闘争者過去編第二幕




第四章


 糸車の音はいつしかなくてはならないものとなっていた。
 聞こえなくなると頭が割れそうなほど痛くなった。
 何もかもがどうでもよくなった。
 そのときになってわかった。
 糸車の音は理性の欠片だと。
 自分の精神状態がわかるようになった。
 糸車の音を聞けば安心できた。
 ほんの少しだけ。
 ほんのひとときだけ。
 いつからこうなったかはわからない。
 全くわからない。


 雨が降ってる。
 朝から降りそうだったしね。
 傘持って来てて良かった。
 自転車だからちょっと辛いけど。
 武は持ってきたかな。
 なくても平気で帰りそうだな。
 でも今日はなくてもいいかな。
 相合傘なんて結構いいかも・・・
 明日噂になってたりして。
 別にこれくらいじゃ大したことないかな。
 そんなことはどうでもよくて。
 早く行かなきゃ。


 私が武道場に着く頃には武が鍵をかけるころだった。
 手には傘を持ってる。
 持ってなくてもよかったのに。
 でも小さくて白いビニールの100円傘。
 武はそんなの持たないはずだけど?
 「あ、風音。どうした?武道場に用でもあるのか?」
 武が私に気付いた。
 まだ距離があるから少し声を大きめにして言う。
 私はもうちょっと近付いてから声をかけた。
 「舞たちと話してたらこんな時間になったのよ。あんたけがしてるし送ろうかと思って。」
 一緒に帰りたいからって言いたいけどやっぱり恥ずかしい。
 舞たちの気配りのおかげで楽かも。
 舞、ありがと。
 明日ちゃんとお礼言っておかないと。
 「俺は大丈夫だって。でも送ってくれるって言うなら甘えようかな。」
 武は武道場の鍵をまた開けようとする。
 「どうしたの、何か忘れ物でもあるの?」
 「いや、これ借り物でさ。」
 武は傘を持ち上げた。
 「置いてあったから借りていこうと思ったけどお前に送ってもらえるなら持っていく必要がないと思って。」
 あ、なるほど。
 と言うことはやっぱり相合傘・・・・
 「・・・中に入る時間もなくなっちまったけどな。」
 そんなに時間が?
 ・・・違う。
 すぐにわかった。
 昨日も感じたこの敵意。
 今日は昨日よりさらに鋭くなってる気がする。
 「またあんたか。」
 武は私からそっちに目を向けた。
 昨日私たちを狙った風使いがそこにいた。
 顔色が全く違って別人のように思えた。


 「何してんのかしら、あの2人。」
 場所は移って2年7組の教室。
 相変わらず置き去りのバッグが2つ。
 言うまでもなく京次と綺羅のものである。
 「もう帰るんじゃなかったのかい?」
 天始が揶揄するような口調で言う。
 舞は眉をひそめた。
 「気になったのよ。いいじゃない別に。瑠架は?」
 「私も気になっただけ。」
 瑠架がここにいるのは2人にも結構疑問だったりする。
 別にいるなとは言わずとも帰らないんだろうかとも思った。
 口には出さないけれども。
 「あ、日下部くん。」
 何をしていたかよくわからない2人の片割れが教室に入ってくる。
 少しばかり雨に濡れている。
 「あんた何してたのよ?外にいたの?放っておいたら風邪引くわよ。」
 「うん・・・」
 舞と天始は顔を見合わせた。
 京次はうつむいたままゆっくりと自分の机に向かっていた。
 「綺羅ちゃんは?」
 そう聞かれて初めて顔を上げた。
 「僕より先に戻ったと思ったんだけど。」
 京次はひどく落ちこんだように見えた。
 雨に濡れているため余計に悲壮感は強い。
 痛々しくもある。
 「何かあったのかい?」
 天始が問うと京次はまた首をうなだれた。
 「別に。」
 そのまま黙って何も答えない。
 座っていた瑠架が立ち上がった。
 「豊科さん。」
 舞は天始を見て何も言わずにうなずいた。
 天始と瑠架は教室から飛び出した。
 舞と京次だけが取り残された。
 京次は動きを止めていた。
 ・・・いや。
 肩が小さく震えていた。


