闘争者




第六章


 夜空を仰ぎながら暗い道のりをゆっくりと歩く。約束の場所まではそれほど遠くない。
 歩いて20分と言った距離だ。自転車でもいいかもしれないがあえて歩く。
 多分約束の時間ちょうどにたどり着くだろう。
 滅多に車の通らない道には街灯もなく、月明かりのみが周囲の光景を映し出していた。
 住宅街だけに灯りが漏れてもいいだろうが今日に限って住民たちは寝静まったらしくそんなことは少なかった。
 だからといって感慨があるわけでもない。あるのは虚無感と復讐心。この日を2年間待っていた。
 思いを果たすことだけを恋焦がれるように待ち望んでいた。
 いつもはシャツの下に忍ばせている十字架のネックレスだが今はあえて外に出している。
 姉さんの形見。姉さんが俺に遺してくれたもの。俺は右手でそれを握り締めた。
 指の間から4つの先端がこぼれる。復讐心を確かめるように目を閉じる。心に浮かび上がる感情は哀悼。
 身を引き裂かんばかりの憎悪。俺の開いた目の奥に見えるのは哀しみか憎悪か、それとも狂気か。
 今の俺に人を殺すことのためらいはない。理性も何もない。ただ感情だけが蠢く。
 いや、こんなことを考えている今はまだ理性があると言ってもいいかもしれない。
 が、どうせ後になればこんなことは考えないだろう。心残りがあるとするなら瑞稀だけだ。
 守れるかどうかわからない約束をしてしまった。俺は最低な兄だ。いや、最低な男だ。
 相手が2人だと瑞稀は気付いているのだろうか。相討ちとなってでも両方殺す。
 瑞稀を余計な争いに巻き込ませないことが俺のすべてを満たす最良の方法だ。
 姉さんはそうは思わないかも知れない。でも少なくとも俺はこれがいいと思うからこれを選ぶ。
 姉さんに逆らうことなんて俺にあったんだろうか?って何を今さら考えてるんだ。
 俺もついにおかしくなっちまったのか。どうせ最期のときだ、いいと言えばいいかもしれない。
 ただ生きて帰ったときが問題かもな。
 無傷で帰ることができるわけもないし、瑞稀とはもう普通の兄妹の関係でいられる自信はない。
 瑞稀が高校にいる間は大丈夫かもしれないがその後の保証はできない。
 ・・・やめよう。先の話をしても仕方がない。
 来るかどうかわからない未来を案ずるよりも目の前の殺し合いのことを考えよう。
 そろそろ約束の地にたどり着く。


 そこは山の裾にある公園だった。近くには民家もなく閑散としている。時間が時間だけに人影はない。
 いや、そうでもない。広場の真ん中に1人。公園の少ない灯りに照らされ地面に薄く長い影を作っている。
 黒のタキシードで上下合わせてボブにした黒髪をオールバックにして固めている。
 顔はやや堀が深いようではあるが美形と言えなくもない。
 立っている場所には不釣合いな人物であると言えるが、
 全身を黒で固めているため景色に溶け込んでいるようではある。
 何かを待っているようであった。やや楽しげな表情。
 やがて公園の端から1つのシルエットが伸びてくる。
 「やっと来たな。」
 こちらも全身を黒で固めている男であった。上は黒のカッターシャツに下は黒のポケットの多い綿パン。
 手元すらも黒革のグローブで覆われている。ただし首元と胸元に2つの十字架のネックレスが映える。
 1つは女物で首を絞めるかのような小さなもの。1つはチェーンが長く水月のやや下辺りにある少し大きめのもの。
 伏せた顔にある2つの目に狂気の色が映っているのはまだわからない。
 ゆったりと動いているが、進む速度はさほど遅くない。
 見る間に広場の真ん中に立っていた彼の10メートルほど手前で立ち止まっていた。黒のブーツがやや離れて並ぶ。
 「久しぶりだな。」
 「俺は貴様を見たことがない。」
 「おめでたいヤツだ。葬儀の時は泣いてりゃどうとでもなるってのか?」
 その口調には明らかに嘲りと侮蔑が込められていた。
 「どうにもならないと後になって知った。そして貴様を殺すべきであると言うことも。」
 冷徹な口調の中には感情が多分に込められていた。言葉と同時に何かが空を切り裂いてタキシードに飛来する。
 難なく受け止められたそれは小型のナイフだった。宣戦布告の合図だった。今、闘いが始まった。


