闘争者過去編




第四章


 なんか不思議な感覚。
 怒りのような哀しみのような。
 この前まで私は確かに慕っていた。
 『あの子』みたいに女としてではないけど。
 でも少なくとも嫌いな種類の人間ではなかった。
 だから迷ってしまいそう。
 それがどういうことになるかはわかってる。
 自分の宿命だってわかってる。
 逃れたいと思ったこともある。
 いや、今も思ってる。
 思ってるけど宿命に従う。
 宿命だけのためにやるわけじゃないから。
 『彼』を許せない。
 そう思うから私は宿命に従う。
 
 
 軽いな。
 女は所詮こんなものだ。
 石田咲子のときだってそうだった。
 これなら力を蓄えるのもわけないな。
 意外と目的までの・・・・・・
 池口の思考はそこで途切れた。
 鳩尾に今まで一度も体験したことのない痛みが走る。
 「離れて。」
 池口は首が絞まるのを感じた。舞の細い腕が首に食い込み彼を引き離すとそのまま前に投げた。
 池口は倒れはしないもののたたらを踏んだ。引き離された際に牙から血が垂れた。
 牙、と言っても普通に見た分にはあまりよくわからないのだが。
 「これであなたがヴァンパイアであることの証明には十分ね。」
 舞は首元の傷口に指をやって血を確認した。そんな舞を池口は鼻で笑う。
 「せっかく何も知らぬままに終わらせてやろうかと思いやっていたのだが。」
 「何も知らないまま死ぬなんて最悪。でも私はもう全部知ってるけど。」
 「ならば僕の手にかかって永遠の眠りにつくことを天国で自慢するといい。石田咲子同様にな。」
 「寝言は寝ているときに言うものよ。」
 池口はまだ油断していたと言える。先ほどの鳩尾への一撃も不意を突かれたからあれだけ痛んだに過ぎない。
 舞が左足を軽く踏み出し右の拳をぶつけようとしている。動きが遅くて池口にはよく見えた。
 左手だけで受け止めてやろうかと思う間があるほど余裕がある。
 他の同族にはない力を持っているのだという驕りと自信もある。
 直後にそれらは揺らぐことになった。
 舞の拳が池口の手に触れる瞬間、池口は左手に猛烈な痛みを感じ、体ごと後ろに引いた。
 何が起こったか全く理解できなかった。左手を見ると焼けて大きくただれている。
 いつもならものの数秒で回復するはずの傷がいつまで経っても痛み、消える様子がない。
 「見える?」
 薄く微笑みながら右の掌を天井に向ける。
 ボールを握っているかのような格好となっている右手がわずかに白く見え、
 そこに陽炎があるかのように像が揺らいでいる。
 「私は『セイントファイア』って呼んでるんだけど。一応『浄化の炎』なんて名称があるらしいわ。」
 池口はもはや笑っていなかった。苦痛と屈辱に顔を歪めている。
 彼は知っていた。『浄化の炎』の存在を。それを操る者たちの存在を。
 「あなたたちが『ヴァンパイア』と呼ばれるようになって付いた名称が『ヴァンパイアハンター』。
  『吸血鬼』に『浄化族』ってなんかかっこ悪いわよね。格好の問題じゃないかもしれないけど。」
 舞の顔から笑顔が消える。楽しそうに話していたときとは別人のように冷たい表情だ。
 「咲ちゃんは本気だったのにあんたはその気持ちを踏みにじった。
  私が何者かなんて関係ない。私はあんたが許せないだけ。」
 舞の踏み込みを予想し、その場でボクシングのウィービングの要領でかわそうとした池口だったが、
 舞の踏み込みは予想以上に速かった。
 普通の人間どころではなくヴァンパイア並の運動能力を出している。
 仕方なく後ろに引いてやりすごす。舞の拳は空を切った。
 池口はもはや何も言わず舞をにらんだ。本気を出すということは言わずとも知れた。
 攻撃に移るまでの間はほとんどなく気が付くと目の前にいた。
 舞が防御体勢を取らぬうちに腹に重い一撃が加わっていた。
 気を失わなかったのは奇跡とも言えるが確認できたのは自分が宙に浮きそこを池口に追撃されたことだ。
 妙に天井が高いことまでは気が回らなかった。
 池口は吹き飛ばした後すぐに自身も跳んで舞の顔をつかみ、床へと全体重を込めて遠慮なく叩きつけた。
 「形勢逆転、とでも言おうか。」
 池口はせせら笑いながら舞の頭をつかんだまま持ち上げた。
 「僕を許そうが許すまいがそれは君の勝手だ。どっちであろうと僕は君の血をもらうだけだからね。」
 力なく四肢をたれ下げたままの舞に言うが、無論反応はない。
