようか考えたのだが、
 利便性を考えてインターネットとHTMLに関することを初歩的なことから順序よく教える。
 飲み込みが早いので教えるのも楽だ。
 俺が探しながら勉強したことを全部一気に教えているのだ、あっという間に俺に近づくだろう。
 さすがに今日明日では無理だろうが。3時間ほどの講義で今日は終了。
 長いような気がするが俺にはあまり時間がない。それに少しばかり自分の事もしたかった。
 「ね、お兄ちゃんが何するか見ててもいいでしょ。」
 別に断る理由などはない。
 最近はメールを送るような友だちもいないし、掲示板に書き込むこともチャットに入ることもほとんどない。
 今日やることと言えば瑞稀のための資料作りだ。逆に見させておいたほうが良いかもしれない。
 「お兄ちゃん、やっぱりキーボード打つの速いね。」
 ブラインドタッチだって極めているし、このパソコンでいろんな用を足すのだから速くならないわけがない。
 瑞稀もいずれそうなるだろうが。
 「なんでパソコン教えようと思ったの?」
 唐突に言い出す。俺はすぐには答えられなかった。
 諦めているようなことを俺は口には出来ない。少し間が空いたが澱みなく言った。
 「使えた方が便利だと思ったからだよ。学校じゃパソコンの使い方は習わないだろ?」
 「そうだけど・・・」
 だけど?首に腕が巻きつく。背中には柔らかい感触。後ろから首に抱きつかれていた。
 「お兄ちゃん嘘ついてるでしょ。」
 耳元で囁くように言う。コロンの香りがきつくなったような気がする。
 「そ、そんなわけないだろ。」
 思わずどもってしまう。これでは自分で白状しているようなものだ。
 「わかるの、嘘ついてること。でもそれはいいの。」
 それはいい?どういうことだ?さすがに慌てるよりも瑞稀の含んだ言い方が気にかかる。
 「お兄ちゃん、自分が死ぬかもしれないって覚悟して準備してるでしょ。」
 俺の全ての動きが止まる。呼吸も心臓の鼓動さえも止まったかに思えた。
 「嫌だよそんなこと。お兄ちゃんは死んじゃダメ。私の傍から離れちゃやだ。ずっと、ずっと傍にいて。離れないで。」
 首に巻きつく腕に力がこもり、低い嗚咽が響く。泣きそうな顔が浮かぶ。もう泣いているのだろう。
 俺は何のために生きてきたのか。誰のために生きてきたのか。自分を慕う妹を悲しませてはならなかった。
 残して逝ってはならなかった。今自分の生きる意義は、この大事な妹を守るためなのだから。
 左手で瑞稀の頬を伝う涙の雫を拭う。
 「大丈夫。」
 左手を瑞稀の左手に重ねて繰り返す。
 「大丈夫。」
 瑞稀の腕にさらに力がこもる。瑞稀は今度は嗚咽などではなくはっきりと泣いた。俺はもう何も言わなかった。


 急にお兄ちゃんがパソコンの使い方を教えてくれると言ったときは単純に嬉しかった。
 今までずっと忙しそうで言い出せなかったけど結構使いたかった。
 便利そうだし面白そうだしお兄ちゃんの部屋に入れるし。
 よく考えたらどれがついでかわかんないけどとりあえず使いたかった。
 部屋に戻ってどの服に着替えようか考える。
 お兄ちゃんの部屋に行くんだしかわいいの着ていこうかなぁ。
 でもあんまり気合入れすぎてもなぁ。
 それならいつもの格好に何か足せばいいかも。
 ネックレスとかイヤリングとか。
 ピアスは穴開けてないからできないし。
 それ以前にお兄ちゃんに猛反対されて開けなかったんだけど。
 薄く化粧しても不自然だからコロンくらいでいいかなぁ。
 十分不自然か。
 でも少しだけにしておけばいいかな。
 お兄ちゃんが好きなコロンは・・・お姉ちゃんが使ってたやつ。
 お姉ちゃんがいつも使ってたから言ったんだ。
 「お姉ちゃん、そのコロン使うこと多いね?」
 「気に入ってるのよ。武も好きだって言ってたし。あんたも使ってみる?」