 俺は走った。立ち止まっていても簡単にやられることはないだろう。
 だが確実に自分にあたるであろう軌跡を描くメスを完全に防ぎきるの不可能と言えた。
 そう、相手の武器はメス。何本か受け止めてわかった。
 まだ命中こそしていないもののかすりでもすれば皮膚は易々と切り裂かれるだろう。
 時折木などの障害物を盾にしながら公園内を駆け巡る。向こうはそれほど動いていない。
 体力勝負になるとこっちが不利なのは明らかだ。が、年の功は向こうにある。
 そして俺のほうが才能があるとは言い切れない。つまり勝つのは難しいと言うことだ。
 メスを受け止め、ナイフで弾き、なんとか全部やり過ごす。それもいつまで持つか。
 何せ単に避けるのは不可能だと言っていい。それが俺たちスナイパーの能力。
 「どうした、あれだけ大口叩いておいてそんなものか?
  しかも逃げ回るばかりで攻撃もできないとあっては天国の姉貴も悲しむだろうな!」
 笑っている様子が手に取るようにわかる。俺は顔が引き攣るのを抑えることはできなかったが、
 今いる建物―――トイレの陰から感情に任せて出て行こうとは思わなかった。ただ作戦があるわけでもない。
 ズボンの妙に多いポケットの1つからカードを取り出す。俺がいつも投げているトランプ。
 3枚取り出し相手の様子を窺うことなく壁際から適当に狙いを定めて投げた。
 投げて手を陰に戻した直後にメスが壁に突き刺さる。その音を確認した後にナイフを投げた。
 が、悲鳴も何も聞こえないところからするとやはり無駄か。
 「おもしろいことするじゃねえか。そんな紙切れで人を殺そうとするやつなんざ初めて見たぜ。」
 そりゃ不幸なこった。俺は例えカードでも十分人は殺せる。おもしろいなんて言ってる間もなく地獄に送ってやる。
 心の中で強がるのは難しくないが実際にそんなことを言う余裕はない。力量の差ははっきりしている。
 今使っている武器では差はほとんどない。いや、普通の投擲武器ではあまり差が出ないのだ。
 俺のようにカードを使っても人を殺傷できる者もいるくらいだ、当然と言えば当然だ。
 「脇に吊ってるのもおもちゃか?お前は遊びに来たんじゃないだろうな?」
 わかっていたか。両脇に吊った銃は服の上からだとなんとか確認出来る程度だ。
 見ただけでそれを見抜けるのは銃について少しでも知識があると言うこと。
 この時点で銃の役割の半分は失ったと言っていい。俺には銃弾の軌跡が見える。
 敵を狙って投げるのも、自分目掛けて投げられたものを受け止めるのもスナイパーの能力。
 それはつまり向こうも銃弾が見えると言うことに等しい。
 武器の存在がわかっていれば怖いのは後ろからの発砲だけだ。
 だが今いる俺の位置から回り込むことはできないし、やつはまだ1歩も動いていない。
 動き出せば背後に回れるかもしれないがやつにはまだ動かないだけの余裕がある。完全に向こうが優勢だ。
 どうせならカードに混ぜて腰に巻いたホルスターに挿してあるナイフを投げた方が真正面から銃を撃つよりマシだ。
 ナイフの方が武器にされるかもしれないと言うリスクを考えると簡単に投げるわけにもいかないが。
 「こんなとき・・・」
 俺は無意識のうちに声を出していた。心の内側を口が投影していた。それを意識して口に出さずに考えた。
 (姉さんはどうしていただろう?姉さんはどう出ただろう?)


 なんでもない普通の日だった。いや、俺の周りにとってはそうでもなかったかもしれない。
 5日後に公立高校受験を控えて必死で勉強していたんじゃないだろうか。
 俺はと言うと受けるのはどうせ櫛那だからと腹をくくっていた。櫛那はある程度点数が取れなくても入ることはできる。
 成績を伸ばさなくても問題はない。他の問題があるのだが、姉さんがいるから別にいい。
 こう考えているあたりシスコンでしかないがもうそこはいいだろう。いまさらどうこう言うことじゃない。
 そんなわけで悩んでいることと言えば
 卒業までどうやって担任を避けようかと言う問題とホワイトデーをどうしようかと言う問題だった。
 去年の二の舞にはなりたくないようで、なってほしいようで。
 結構微妙な気分なんだが考えていると見抜かれるから忘れることにした。
 とりあえず今年のことを問題にしなければならない。
 なんだかんだ言っても結局は姉さんの顔を見ると去年のことがどうしようもなく思い出される。
 学校帰りの姉さんを前にして思い出すのは不謹慎だろうか。どこか憂いを帯びたような顔だけどまた魅力的で。
 「お帰り。」
 「ただいま。」
 今にもため息をつきそうな表情だった。それでも唇は艶かしく見える。つい見入ってしまう。
 いつもならからかわれるところだが今日は違った。なんだか元気がない。
 「姉さん、何かあったの?」
 「何でもないわよ、大丈夫。」
 無理に笑って俺の頬にキスすると横を通り過ぎていった。
 嬉しいには嬉しいけど、姉さんの様子は明らかにおかしかった。体調が悪くてもあんな表情にはならない。
 「姉さん、ほんとに・・・」
 「なんでもないってば。」
 俺が言うたびに笑顔を作った。でもそれが明らかに不自然なのは俺にだってわかる。
 いくら俺が鈍くても姉さんの表情に気付かないほど鈍くはない。さすがに聞く場所がまずかったかな?
 そんなことを考えてた夕食後。部屋のドアをノックする音。
 「開いてるよ。」
 無言で入ってきたのは姉さん。気になっていた沈鬱な表情は変わらない。
 「どうしたの?」
 ベッドに座っていた俺にやはり無言のまま近付いてくる。俺にはわからなかった。
 その瞳の奥の感情が。姉さんは俺の前で立ち止まり、物言わぬままおもむろに俺を胸に抱いた。
 「ね、姉さん!?」
 いつもの俺をからかう様子でやるのとは全く違った。
 手が震えているようだったし、今までのように俺が焦ったからと言って何かを言うわけでもない。
 その手の震えが収まると今度は手が俺の顔に伸びた。まさか、とは思った。それでも俺は抗わなかった。
 望んでいたことでもあったから。姉さんは俺の唇を奪った。なんとなくわかった。これから起こる出来事が。
 唇を離すと姉さんは俺をベッドに押し倒した。目に涙が溜まっているのは気のせいだろうか。
 「どうして・・・・?」
 「黙って。」
 震える声でそういうとまた俺の唇を吸った。さっきよりずっと情欲的に。俺は為すがままだった。