 舞の右手がまだ白んで見えたが後頭部を強く打ち付けて昏倒しており意識はない。
 しかしそんなことには構わず、むしろこれを好機に首元へと顔を近付ける。
 バリィィィィィン!!
 けたたましい大音響と共に庭へと続く大きなガラス戸が割れた。
 自然に割れることもなければ、目の前で気を失っている舞が割れるわけもない。
 「狙ったわけじゃないんだけどね。こんなに早く佳境に差し掛かってるとは思わなかったなぁ。」
 のんきにそう言う男を、池口は忘れていなかった。水野綺羅。
 授業は聞いているかどうかもわからなかったにも関わらずテストの点数だけはすこぶる良かったことが印象に残っている。
 が、そんなことは今はどうでもいいことだと思った。
 まだ手に持っていた舞を後ろに放り投げる。綺羅が一瞬目を見開くが気に留めない。
 「そのガラス戸は決して安物ではない。その上僕の食事の邪魔をした罪は軽くない。」
 「あなたが犯した罪の方が遥かに重いですよ。特に豊科さんは僕にとって大切な人ですから。」
 綺羅はいつもより明るめに微笑む。そしてそのまま地を蹴った。
 「僕は土足で入ってくるような無礼者には容赦しない。」
 あまりに鈍重に見える綺羅の突進に池口は自分から前に出た。
 一気に間合いを詰め懐に入る。いや、入ろうとした。
 が、綺羅の反応は異常に早く突き出した左手から刃が生まれ顔目掛けて伸びた。
 危うく避けつつも反撃を試みようと綺羅の左脇腹を眼前にしたとき、右頬に衝撃が走り吹き飛ばされた。
 綺羅の左膝が決まっていた。
 「誰が容赦しないって?」
 池口は左手を付いておりなんとか倒れなかった。
 切れてわずかに血のこぼれた口元を拭う。そして笑みの消えた綺羅の顔を見やった。
 「小僧が・・・図に乗るな!」
 「それが本性か。」
 池口が吠えるが綺羅は至って冷静だ。
 池口の先ほどまでとはまったく違う尋常でない踏み込みにも動じなかった。
 いや、常人でも動じなかったかもしれない。何が起こったかはわからなくて、という意味でだが。
 それほどまでに速かった。
 勢いに任せて繰り出した手刀は綺羅の薄く見える胸板をあっさり打ち抜くかと思われたが、綺羅は腰をひねって避けた。
 同時に右ひじを鼻っ面に叩き込む。さらに右手に左手を重ねて池口を押し返し、離れた瞬間に右足で顎を蹴り上げた。
 顎を砕く感触が足から伝わってくる。池口は大きくのけぞり数歩後退する。
 右足がだん!と音を立てて地面に付く。
 それから右手を池口の胸に向ける。
 右手からは光が伸び池口の胸を貫く!
 光が消えるとわずかに血がこぼれた。が、池口は倒れない。
 綺羅が追撃しようと構えたが、のけぞった体勢を一気に引き戻した池口の前に動きを止めた。
 池口は笑っていた。鼻を折られ、顎を砕かれたにも関わらず、外傷は全く見当たらない。
 胸からの出血も止まっているどころか裂けた服の隙間からは白い肌が覗くのみだ。
 「効かんな。そんな攻撃など。」
 「・・・化け物め。」
 綺羅は攻撃が効きはすれど回復する、と言うことを知ってはいたのだが予想以上の早さだった。
 これが本来のヴァンパイアの力ということか。
 綺羅は一瞬目を細めると瞬きする間もなく池口の懐に入り込み100発近くのジャブを打ち込む。
 ジャブとは言ってもどれもただのジャブとは言えないような重さだったがやはり池口には効き目がなかった。
 厳密に言うなら効いてはいるがダメージはすぐに回復してしまう。
 「無力だな。」
 池口の言葉が綺羅に届くか届かないかのうちに綺羅の体は宙に浮いた。
 腹に池口のボディーが決まりある程度防御はできたものの衝撃は大きかった。
 さらに池口はそこをハイキックで追撃する。背の高さと足の長さがあってこその攻撃だ。
 綺羅はさっきまで右のほうに遠く見えていた壁に叩きつけられた。
 打撲の痛みに一瞬顔をしかめるがすぐに立ち上がりダッシュをかけ右手を突き出したが今回はタイミングがかなり早かった。
 まっすぐ伸びた光を池口は苦もなく横によける。
 「気でも違ったか!」
 「そう思っているといい。」
 光は曲がった。もはや光と言うより発光物体と言った方が正しい。
 綺羅の意思を受けて伸び、池口に巻きついた。池口を腕ごとからめとりがんじがらめにする。
 「こんなことをしてなんになる。」
 綺羅は顎で池口を指した。池口は首を回そうとした。が、その必要はなかった。
 ズギュッ
 肉を指す嫌な音が部屋に響いた。池口の左胸から白い手が生えていた。
 