 私もこの匂いを気に入って次の日に瓶を買ってきたんだっけ。
 もちろんお兄ちゃんには秘密で。
 今までもそんなに使ったことはないから私が持ってることは知らないかな。
 意表を付けるからいいかな。
 使っちゃえ使っちゃえ。
 でも結局お兄ちゃんが気付いたかどうかはわからなくて。
 それよりもそんなことはどうでもよくなったって言った方が正しいかもしれない。
 ちょっと聞いただけでわかってしまったお兄ちゃんが私にパソコンの使い方を教える理由。
 お兄ちゃんは覚悟してしまっている。
 いや。
 離れるなんていや。
 絶対にいや。
 だけどお兄ちゃんは止められない。
 お兄ちゃんを止めることができる人はもうこの世にはいない。
 でも。
 それでも私はあがく。
 私への講義は終わった。
 3日で一通り詰め込んだ。
 明日は満月。
 私の勘では明日何かある。
 お兄ちゃんが宣戦布告したのか、挑戦状でももらったのか。
 どちらにしても明日のために今日までで全部片付けてる。
 私に教えることはほとんどパソコンに記録してあるか私が習得済み。
 部屋だって綺麗に掃除してある。
 「明日でしょ。」
 突然聞いた私に返してきたのは哀しそうな苦笑いだけ。
 その後には何も言わずに別れる。
 考えられなかった。
 お兄ちゃんのいない生活なんて。
 何をしてでも引き止めたかった。
 ベランダで満月を見ながらお姉ちゃんを想うお兄ちゃんがいた。
 哀しそうだった。
 その表情が脳裏に染み付いて睡魔を押し殺していた。
 眠れない一夜を過ごして1つの結論に達した。
 どうしても止められないならどうしても帰ってこなきゃいけないようにすればいい。
 これがベストの方法だと思う。
 いや、もしかしたら違うかもしれない。
 違うとしてももうこれ以外には考えられない。
 まだいることを確認して部屋のドアをノックする。
 少しだけ間があって中から返事が聞こえた。
 「開いてるよ。」
 私は取っ手に手をかけた。
 お兄ちゃんの顔を見るともう涙がこぼれそうだった。
 お兄ちゃんは苦々しげな顔をしていた。
 まるで私が来る目的がわかっていたかのように。


 短期間で2年分の知識を詰め込むのは難しそうでそうでもない。
 自分だけで暗中模索してきたことだ、わかってしまえば近道は見つかる。3日あれば大抵のことの概要を教えられる。
 あとはハードディスクにいろいろな形で残しておけばいい。問題は明らかに瑞稀はわかってしまっているということだ。
 さっきの一言にしてもそうだ。3日で詰め込んだのではなく、明日に間に合わせたと考えているだろう。
 実際それは正解と言える。半分ほどは3日はないと辛いこともあったのだが。
 あの手紙を受け取ってから今日までに瑞稀のこと以外にもいろいろと片付けた。
 瑞稀のことを最後の3日に回したのは、
 最悪を想定した場合に最低限の事を教えておけばなんとかなると踏んだ結果だった。
 他のことは自分でやらなければどうしようもないことばかりで少しばかり苦労したものだが。
 とりあえずここまで終わればあとは明日。
 今日のところはバイトも休みをもらったし、ゆっくり休んで明日に備えるべきだ。
 と、その前に。
 俺はベランダに出て空を見上げた。満月がほぼ真南に来ている。
 もう12時か。満月とは言っても厳密には明日が完全な満月だから見た目は満月、と言った方が正しいかもしれない。
 もしかすると今日のことかと思ったが、アレを見る限りそうでもないことは手紙を受け取って家に戻ってから確認した。
 なんでそんなことがわかったかは俺は知らない。俺は2年前の闘いを繰り返すだけ。今回は俺がやつを殺す。
 俺が闘うこととそのことだけが、2年前と違うシナリオ。
 いや、シナリオなんてどうでもいい。俺は気の済むまでやるだけだ。それじゃ悲しいかい、姉さん?