 あの日姉さんは死ぬのを覚悟していた。いや、死んでも後悔しないように俺に抱かれたんじゃないだろうか。
 ということは捨て身の攻撃が中心か?
 こんなときにあのことを思い出すのは不謹慎な気もするが姉さんとの最後の思い出と言うかなんと言うか。
 とにかく。
 打って出るしかないのは確かだ。たまに何か言っているようだが無視している。
 本当は耳に入らないだけだったりするが大したことじゃない。今はこの状況を打破することが重要だ。
 結局これに頼るしかないか・・・?右手を伸ばした先にあるのは脇に吊ったホルスターに収まっているベレッタ。
 反対側にはグロッグを入れている。
 最終的に威力よりも速射性と弾数を選んだのは、9パラでも十分に人を殺せると言う理由からだ。
 弾はそれぞれ15発。リロードするための予備マガジンはない。そんなことをするヒマはないと踏んでいた。
 この様子だと実際それは正しいだろう。
 向こうが本気になれば俺はそれこそ忍者にでも追い詰められるかのようになるんじゃないだろうか。
 すでにセーフティーロックを解除してあるベレッタを右手にまずは周囲を確認した。
 そして建物の上。・・・いない。余裕から動かないか。俺は入ってきたのと反対側から建物の陰を飛び出した。
 待ちくたびれたような表情の相手は嬉しそうにメスを投げた。ベレッタが火を吹きヤツの胸を狙う。
 メスが俺に向かって飛来する。俺はメスと銃弾の1つ1つの動きを完全に把握していた。
 多分向こうもそうだろう。俺は走りながら銃を撃ったがそれでも狙いは完璧だったしヤツの狙いも完璧だった。
 俺の到着するポイントを予測しメスを放つ。
 手を離れて俺の元に到達するのに0.5秒かからないくらいだが移動しているものにあてるのは難しい。
 が、全部見事に俺を狙っている。さすがと言うべきか。ヤツは銃弾をメスで叩き落していた。
 何発かは投げたメスの直撃しており、残りは全部あるいは弾かれあるいは斬り捨てられた。
 飛んでくる弾を斬り捨てる技量と言うのも凄まじいものがある。
 一方で俺は左手で腰のホルスターから抜いたナイフを使いメスを叩き落していた。
 俺が撃った弾より当然ながら数は多い。
 急所に入らないもののいくつかは軌道をわずかに逸らせるだけで終わったものもあり右腕と左肩が切り裂かれた。
 いずれも俺の行動に支障をきたすものではない。そうならないように仕向けたのも事実だが。
 流れ出る血は気に留めず、身を隠すベンチやテーブルのある建物でベレッタを見る。
 撃ったのは全部で10発。全部はずれ。反撃はメスが17本。2本だけ当たった。
 気になったのは当たった瞬間に投げたメスの狙いがわずかに甘かったことだ。だから腕に当たった。
 その後は俺が建物に隠れたからもうないのだが。狙い目はそこか。
 姉さんは胸の辺りに1本のメスが刺さっていただけだった。避けきれなかったメスが1本だけ命中したのか。
 とにかくこれはチャンスを作るのに好都合だ。わざと当たれば攻撃を命中させられるかもしれないわけだから。
 ベレッタのマガジンに入っている弾はあと5発。それならまだ1発も撃っていないグロッグのほうがいいだろう。
 15発装填されている。脇に吊ったホルスターにベレッタを入れグロッグを抜く。
 今度は左手。ハンドガンなら左手で撃てる。それに右手で仕留めなければならない。
 俺はポケットからカードを取り出して広げた。スペードの2から6。本命はまだ入れていない。