 
 
 「あなたヴァンパイアでしょ。」
 そう言ったとき彼は笑った。嬉しいのかなんなのかは私にはわからないけど。
 「ねえ?」
 「そうだよ。」
 やっぱり嬉しいのかな。迷うことなく認めた。
 「さっきの霧状になるのもヴァンパイアの技だよ。ただし使える者は多くないけど。ちょっとしたコツと鍛錬が必要だからね。」
 「そうなんだ。他には何ができるの?」
 「今は秘密。」
 私に向かってウインクする。美形だからかなり効果的。残念でした、私はなびきませんよ。ってそんなことより。
 「・・・あなたも人の血を吸うの?」
 「僕から血の匂いはする?」
 問い返されてしまった。つまり考えて聞けってこと?そういえば全然そういうのは感じない。
 「ごめんなさい、気を悪くしてしまったかしら?」
 「わかってくれたらいいよ。気持ちはわからなくもないからね。それに豊科さんだから。」
 意味ありげに言う。ありげ、と言うよりむしろそのままだけど。
 ほんと私ってもったいないことしてる?でももったいないとか言うのはちょっとまちがってるけど。
 「私は落ちないわよ。今はね。」
 「それじゃ今度また挑戦するよ。話を戻そうか。豊科さんはなんで僕がヴァンパイアだってわかった?」
 「え?」
 「だってほら、僕は見た目は普通の人間だし、血を吸うこともない。
  ただ常人を遥かに上回る運動能力とミストのような特殊能力があるだけだ。ヴァンパイアだと思える要素がない。」
 「・・・そうね。」
 言われて気が付いた。
 天始はヴァンパイアだなんて口の端にも出してないし、私自身なんでそう思ったのかもわからない。だけど確信はしていた。
 「『ヴァンパイアハンター』だね、豊科さん。」
 答えは彼が出した。初めて聞くがなんとなくしっくり来る。
 とりあえず答えない。わかってる振りわかってる振り。彼とは反対を向いて空を見上げる。
 「肯定と取らせてもらうよ。否定したところで他には何もないような気はするけどね。」
 黙っていると話を進める。まぁそんなもんでしょ。
 実際私がなんにもわかってないって知ったら驚くかしら?あとで言ってあげなきゃね。
 「それよりもなんでわざわざここに来たのか知りたいな。
  ここに来たってことは少なくとも事件の犯人を見つけようとしている、と僕は思う。
  もしかして興味本位とか好奇心で、とは言わないよね。」
 実はそう、とか言ってみたかったりするけど今回はふざけるときじゃないわね。
 「殺されたのは私の友だちの妹だったのよ。その子のことよく知ってたから。
  あの子は誘拐されるようなまねは絶対しない子から、犯人は全然知らない人って訳じゃなさそうだしね。
  現場で何かわかるかと思って来た。」
 「それなら犯人はもうわかったんじゃない。」
 「ええ。」
 目星はついていた。と言うよりも他に該当する人物が見当たらないと言った方が正しいか。
 あの子は他人の家に泊まりに言ったことはおろか、日が落ちると1人では外に出ないほどの子だ。
 「止められなかったの?」
 「止めるどころの話じゃない。吸血行為は禁忌だよ。少なくとも僕の一族ではね。」
 「血縁あるの?」
 「おじに当たる。」
 「そうなんだ。」
 そういえば、と思う。雰囲気もどことなく似てるし顔も似てる。
 ただどっちも美形過ぎてそんなこと気にならなかっただけかもしれない。
 「彼はもう僕たちに止めることは出来ない。吸血によって力を得たヴァンパイアには僕たちの力は到底及ばない。」
 私は振り返って彼を見る。
 「じゃあどうするの?野放しにするしかないの?」
 「そんなことをしたらヴァンパイアが駆除されることになる。できれば早急に手を打ちたい。
  彼を説得したいけど、一度血を吸ってしまえばもはや『食事』なしでは生きていけなくなってしまう。」
 「どのくらいの周期で『食事』しなければならないの?」
 『食事』・・・いやな言葉。
 「持って1週間。少なくともそれまでに次の犠牲者が出るってことだね。」
 「それまでに倒さなければならないのね。」
 「そうなんだけど。」
 言葉を切る。どういう意味か、って聞かなくてもわかるわよ。言い出し辛いものね。人殺しを頼むわけだから。
 「いいわよ、やったげる。」
 「!」
 にわかに顔が明るくなる。そんなに嬉しそうな顔されるともう引けないじゃない。美形ってずるいわよ。
 「その代わり、今度デートして全部桜くんのおごり。いいわよね?」
 「それでやってくれるなら喜んで。ただ・・・」
 また表情が暗くなる。まだ何かあるのかしら?
 「僕は手伝えない。足手まといになるだけだろうから。できる限りのことはするけど・・・」
 「いいわ。1人でなんとかする。」
 「ごめん。」
 心底申し訳なさそうな顔をする。やってらんないわよ。
 「それでどうすればいいの?心臓に白木の杭を刺すの?」
 「それでは死なない。それくらいで死ぬなら楽だと僕も思うんだけど。心臓を潰してもまだ生きているはずだからこれだね。」
 手で首を掻き切る動作をする。
 「おっけ。それじゃなんとかするわ。」
 「あんまりやって欲しくはないけど、これを知っていればさほど苦労しないと思う。」
 「何?」
 「吸血されてもヴァンパイアにはならない。」
 「そうなんだ。」
 知らなかった。てっきり吸われたら終わりかと思った。
 「奇襲は一番効率がいい。ただ、首筋に噛み傷が残ってしまう。」
 「それくらいでやれるなら安いものでしょ。」
 「・・・ほんとにごめん。」
 「もう言いっこなし。」
 
