魔王ケイブリス 第一章 『魔王大地に立つ』







 十七話 ランスを愛した女達




―――深夜―――
 コツコツ
 真夜中のリーザス城に、小さな足音が響く。
 コツコツ
 筆頭侍女、マリス・アマリリスだ。
 誰もいない廊下を、凛とした面持ちで進む。彼女の視線の先には、香木で作られた扉。
 リーザス城四階に設けられた、絢爛かつ気品に溢れる部屋。
 コツコツ
 階段を登る。ここを過ぎれば、もう目的の部屋――リア女王の部屋だ。
 階段を登るマリスの歩調は変わらない。けれど、正面を向いていた顔が、次第に足元へと移って行く。
 リアの部屋へ行きたくない。できることならソッとこのまま立ち去りたい。
「・・・」
 どんな顔でリアに話せばよいのだろう?
 それ以前に、何を話せばいい?
 ランスが魔人に破れ、生存は絶望的だ・・・というしかない。それが事実なのだから。
「・・・」
 マリスは額に手を当てた。熱い。ここ数日、頓に体調が悪い。
 けれど、そんなことは表にださない。これから一番辛いのは、王女リア。
 そんなリアを守るべき自分は、常に万全な身体でなければならない。
 リアの不安、悲しみの全てを受け止め、包みこまねばならない。
 それゆえにリアを含め、誰にも自分の弱い部分を見せない。
 コツコツ
「・・・」
 到着してしまった。
 リア愛用の柑橘系香水が、ふわりとマリスの鼻をくすぐる。目の前に香木の扉、リアの寝室が。
 マリスはしばらくドアノブを見つめていたが、ツツと手を持ち上げた。ソッと手を握り、
 コンコン
「リア様、マリスです」
 部屋の中に呼びかけた。返事はないが、マリスには解る。リアはこの部屋にいる。
 もっとも返事が無いのは当然で、時刻は深夜の零時半。リアはとうに就寝している。
「・・・失礼します」
 小さく呟くと、マリスは右のポケットから小さな鍵を取り出した。鍵穴に差し込んで、クルリと回す。
 カチャ
 静かなリーザス城の中では、金気の音が実に心地いい。
 マリスが取り出した鍵、それはランスと同じ『王様マスターキー』。
 ランスと違って滅多に使わないけれど、マリスも一つだけ手にしている。
 重厚なカーテンが月光を遮り、ほとんど何も見えない部屋の中。ドアを開けて身体を室内へ運び入れる。
 リアの許可なしに寝室を犯すことになるが、この際構わないだろう。
 なにしろ、『ダーリンが勝ったらすぐに知らせなさい、すぐによ!』と命令されている。
「・・・」
 暗闇の中、マリスは灯りもつけずに歩き出した。何も見えていないはずなのに、その足取りに迷いは無い。
 ・・・マリスにとってリアの部屋は聖域なのだ。
 自分の部屋よりも、遥かに記憶に鮮明で、壁の染みから床の埃まで目を瞑ってもイメージできる。
 当然、椅子、衣装箪笥、机、鏡台、寝具・・・そういった家具の配置も完璧に把握しているし、
 ヒステリーを起こしたリアがゴミ箱をどのあたりにぶちまけるかも理解している。
 マリスが足を向けるのは、白いレースで包まれた寝台。
 真っ白な空間のなかで眠る、世界に比類なき愛しき存在。
 ベッドに近づくにつれ、リアの匂いが濃くなってくる。甘くて芳しくて、それでいて楚々とした薫り。
「・・・」
 マリスは黙って手を伸ばした。手が・・・ベッドをおおうレースに触れる。
 レースに手を這わせながら、ゆっくりと枕元へ回り込む。
 スゥスゥ
 小さな寝息が。暗闇に慣れてきた瞳に、シーツがこんもり盛り上がっている様がわかる。
 大きくもなく、それでいて小さくもないふくらみ。
「・・・」
 ベッドの脇に、マリス用の椅子が置いてある。
 リアに絵本を読んであげたり、お話をしてあげるために設けられた椅子。
 マリスが至福の時を味わう小さな椅子だ。その椅子に腰を下ろし、マリスはリアの寝姿に見入った。
 本当はすぐにでも起こし、報告をしなければならないのだろう。
 けれどその前に少しだけ、少しだけリアの寝姿がみたい。ほんの少しだけ幸せな気持ちになりたい――。
 クゥクゥ
 すぐ側でリアの寝息が。その寝姿は、二年ほど前から変わらない。
 『ランス人形』・・・ランスを模して作られた等身大のヌイグルミ、ヒシと抱きついて眠る姿だ。
 『ランス人形』以前、リアはこうも安らかに眠りはしなかった。
 毎日のように、女性に性的暴行及び暴行を加え、ひとしきり鞭を振るってから疲れて眠る。
 寝顔だって今とは違う。
 かすかな微笑みとともにグッスリ眠る現在に対し、以前の寝顔は冷めていて、疲れていて、どこか棘のある顔だった。
「ううん、ダーリン・・・」
 寝言だ。マリスが聞き耳を立てる。
「あはん、もう・・・エッチぃ・・・」
 きっと、ランスに抱かれる夢を見ているのだ。
「リアはダーリンのお嫁さん・・・うふふふふ〜」
 幸せそうな声だ。
 ランスがシィル達に浮気することで時折不機嫌になるけれど、
 ランスと結婚式を挙げてから、リアはおおむね幸せそうだった。
 そんなリアを見ているだけで、マリスも心から幸せだった。
「うふふふ・・・はい、あーん・・・」
「・・・」
「おいしいでしょ〜・・・ふぁ」
「・・・」
「へくちっ・・・ふぁぅ・・・ダーリン・・・」
 リアからは不安を感じない。ランスが負ける、ランスがいなくなる、そういった類の連想を全く感じない。
 ずっとリアの側にいただけに、マリスには痛いほどよく解る。
 リアがどれほどランスを信頼しているか、どれだけランスを愛しているか――。
「すぅすぅ」
「・・・リア様、ランス王の事ですが」
「すぅすぅ」
「かなみからの報告です。今日一時頃、ヘルマンのスードリ平原で戦いがあり」
「くぅくぅ」
 椅子に腰を下ろして俯いたまま、ポツポツとマリスは話し始めた。
 リアの寝顔に向けて、聞き取れないくらいに細い声で。
「ランス王が・・・敗れました。王の生死は定かではありません。状況から考えると、生存は厳しいと思われます」
 リアの呼吸は静かなままだ。明らかにマリスの言葉は届いていない。
「すぅ・・・ダーリーン・・・」
 起きてなどいない。けれど、構わずにマリスは続けた。
「今後もランス王の行方は探索いたしますが、悲しい現実も覚悟しておいてください。
 ・・・では、失礼します」
 結局リアを起こすことなく、マリスは椅子から立ち上がった。
 ・・・起こせなかった。目覚めたリアに現実を話す勇気は、いまのマリスには振り絞れなかった。
 明日だ、明日報告しよう、今日は駄目だ――。
「ダーリン・・・好き」
 立ち上がってリアに背を向けたとき、
「好きなの・・・世界で一番好き・・・」
 リアの寝言。
「うふん・・・うふふふ〜」
「・・・」
 幸せな言葉と甘い香りを後に、マリスは無言で出口へ向かった。
 なんだか胸が苦しい。扉を開いて部屋をでると、後ろ手でサッと扉を閉める。ポケットから鍵を取り出し、
 カチャリ
 錠を下ろす。胸が、胸が苦しい。
「・・・ランス王、貴方は酷い人です」
 寝室のドアに背をもたれながら、マリスは天井を見上げた。
「私はリア様を・・・貴方に譲りました。
 貴方なら、貴方ならきっとリア様を幸せにできると・・・そう信じたからです」
 寝室と違い、廊下には月明りが漏れ入る。
「・・・いつかリア様の想いを受け止めてくれる。
 いつかリア様に答えてくれる、そう思ってお仕えしてきたのにっ・・・つっ・・・」
 マリスが言葉に詰まる。ほんの少しだけ顔が歪んだような?
 けれど、一呼吸置いた時には冷静沈着な侍女に戻る。そして、
「・・・ランス王、リア様だけは私が守ります。たとえ貴方がリア様の笑顔を奪っても」
 マリスが暗い廊下を歩き始める。
「私がリア様を幸せにします」
 短い断固とした言葉。
 呟いたマリスの瞳には、
 『リアを幸せにするためならば、自分の全てを犠牲にしても構わない』――そんな決意が宿っていた。
 