 携帯電話が鳴っていた。
 扱い方は聞いていたけど着信メロディがどのような分類になっているかは聞いていない。
 それ以前になんでお兄ちゃんが携帯を手放しているの?
 持ち主が傍にいない携帯電話は机の上に置かれていた。
 横に手紙が置いてある・・・・『瑞稀へ』・・・?
 とりあえず今は携帯電話。
 画面表示で誰からかかってきたか判断できる。
 ・・・・風音さん。
 私は無言で取った。
 「あ、武?ちょっと・・・会って話したいことあるんだけど。」
 出ているのが私だと言うことに気付いていない。
 でもこんなことを言うってことは今日のお兄ちゃんが何か変だったことに気付いている?
 ・・・・それはそうだよね。
 風音さんはお兄ちゃんのこと好きなんだから気付かないわけがない。
 「風音さん、私です、瑞稀です。」
 「え・・・ああ、え、それじゃ武は?」
 少し動揺気味の声が返ってくる。
 でもそれほどでもなくやっぱりお兄ちゃんの心配してるから気にしてないのかも。
 「出かけてます。なぜか携帯を置いていったまま。」
 「・・・・・・」
 短い時間の沈黙があった。
 風音さんは何を考えているんだろう?
 「どこに行ったかわかる?」
 「ええ、まあ、一応。」
 少し歯切れ悪く言う。
 邪魔するのも良くないような気もする。
 「なら今から会いに行くから場所を教えてくれない?」
 「え、でも・・・・」
 「お願い。」
 風音さんの声は真剣そのものだった。
 やっぱり勘でお兄ちゃんが自分の身を危険にさらすようなことをしているって気付いてる。
 それだけ鬼気迫る表情をしていたのも事実。
 それだけ後悔の残らないようになにもかもを片付けていたのも事実。
 「・・・いいですけど、風音さんが行くなら私も行きます。」
 「それじゃ拾っていくから。今すぐそっちに行くから外で待ってて。今すぐよ。」
 え、今すぐ?
 今近くにいるの?
 まだ服着てないんだけど。
 「すぐは無理なんで5分くらい時間もらえないですか?」
 「5分ね。できるだけ急ぐから早くしてね。それじゃ。」
 「はい。」
 携帯を切ってからお兄ちゃんの机に視線を戻す。
 私宛の手紙・・・・意味を考えて私は身震いした。
 お兄ちゃん。
 絶対死んじゃダメだよ。
 約束したんだからね。
 責任取ってよね。


 俺は壁の向こうの敵と、どう出るかをイメージする。
 いかにしてここから出てカードを投げ、どうやって攻撃をミスで受けたように見せかけるか。
 どちらにしろ本当の意味でのミスは命取りになる。死んだんじゃ話にならない。
 俺の仇は確かに今目の前にいるやつ1人かもしれない。だけどもう1人いる。
 そいつを殺して初めて瑞稀を守ったことになる。完全にではないにしろ。とにかく。深く考えているヒマはない。
 自分の武器をフルに使ってやつの息の根を止める・・・・・
 俺はまた建物の陰から飛び出した。今度はやつに向かって走る。まず右手の5枚のカードを放つ。
 そして左手のグロッグ。その間にもメスは飛んでくる。
 カードを投げ終えた右手をすぐさま腰のホルスターに持っていきナイフで迎撃する。
 距離は遠く縮まるようでまだまだある。目算で測るのは難しい、と言うよりむしろ別のことを考えていた。
 グロッグを7発撃った時点で迎撃に回す。ナイフも使いながらわずかに精度を落とす。
 そしてナイフを持つ右手を下ろしグロッグの銃身のみでメスを叩き落す。
 右手で2本のナイフと3枚のカードを抜くのと銃で落とし損ねたメスが俺の右胸に刺さるのはほぼ同時だった。
 そして俺の右腕が地面と平行に伸びナイフを放つのと、ヤツの唇の端が吊り上がるのもほぼ同時。
 続くメスはグロッグで叩き落しながら右手を離れた武器を見る。カードがメスにあたって失速する。
 ナイフがヤツのメスに弾かれる。あとの2枚のカードはぎりぎりで撃墜され、ナイフは避けられた。
 最後に抜かったか。やはり胸の傷が原因だろうか。
 しかし。
 撃墜されたのは5発。そう、5発だけ。俺の右手はまだヤツに向かってまっすぐ伸びていた。俺が笑う番だった。