 「持っててくれ。」
 武はバッグと傘を私に押し付けて離れた。
 さすがに2人分のバッグは持てないから濡れないように武道場のドアの前に置いた。
 それから武の背中に向かって言った。
 「待って、傷口が・・・」
 「向こうはやる気だ。傷がどうのと言ってる場合じゃない。」
 武は雨に濡れながら彼に対峙した。
 「やけに落ち着いたな。修行でもしたか?」
 武はからかうように言ったけど無反応。
 右手が肩の真上に上がり斜めに振り下ろされる。
 武は咄嗟に左に避けた。
 着地に左足を使ったけどまだ大丈夫なように見える。
 けど。
 「ちっ・・・」
 武の顔が苦痛に歪む。
 まだ痛みは引いてない!
 「武!」
 「心配すんな。」
 武は無理に作り笑いを浮かべる。
 心配しないわけないじゃない!
 何考えてるの!?
 私の心配をよそに武は攻撃と回避を始めた。
 学生服のポケットに大量に入れている『カード』を取り出して数枚を同時に投げる。
 それと同時に迫り来る風を避ける。
 けれど様子がおかしい。
 全然向こうの攻撃の手が緩まない!
 「なんで!?」
 「見ろよ。」
 武がそう言うと同時に『カード』を投げた。
 吸い込まれるように彼の元へと向かう。
 命中は確実と思った瞬間、突然下から風に舞い上げられたと思うとただの紙切れになったかのように地面に落ちた。
 彼が前回と同じような嫌な笑いがそのニキビ顔にあった。
 「風で俺の『カード』を失速させてやがる。」
 言いながらも風を避けていた。
 だけど武の体力はどんどん奪われていってだんだん動きが鈍くなっていく。
 腕や足に何箇所も切り傷が出来ていた。
 左足のものほどひどくはないけど数が決して少なくない。
 「武!」
 武は必死の表情で風を避け続けてる。
 それなのに何も出来ないなんて・・・
 「風音!傘を投げろ!」
 傘?
 あぁ、投げるのね!
 武がこっちに向かって跳ぶと同時に武に押し付けられた傘を投げた。
 着地と同時にキャッチする。
 あとは投げるだけ!
 「風音!」
 武がもう1度私の名前を叫んだ。
 「俺をやつの向こう側に飛ばせ!」
 飛ばす!?
 どうやってそんなこと!?
 「無理よ!!」
 「無理じゃねえ!やれ!!」
 やれって言ったってそんなこと・・・
 私が迷う間もなく武が私に向かって走ってきた。
 最後の2メートルくらいは跳んで柔道か何かの受身を取って私の目の前で立ち上がる。
 私は武に触れて念じた。
 武の姿が彼の向こうにあることをイメージする!
 強く、強く、強く!
 わずかな脱力感と共に武の姿が消える。
 力が抜けて膝を着くと頭の上を何かが通った。
 だけどそんなことはどうでもいい!
 「武!」
 すぐに立ち上がって武がいるはずの方向を向く。
 武は無事に転移していた。
 彼が武を認識しないうちに左胸から傘が生えた。
 白いビニール傘。
 武が真後ろから投げていた。
 彼が膝を着くと動きが止まった。
 背中から生えた傘を武が握っていた。
 血に染まった傘を引き抜くと彼は地面に倒れこんだ。
 「・・・やっちまったよ・・・」
 武は泣きそうな顔をしていた。
 初めて見る表情。
 ぼんやりと彼の体を見ていた。
 胸から血が溢れ出ていた。
 それを押し流すように雨は降り続ける。
 軽蔑はしない。
 身に降る火の粉を払っただけなのだから。
 でもこういうときに何を言うべきかを、私は知らない。


 学校帰り。
 公園で小さい男の子がボールで遊んでた。
 ボールが跳ねて私のところに飛んできた。
 私がいなければ道路に出ているところだった。
 「危ないからもっと中に入って遊ぶのよ。」
 男の子はかわいくうなずいた。
 ちょっと気になるけど大丈夫かな。
 ぼんやりとその子を眺めて、
 公園内の他の遊んでいる小さな女の子やベンチで楽しそうに話している友だちを見てから、
 また歩き出した。
 ふと振り返った。
 ボールが公園から飛び出した。
 男の子がボールに向かって走っていた。
 向こうから車が来る。
 私はバッグを置いて走り出した。
 嫌な予感がする。
 こういうときに限って予感は当たる。
 男の子が道路に飛び出すのに車はスピードを落とさない!
 私の足はそんなに遅くない。
 けど男の子には追いついても同時に車が目の前まで来てる!
 車が急ブレーキをかけるけど間に合わない!!
 私は目を伏せた。
 音が一瞬途切れてからブレーキの音がやや遠くに聞こえた。
 いつの間にか移動していた。
 車から50メートルは離れているところへ。
 車の運転手が出てきた。
 呆然と私を見ている。
 周りの全ての目が私を見つめた。
 その目に込められていた感情は恐怖と怯え。
 誰もが私を避けるようになった。