 空に向かって紫煙を吐く。姉さんが見たらなんて言うかな。もしあの世で会えたら叱られちまうかな。
 いや、姉さんは天国に行っただろうし、俺は地獄に行くだろうから会えないか。・・・何を考えているんだか。
 俺は嘲笑を浮かべながらも満月を眺め続けた。あの月を見ることができるのは明日までか、もっと遥か先までか。
 勝負の行方なんてわからない。不思議と穏やかな気分で眠り、快調な朝を迎える。
 いつもと変わらぬ滞りのない生活が始まるはずなのだが。  「どうしたの?」
 「あん?」
 風音が開口一番聞いてきた。何かおかしいことでもあるのか?
 「なんか調子良さそう。バイト休んだのもあるだろうけどそれ以外にも何かあるんじゃない?何かいいことあった?」
 風音は俺がバイトを休んだことをすぐに察し喜ぶ。
 確かに授業に関して事あるごとに頼っていたのでは、たまにまともになっていれば喜ばずにはいられないかもしれない。
 そこまではいいんだが。
 「機嫌良く見える?」
 「うん。」
 俺は機嫌がいいのか。今日の夜にようやく姉さんの仇と闘えると思うと血がたぎるのか。特に意識はない。
 「別に何もないけど。気のせいじゃないか?」
 「そう?」
 今日1日風音は俺を見ていた。変わった女だ。
 俺なんて毎日見てるだろうし、見てたって何も出てこないだろうし、大して魅力的でもないというのに。
 別に見られて何か弊害があるわけでもなし、いちいち咎めもしないが。
 だが、今日の俺の様子を指摘してきたのは風音だけではなかった。
 綺羅を除くいつものメンバー全員に言われ、あまつさえクラスの女の子の何人かにも言われた。
 何がおもしろくて俺なんざ見てるんだか。俺には皆目見当もつかない。
 俺ばかりが変かと思えばそうでもないらしい。帰り際に学校の下駄箱にいた瑞稀の様子も十分変だった。
 朝も確かに変だったが時間を増すごとにその様子は如実になっているようで。
 指摘しても「なんでもないの。」と言ってすぐにうつむく。
 不意に俺を呼んだかと思うと「やっぱりいい。」と目を逸らしながら蚊の鳴くような声で言う。
 風音が聞いても何も答えない。わけがわからん。
 恐らく俺が原因で果てしなく奇妙な1日を過ごした。最後くらい普通に過ごしたかったもんだが。
 部屋に戻りバッグを放り出して普段着に着替えてからベランダで何気なしに外を見る。
 月がまだ見えないどころか太陽もまだ沈んでいない。
 春分を越えてはいないから日は6時以前に沈むだろうがしばらくは明るい。一応日が沈むところを見ておくか?
 時間が迫るごとに意味のわからないことを考える。
 緊張しているのか、それを紛らわそうとして妙なことを考えているのか、自分でもよくわからない。
 自分で自分をわからないと言うのも妙なものだ。自分のことは自分にしかわからないというのに。
 自問するかのようにいろいろ考えているうちに西の空が赤く染まる。もう夕方か。
 満月を見るのもいいが最後にパソコンに向かってもいいだろう。
 瑞稀のために作ったファイルなどに手落ちがないかなど軽くチェックする。
 人間が作ったものだ、さすがにいくつかミスはある。情報量だって膨大なのだ、仕方があるまい。
 小1時間ほど作業してあとは適当にネットサーフィンしてみたりする。最近は関心のあるものも随分と減った。
 バイトばかりしているせいか趣味に費やす時間などほとんどない。
 別に将来的に好きなことをできるなら今はそれでもいいと思ってる。ま、俺に将来なんてあるかどうかは知らんが。
 ぼんやりとマウスを持つ手を動かしていると部屋のドアがノックされる。俺が返事する前に声が飛び込んできた。
 「夕飯用意してあるから下りてきなさいってよ。一緒に食べよう。」
 一緒に夕食、か。夕食は家ではほとんど食べていないと言っていい。
 家にいて起きているときは瑞稀が母親に知らせているらしく俺の分も用意されるが、
 普段は外で食べることの方が多い。
 両親にはもうあまり世話をかけさせたくなかった。が、瑞稀に誘われれば断れない。俺の困った性分だ。
 ただし、食卓を共にするからと言って会話が弾むわけでもない。