 普通の生活をしていたと思う。投げたものがやたらと狙ったものに命中すると言うこと以外は。
 特に弊害を感じたこともないし、優越感を持ったこともない。
 何か得することがあるとは小学生以来思うことはなかった。
 普通に小学校を卒業して、普通に中学校を卒業して、成績トップの公立高校に首席入学して。
 気が付いたらもう3年が目の前で。
 「兄さん、医者になるんでしょ?」
 「そうだな。」
 別に親にレールを敷かれていたわけじゃないが、勉強ばかりしていたから医者を目指すのも悪くないかと思った。
 こんなこと言うと本気でなりたいやつには失礼かもしれない。
 そうは言ってもなれそうなものになって何が悪い?と言う話である。
 何かのプロになるのなら惜しみない努力と才能が必要だ。それが社会での常識だ。
 子どもにはなかなかわからないかもしれないが。
 とにかく。確かに医者になろうとしか思っていなかった。
 成績、素行が良いのは自慢こそしなかったが自分でも自信があった。
 それだけつまらない人生を送っているような気もしたけどあえてその考えを無視し続けた。
 そんなある日手紙が届いた。差出人も何も書いていない。
 白い封筒に「大沢和哉様」とだけ、つまり僕の名前だけが書いてあった。
 中身は紙片1枚。真ん中に整った字でこう書いてあった。「解放されたくはないか?」僕には意味がわからなかった。
 誰かのいたずらと思えないこともなかったがこんなわけのわからないものを送ってくるような人間は少なくとも友だちの
 中にはいない。
 結局無視せざるを得なかったわけだが翌日も同じ封筒が届いた。中身が変わっていた。
 「巨額の富が欲しくはないか?」やはり意味がわからない。僕にどうしろと言うのだろう。
 何人かの友だちに打ち明けたもののやはり誰にも心当たりはない。
 気味悪がっている様子から嘘をついているとはさすがに思えない。訝しがる僕の前でみんなはただ首をかしげるだけ。
 2度あることは、と言うように3日目にも届いた。ただし今回は内容が今までのように抽象的ではなかった。
 「今夜12時に堀公園にて待つ」果たしてこれは信じていいものかどうか。
 夜間の外出は親が別にどうと言うこともなかったから簡単だった。
 気にするほどのことでもないと思ったのだろう。満月の夜、近所の公園で1つの陰があった。

 「手紙の主ですか?」

 僕は警戒を解かず、そして確信を持った口調で言った。
 はっきり言ってこんな時間に公園をうろつく人間はそうそういない。
 「そうだ。」
 やつは肯定してから自分の考えていることを僕に話した。
 力のあるものを集め、財界にも裏の世界にも君臨するのが目的だと言う。僕はそこに意義を見出さなかった。
 だからと言ってやつは諦めなかった。やつは僕を催眠状態に陥らせていた。僕だけじゃない弟もだ。
 だが僕にはどうしようもなかった。今のこの僕が解放されたのはたった今なのだから。


 「お兄ちゃん!」
 瑞稀の声が聞こえる。胸が痛い。痛いうちはまだ大丈夫だな。生きてる証拠だ。今ならまだ間に合う。
 俺は右腕を下ろした。俺の右手の袖からは1条の光が出ていた。
 いや、出ているものが公園の灯りを反射して鈍く光っていた。それがヤツの息の根を止めた。
 カードもナイフも銃も効かない。だとすればあとは奇襲くらいしか思い浮かばなかった。
 ヤツが攻撃を当てると全てが一時的に緩む。そこを狙った。
 「武!」
 瑞稀だけじゃないのか。俺は声のした方を見た。2人が駆け寄ってきた。
 ほんの少しの安堵感から膝を付いた。口から熱いものが噴き出すようにして出たのは危険信号なのだろうか?


 彼は待合室の椅子に腰掛けていた。30前後に見えるが実際はもっと若い。
 落ち着いた雰囲気が彼の年齢を引き上げていた。この場に似つかわしくない落ち着き方でもある。
 落ち着いている?
 否。彼は全く落ち着いてなどいなかった。
 指が小刻みに動いていたし足は軽く貧乏揺すりをしていた。それでも表情1つ変えない。
 彼はもう何時間もそこにいた。決して落ち着いてはいないにしろ、そこから動くことはなかった。
 そんな石像のような彼を動かす声が響く。
 「大沢さん!」
 彼はバネから弾かれたように立ち上がった。
 声のした方へ走ることなく、
 しかしながら絶対に遅いとは言えないもはや競歩ではないかと思わせるような速度で声のした方へ歩いた。
 表情は先ほどより幾分明るい。
 「生まれましたよ。」
 「ありがとうございます。」
 大沢、と呼ばれた彼は分娩室の中へと足を踏み入れた。1人の美女が赤ちゃんを抱えていた。
 今産んだばかりだと言うのは周りの様子や、美女の様子からわかった。美女は笑っていた。
 「よくがんばった。俺の女はそうでなくちゃ。」
 大沢は嬉しそうに言うと美女に口付けた。それから赤ちゃんを優しく腕に抱く。
 「小さいよな・・・・この子は俺たちの子だ。大事に育てような。」
 「言われなくても。」
 美女は微笑んだ。大沢はもう1度美女の唇を吸った。


 走馬灯ってのはこんなものか。
 その瞬間、彼は『彼』だった。洗脳も何もされていない彼。8年間出ることのなかった彼。
 彼は武に感謝していた。それは口に出ることはなかった。彼が『彼』だったのはほんの一瞬に過ぎなかったのだから。
 和哉(かずや)は死んだ。死ぬ瞬間は本当の『和哉』だった。
 和哉の眉間には1本のワイヤーが突き刺さっていた。