 家にたどり着いた時にはもう12時を回っていた。
 1戸立ての2階にある自分の部屋まで誰にも気付かれずに戻る。
 朝両親と話したときも別段何かを気にしている様子もなかったということは気付いていなかったのだろう。
 ただそのときに一つだけ聞いた。『力』の使い方。
 2人とも驚いてはいたけど予想はしていたらしい。淡々と教えてくれた。
 
 
 
 左手で池口の背中を抑え右手を引き抜く。
 池口が反動で倒れた。天始が言った通り死ぬには程遠いらしく自分の意志で仰向けに倒れた。
 死ぬには程遠いと言ってももう立ち上がる力も残っていないかもしれないが。
 「僕はまちがっていたのか。」
 「・・・そうね。」
 池口先生は落ち着いていた。もう死を覚悟しているのだろうか。
 「天始が言っていたのは君のことか。」
 独り言じみた言葉を吐く。視線がこっちを向いた。
 「すまなかった。僕は君をも亡き者にしようとしていた。」
 今さら謝られても、とも思う。けどあえて何も言わない。
 「・・・止めを刺してくれないか?」
 「その前に。」
 倒れた池口の向こうにいた綺羅が口を開いた。
 「なぜこのようなことをしようと思った?」
 「・・・自分がどこまでやれるか試したかった。」
 「たったそれだけのために?」
 「・・・ああ。」
 池口はうなずいた。蒼白な顔にはもはや感情は浮かんでいない。
 「そうか。」
 綺羅は視線を上げた。私と目が合うとうなずいた。私もまたうなずいた。
 「・・・ありがとう。」
 池口は最後にそう言った。誰に向けたのかはわからない。私は確かめなかった。彼の目が閉じられた。
 
 
 
 「民家から出火、原因はガス漏れによる引火、中からは焼身男性死体、自殺の可能性大。」
 放課後。武がいつも持っている手帳を開いている。いつものメンバー・・・ではなくまた舞と綺羅を抜いた4人。
 「しかもその男性が池口さんと来る。なんなんだ一体。あの2人は来ないしよ。付き合ってんじゃないか、実は。」
 「そうかもね、あの2人仲いいし。」
 「お前はのんきに何言ってんだ。」
 武は手帳で京次の頭を叩く。
 「なんで?」
 「・・・はぁ、ダメだダメだ。もうやってらんねぇ。」
 「どういう意味だよそれ?」
 武はさらにため息をつく。視線を風音に向けると彼女もまた、肩をすくめた。
 
 
 同じとき、同じ校舎の屋上。
 3人の男女がいた。屋上には常に施錠されており、鍵を持っている者などほとんどいない。
 と言うことはそこにいる人間はすぐに特定できる。言うまでもなく舞、綺羅、天始である。
 3人とも柵に寄りかかっていたが舞と天始は並んでおり外を向いており、綺羅だけがやや離れて内側を向き、うつむいていた。
 「民家から出火、原因はガス漏れによる引火、中からは焼身男性死体、自殺の可能性大。」
 舞は手元の新聞を読み上げた。職員室から借りてきたものだ。
 「これなら誰に疑われることもない。」
 「ここまでやってくれるとは思わなかったわよ。」
 「これくらいしないと君の身柄が拘束される可能性があるだろう?」
 「・・・そうね。」
 舞は新聞をたたんで脇に挟む。
 綺羅が顔を上げ空を仰いだ。
 「次は何が起こるかな。」
 「何もないことを願うわ。」
 「僕も一応そう思いたいんだけど。」
 それだけ言うと綺羅は立ち上がった。舞は振り返って綺羅を見る。
 長い黒髪が風になびいた。
 









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