 俺は特に話すこともないから黙って食べているだけで、
 声を出すときと言えば瑞稀に話を振られてそれに答えるくらいだ。
 親の話は基本的に無視する。もう怒りもしない。
 1度親父が怒ったことがあったものの、俺は食べかけの食事すら放置して部屋に戻ってからは何も言わなくなった。
 別に家で食べなくてもバイト先で賞味期限切れのものをもらうなり普通に買うなりすれば空腹で困るなどということはな
 い。
 ただし、瑞稀に叱られるのはさすがに困った。
 黙っていてもいいからできるだけ一緒に夕飯を食べようと言われてからは、
 バイトが休みで余裕のあるときは家で食事をとることにしている。
 これで最後になるかもしれないが。
 風呂に入ってから部屋でまたぼんやりする。あと4時間ほどで約束の時間だ。
 2年前姉さんはどんな気分だったんだろうか。一瞬、自分の顔が引き攣るのがわかった。
 もう1度時計を見て2年前の記憶を引きずり出す。そう、2年前のあの日のこの時間。
 立ち上がった直後にドアをノックする音が部屋に響いた。
 「開いてるよ。」
 俺は思い出していた。あの日に自分が何をしたかを。
 ドアが開いて瑞稀が入ってきて俺の目の前で立ち止まる。俺はどんな表情で瑞稀を迎えたのだろう。
 「お兄ちゃん。」
 俺は軽くため息をついた。予想はしていた。けれど結局もう引き返せないところまできてしまった。
 「どうした?」
 努めて明るい表情を取ろうと努力しながら口を開いた。
 「今日、お姉ちゃんを殺した人に会ってくるんでしょ。」
 疑問ではなく確認だった。俺は瑞稀に隠し事はできなかった。なんでも見抜かれる。嘘などつけない。
 「ああ。」
 「生きて・・・帰って来るよね。」
 俺は口を開いたが言葉は出なかった。駆け引きとも言えた。帰ってくるかどうかなどわからない。
 現に姉さんは帰らぬ人となった。俺だってそうならないとは限らない。
 ここでうなずくのは簡単だが、実際にどうなるかなど俺にも瑞稀にも測り知ることのできる問題ではない。
 では何故そんなことを言うのか。なんとなくわかっていた。行き着く先もわかっていた。
 わかっていても抗わねばならないときはある。そう、それが例え瑞稀を否定することになったとしても。
 「わからん。」
 「いや。そんなの絶対にいや。絶対に帰ってきて。帰ってくるって約束して。」
 「・・・・できない。」
 「それなら・・・」
 瑞稀の目の色が変わった気がする。どこか艶を帯びたような顔つきになった気もする。
 俺はもうすでに策略にかかっていたのかもしれない。
 いや、待っていたのかもしれない。自分が逃れられない策略にかかるのを。


 「行かないで。」
 私は涙を流したけれど、温もりが戻ってくる代わりに涙が拭われて肩までそっと毛布をかけられた。
 これ以上は何もできなかった。
 それが約束だった。
 お兄ちゃんを信じて帰りを待つ。
 これだけが私に許されたこと。
 20分くらいいろんな音がしたあと、急に静かになった。
 お兄ちゃんはまだ外に出て行ってない。
 気配は感じる。
 でも動いている様子はない。
 目を閉じたまま耳を澄ましていると不意にベッド脇で動きがあった。
 次に感じたのはお兄ちゃんの柔らかい唇。
 私の唇と重なっていた。
 嬉しかった。
 例え私を通してお姉ちゃんを見ているのだとしても私を見ているというだけで。
 別れのキスはすごく短くて長かった。
 数秒かもしれなかったし、数時間だったのかもしれない。
 そしてお兄ちゃんが遠のいていくのがわかった。
 最後に部屋のドアが静かに閉じられる。
 また目から涙が溢れ出した。
 私は信じているのに。
 心のどこかで絶望的な不安を感じている?
 大丈夫。
 絶対に大丈夫。
 私のお兄ちゃんだもの。
 約束したもの。
 私は両腕を手に持って自分自身の体を抱き締めた。
 寂しさをまぎらわせるように。
 不安を打ち消すように。



TOPへ      

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送