 彼が生きていると言うことで一瞬だけ妄想が頭を駆け巡った。
 確約した未来ではないけれど、可能性も確率も十分ある世界。
 彼女の望みだった。
 だが今はまだ時は来ていない。
 胸に刺さったナイフとその傷口から流れ出る血液のことを考えなければならなかった。
 「このくらいなんでもない・・・病院に行けばなんとかなる。」
 苦しそうに言う。
 なんでもない風には見えない。
 少なくとも彼女には全然大丈夫ではないように見えた。
 「そうは言っても・・・・」
 反論しようとした時に。
 突然突き飛ばされた。
 何が起こったか理解できなかった。
 悲鳴が自分の口からついて出たのもすぐにはわからなかった。


 誰かが彼を知っていたのなら不憫に思ったかもしれない。
 誰かが本当の彼を知っていたなら悲しんだかもしれない。
 誰かが本当の彼がそこにいないことを知っていたなら彼はそこにいなかったかもしれない。
 彼は甘やかされながら育った。彼は何もわからなかった。
 ただ兄の言うことだけは聞いた。だから彼は人生の階段を踏み外した。
 彼はある日突然常識のある人間になった。誰もが喜んだ。その意味も考えず。
 そう日を置かずして彼の父親が死んだ。彼と兄の顔には笑みが浮かんでいた。
 そのとき誰かが気付けば、あるいはこの惨事は止められたかもしれなかった。
 大沢友哉(おおさわともや)は12歳で洗脳された。目的は自分の従兄弟を殺すこと。
 理由を追及するようには命令されなかったし、元々彼が考えることは苦手だった。
 その能力だけのために彼は操られた。
 周囲の人間は突然まともになり優等生を演じる彼に羨望、嫉妬、あるいは好意の視線を向けた。
 彼は全く興味を抱かなかったが。
 8年の歳月が過ぎた。彼はサポート役になっていた。
 兄が失敗しそうになれば自分が暗がりから敵を仕留める。今回もそうだった。
 邪魔な人間。目的の従兄弟。
 兄が戦う間は手を出さない。余計なことをしない方がいいこともあるから。
 しかし兄は先ほど倒れた。死んだのかもしれない。
 が、どうでもいい。友哉には、いや、操られた友哉には感情は多くなかった。
 自分の任務を遂行するべくメスを投げた。兄が持っていたものをもらっていた。
 狙いたがわず勝負が終わってから出てきた女の胸にメスは吸い込まれた。片方は知っている。
 大沢家の人間だ。まだ16だから狙っても大沢の手の者がなんとしてでも阻止するだろう。だからもう1人の方を狙った。


 「やら・・・せる・・・か・・・」
 苦しかったが笑えた。ヤツにカードが掠ったのが見えた。潜んでいるのはわかっていた。
 1人を片付けてからゆっくりやろうかと思ったが手間が省けた。もう立てないな。そう思って膝を付いたら支えがあった。
 「ごめん、武・・・ごめん・・・・」
 風音が俺に向かって泣きながら謝っている。そりゃそうか。俺は一応風音をかばったんだからな。
 顔が上を向くように上体を支えられたが結局首に力が入らなくて横向きに地面を眺めている。
 風音が俺の後頭部を持って支え、自分の顔に俺の顔を向けた。風音の目はもう涙で腫れている。
 それでもかわいいと思うのは俺の贔屓目だろうか?俺は自嘲するように鼻で笑った。
 「俺は・・・これを・・・望んでいた・・・・」
 自分の言葉を反芻しながら意味を考えていた。そう俺はこれを望んでいた。
 どっちかを倒す。そしてもう片方と相打ちになる。それは実現した。
 風音をかばうと言うこれ以上ないほどの十分な大義名分を得て。
 どっちが兄かはっきりとはわからないが、様子から見て後で殺した方が弟だろうか。
 瑞稀がまだ身構えているものの、ヤツらが起き上がってくることはもうない。
 それよりも瑞稀は俺が何をしたか見抜いただろうか。
 風音に向かってきたメスに気付いて、風音ではなく俺に突き刺さるように突き飛ばした。
 結果的には俺が自ら死ぬ覚悟で突き飛ばしたように見えるがそうじゃないだろう。死に際だと素直にそう思える。
 俺は風音のことが気になっていた。姉さんほどではないとしても。
 メスが俺に突き刺さった時、同時にナイフとカードを放った。兄弟だから性格も少しは似ていると踏んだこともある。
 が、それ以上にカードに意味があった。
 俺は8枚同時に投げた。4枚はそれぞれ喉、右胸、腹部の左右を単発で狙った。
 3枚は相手には1枚にしか見えないように1枚放つとあとを追うように1枚、さらに1枚投げて。
 3枚の絵札は全てジョーカー。『トリプルジョーカー』なんて名付けたが本命はこっちではない。
 もう1枚は胸部を狙うように見せかけて右腕に向かった。目的は当てることじゃない。傷を作ること。
 なぜならその『最後の切り札』には高濃度ニコチンが塗ってあったから。
 絵札はやはりジョーカー。そのジョーカーの笑みが他の3枚よりやや皮肉げに見えるのはニコチンのせいか。
 命中を確認した途端に全身の力が抜けた。俺の役目はすべて終わったから。
 ぽろぽろと涙をこぼす風音を見ながら俺は瑞稀の名前を囁く。
 蚊の泣くような声だった気もするが瑞稀は気付いた。瑞稀も泣いていた。
 「『トリプルジョーカー』・・・カードしかない場合は切り札になる・・・・」
 瑞稀は俺の左手を握ってうなずいた。そして俺の一言一言を聞き漏らさないように嗚咽を押し殺していた。
 「姉さんと・・・俺の・・・形見だ・・・・大事にしてくれ・・・・」
 胸元の十字架を右手でつかんで持ち上げようとすると瑞稀の手が十字架ごと俺の手をつかんだ。
 それで十分だった。俺は目を閉じた。もう目を開けていることすら億劫だった。
 「死なないでよ、武!私まだお礼も言ってない!武のこと好きだって伝えてない!」
 俺を・・・好き、か。風音が?予想もしなかった。これならかばった甲斐もあるが少しばかり心残りができてしまった。
 が、もうダメだ。目はもう開かない。猛烈な眠気が脳を侵す。もう話せないか?もうダメか?・・・いや、もう一言だけ。
 「・・・ありがとう・・・」
 2人とも、と続けたかったのだが。死神はそれを許しはしなかった。