 「大沢くん。」
 いつの間にか桜くんが来ていた。
 隣には瑠架もいる。
 2人とも傘も差さずに全身びしょ濡れ。
 気にしてる様子はないけど。
 武は力なく2人を見た。
 「見てたのか。」
 2人はうなずいた。
 表情から感情は読み取れない。
 同情も憐憫も哀れみもこもっていない。
 「・・・そっか。」
 武はうつむいた。
 「大沢くん。」
 桜くんがもう1度武に声をかける。
 「君はまちがってない。」
 「・・・なんで?」
 「相手が殺しにかかってきたから殺した。それにひょっとしたら箕神さんもやられていたかもしれない。」
 3人がほぼ同時にこっちを向く。
 「ドアの傷。」
 私は振り返った。胸ぐらいの高さに大きな亀裂が出来ていた。
 横は3、4メートルくらい。
 「だけど・・・殺しには変わりないだろ・・・」
 「池口先生のことは知ってるよね。」
 武はうなずいた。
 武が持ってきた情報のはず。
 確か家で自殺とか。
 詳細があいまいだったりして情報操作されてるんじゃないかって武が言ってた・・・
 「僕が殺した。」
 まさかとも、話の流れからすると当然とも思える真実。
 誰も驚きを隠せない。
 瑠架は立ち直りが早いけど。
 「彼は人の命を糧にして自分の力を蓄えようとした。
  僕に裁く権利も義務もないかもしれないけど、誰かが彼を止めなきゃいけなかった。」
 「何が言いたい?」
 「そこの彼を止める人も必要だったんだ。それが大沢くんだった。
  君は自分だけのために殺したわけでも無目的に殺したわけでもない。
  そんなに自分を責めなくてもいいよ。君は人の命の重さを知っているだろう?」
 武は頭を振った。
 「俺は人を殺した。ここにある事実はそれだけだ。」
 「そうかもしれないけど、君が殺したことにはならないよ。情報操作するからね。」
 「何!?」
 私は息を飲んだ。
 驚きを口にしたのは武だけだったけど私と瑠架も驚いていた。
 「親戚で警察に深く介入している人がいる。
  僕と同じように殺人は隠匿される。君が法で裁かれるにはまだ早い。」
 「まだ?」
 「いろんな意味でね。今日のことはなんとかなるからできるだけ人に言わない方がいい。」
 桜くんは武に背を向けて校舎へと歩き出した。
 瑠架も何も言わず彼の背中を追うように歩き出す。
 その前に私の目を見た。
 その視線が一瞬武に移ってから戻る。
 私は武に駆け寄って傘の中に入れた。
 無言のまま家まで送った。
 「ごめんね。」
 「いや、こっちこそ・・・ありがとう。」
 最後にそれだけ言って別れた。


 何も言えなかった。
 言うことが出来なかった。
 私には人を殺した経験なんてない。
 なんて言ったらいいかわからない。
 でもわかることがある。
 武は自分で自分を責めて追い詰めてる。
 瑞稀ちゃんは事情を知らない。
 私ができるだけ傍にいてあげたい。
 何ができるかはわからないけど・・・・・
 それでもなんとかしてあげたい。
 私にできることは、他には何もないから。


 翌朝、武は普通に学校に来た。
 いつもとなんら変わりはない。
 「どうした、風音?」
 「武・・・」
 昨日はあんなに暗い顔してたけどもう大丈夫なの?
 「なんだ元気ないな?お月様か?」
 「は?」
 またわからないことを言う。
 武の笑いから推測されるものは。
 お月様、お月様、月、月・・・月?
 「だ、誰が・・・!」
 「お、当たりか?」
 「あ、あんたねえ!」
 やっぱりいつものように楽しそう。
 昨日のことなんてすっかり忘れたかのように。
 「心配したんだから・・・」
 叫んだのと裏腹に声が小さくなってしまった。
 照れくさいのもあるんだけど。
 「あ、ああ、悪いな・・・俺は大丈夫だよ、もう。」
 「うん・・・良かった。」
 2人で柄にもないことを言ってると思う。
 たまにはいいかな。

 叫んだ時に教室にいた全員が私たちの動向が気になったらしく最後まで見られたらしい。
 私たちはあとになって話題の中心になってしまった。
 ほんの少し嬉しかったのは武には内緒。
 「愛の告白?」なんて言われるのはまだいいとして「今日はお泊り?」
 なんて意味のわからないことを言うのはちょっとやめてほしかった。

















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