 最初に目に映ったのはお兄ちゃんの胸に何かが刺さる様子だった。
 そしてそれに対して刺さってからカードとナイフを投げ、袖口から何かが飛び出していた。
 その実体はつかめなかったけど、胸に何かが刺さればただですむわけがない。
 敵の姿を確認することもなく私たちは駆け寄った。
 それが仇になった。
 風音さんが突き飛ばされお兄ちゃんにさらに飛来した何かが突き刺さった。
 どこにそんな余力があったのか瞬きの間にカードを8枚投げた。最初の6枚は一振りで。
 あとの2枚はそのうちの左胸に向かうカードと全く間を置かず、そして軌道を完璧に同じにして投げた。
 神技、と言うしかない。
 お兄ちゃんは出血がひどすぎてもう自力では立てなかった。
 それでもお兄ちゃんは笑った。
 自分の敵にカードが当たったのを確認して。
 風音さんがお兄ちゃんを支えていたから私は彼を見ていた。
 けれどただのかすり傷が出来ただけなのにそれに似つかわしくない苦しみ方をしたあと倒れた。
 何か毒を塗っていた・・・?
 お兄ちゃんがかすかな声で私を呼んだ。
 呼吸は弱く、誰がどう見ても危険な状態だった。
 私はいつしか泣いていた。
 涙がとめどなく流れていた。
 私はお兄ちゃんの手を握り締めた。
 「姉さんと・・・俺の・・・形見だ・・・・大事にしてくれ・・・・」
 胸に刺さった2本のメスの間にある血まみれの十字架を、お兄ちゃんは持ち上げようとした。
 私はその手を十字架ごとつかんだ。
 お兄ちゃんは目を閉じた。
 私が口を開く前に風音さんが絶叫した。
 風音さんとお兄ちゃんは、お互いに好意を持っていたのに結局お互いに気付かなかった。
 お兄ちゃんが自分は否定されていると思っていたから。
 風音さんが自分は否定されていると思っていたから。
 私が2人の掛け橋になればよかった?
 それは違う。
 本人たちが歩み寄らない限りはきっと気付けなかった。
 もっと時間があればお互いを理解し合えたかもしれない。
 もっと時間があればお互いが受け入れられる存在だと思えたかもしれない。
 でももう遅かった。
 「・・・ありがとう・・・」
 お兄ちゃんの呼気が切れた。
 ほぼ同時に暗がりから人影がいくつも出てきた。
 多分『大沢家』の人。
 ここまで勝負が着くのを見ていたんだと思う。
 戦う意味を聞きたかった。
 殺し合う意味を聞きたかった。
 こんなことがなかったらお兄ちゃんは死ななかった。
 お兄ちゃんは私を見てくれていた。
 お兄ちゃん、私だってお兄ちゃんのこと好きだよ。
 私の心の声なんてもう届くはずもない。
 私の純潔奪ったんだから責任とってよ。
 行き場所のない声なき声が心の中に虚しく反響する。


 家に帰った。
 真っ先に向かったのはお兄ちゃんの部屋。
 あの手紙を確かめるために。
 『瑞稀へ』とだけ封筒の宛名には書いてある。
 白くてラブレターにでも使われていそうなそれでいて何の変哲もない封筒。
 中には便箋、ではなくA4のレポート用紙が入っていた。
 あんまりお兄ちゃんらしくないスタイルのような気がする。
 とにかく中身。

『これを読まれているということはもう俺は死んでいるということだろう。

俺がまだ生きているのならお前はこれを読む間もなく俺のところに来そうだからな。

俺は満足して死ねただろうか。結構不安だ。姉さんが殺されたような相手だ、良くて相討ちくらいにしか考えてない。

武器がいつものようにカードとナイフしかなければな。

今回はそのいつもとは違うからやれるとは思っている。悪くて相討ちだろうか、くらいのものだ。

ただし相手が2人いるから話は別だ。2人同時にかかられれば反撃などする間もなく終わるだろう。

だが姉さんの様子から言って形振り構わず殺したとは考えにくい。

それだけに1人ずつだろうから少なくとも1人はやれると思っている。

理想は両方をやってしまってお前に負担をかけないことなのだが。

用意したものは大量の銃器とワイヤー。銃についてはパソコンで教えた通りだ。

文書ファイルにまとめてあるからせめてこの部屋にある分だけでも勉強しておくといい。

いざと言う時に扱えないのは辛い。

ワイヤーは大沢家御用達の武器屋でのオーダーメイドだ。

武器屋とは言っても見た目は骨董品を扱っている少し大きな店でしかない。

とりあえず別紙に簡単な地図と説明を入れておく。

俺が持っていたのは1本だけだ。注文したのは11本。あと10本を受け取っておいてくれ。瑞稀なら使いこなせるだろう。

ここで金の問題が気になってるんじゃないかと思う。気にしてなかったらそれはそれで問題のような気もするが。

とりあえず25万は払ってある。だが元値はひょっとしたらその10倍くらいかもしれない。

払わなくてもどうせ大沢家から徴収されるだろうから気にしなくてもいい。

ただし、俺がバイトして貯めた金がある。それを充ててもいい。

金は郵便貯金にお前の名義で入れてある。暗証番号は姉さんの誕生日。

ワイヤーの材料については聞かなかったが性能は少しだけ聞いておいた。

基本の長さは10メートルらしいが伸縮率が高く5、6倍は平気で伸びるらしい。

さらに電気抵抗も非常に低く高電圧をかけてもなかなか焼き切れないらしい。

使いどころがあるかもしれないから覚えておいた方がいい。武器の話はこれくらいでいいだろう。


俺はできれば死にたいと思っていた。お前がこれを読んでいるのならその望みが叶っているだろう。

姉さんの死が俺にこうさせたと思うかもしれない。だがそれは違う。勘違いしてはいけない。

俺は姉さんの最期を看取った。そのときに姉さんは言った「瑞稀をお願い」と。

俺は父さんと母さんにお前は任せられないと思ったからバイトして金を貯めて高校を出たら家を出てお前と暮らすつもりだった。

せめてお前が誰かと結婚するまで。だからそれまで俺は生きるつもりだった。

だが俺はいつしかお前を女として見ていた。お前の態度に気付いたこともあるかもしれない。

それ以上に自分と同じ宿命を背負った仲間意識のようなものだと思う。

同じように呪われ、同じように苦しみ、同じように悩みながら生きてきた者に対する情とでも言うか。

間違いを起こす前に離れたかった。でもお前から離れることは俺にはできない。俺は不器用だ。だからあえて死を選んだ。

逃げたかったのかもしれない。姉さんと一緒でないことを言い訳にしたいのかもしれない。わからない。

俺は間違いを犯す前にこれを書き、死地へ出向こうと思う。


携帯電話は自由に使ってくれ。金は貯金に十分入っている。

料金なんかは資料があるからそっちを参照してくれ。解約しても一向に構わない。


今までのことから想像してこれからも何かあると思う。

友だちが狙われたり、おかしな事件のようなものに巻き込まれたりした話はしただろう。

多分どこかに黒幕がいて俺たちのうちの誰かを消したいんだとは思うが、確信もないし証拠もない。

当然のことながら風音も狙われていると思う。あいつは自分の身を守るだけの力はない。

あいつを守る余裕のある人間は今はまだいるがはっきり言ってしまうともう1人死ぬからそんな余裕もなくなるだろう。お前が守ってやってほしい。

ちなみに俺が死の宣告をしたことは絶対に口外するな。そいつの死を早めるだけの結果に終わる。

秘密を押し付けてしまって申し訳ないが他に手は考えつかない。

指をくわえて見ていろ、と言うのも酷な話だが俺と同様そいつも多分死ぬことを望んでいる。それか自分の死の宿命を知っている。

直接そのことに触れたわけじゃないが確信はある。できれば名前を挙げたいのだがそれは勘弁してほしい。


最後に頼みがある。風音と日下部に手紙を書いた。切手も貼ってあるから送ってほしい。


俺はお前が好きだ。だからあえて死を選ぶ。お前には悪いと思う。だから俺がこれ以上間違う前に原罪を償う。許してくれ。

2002.4.30(火)22:48  武 』





 1行ずつ空けて2枚にわたって書かれていた。
 読んでいるといつの間にか涙で目が霞んでいた。
 泣き崩れたのは読み終わってすぐ。
 とめどなく嗚咽が漏れた。
 哀しい。
 心にあるのはその感情だけだった。
 いや、他のものもあったかもしれない。
 認識できないほど心は乱れていたけれど。

 

End・・・


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