―――同時刻―――
 タタタタ
 誰かが廊下をはしっている。
 バタンッ
 扉がやや乱暴にしめられて、
「はぁっ、はぁっ」
 荒い息遣いが。
 ここはランスハーレム、シィルの部屋。駆け込んできたのは・・・もちろんシィルだった。
 顔は睫毛がびしょびしょに濡れ、懸命に顔を擦っている。
「っく・・・はぁはぁ」
 広間で聞かされたマリスの言葉。
 『ランスが敗れ、生存不明。死の公算大』『敵は魔王』・・・シィルが最も聞きたくない言葉の羅列。
「はぁ・・・はぁ・・・」
 走ったあとの息切れが、次第に収まってくる。ギュッと目を瞑り、広間で笑っていた面影は無い。
 パチッ
 魔法ランプの灯りを点す。真っ暗だった部屋が明るくなる。
「っ・・・」
 急に明るい場所に出たせいで、目の前がチカチカした。手でゴシゴシと顔を薙ぎ、瞼が光に慣れるのを待つ。
「・・・」
 目が明るさに慣れてから、シィルは首にかけた袋を引っ張り出した。
「・・・すん」
 ピンク色の袋を開けると、小さな貝殻が掌に零れる。
 ピンク色に淡くひかる貝殻・・・キルキル貝が。ランスがシィルに預けた、ランスの宝物の貝。
 この貝を貰った瞬間が鮮明に浮かび上がる。


――――――
 牢獄都市ボルゴZから、シィルを助け出した日のことだった。
 数ヶ月別れていたにもかかわらず、ランスはいつものランスだった。
 夜。豪快に笑いながらシィルを抱き、七発胎内に放ったランス。
 二人添い寝しながら朝を向かえ、シィルが自室に引き取ろうとした時だった。
 おもむろにシィルを呼びとめ、何かをぞんざいに放り投げる。
 慌ててシィルは受け止めた。それが、このキルキル貝だった。
 『いいか、絶対になくすなよ! 俺様が見たいといったらいつでも見せられるように、ずぅっと持っとけ』
 『貝殻は非常に繊細なのだ。だからすぐに壊れる。
  壊したら駄目だから・・・こけたり怪我したりするな。いいな、謝っても許さないからな』
 『それと・・・俺様がいつキルキル貝を見たくなるか解らん。だから・・・俺様に呼ばれたら速攻で来るんだぞ?
  その貝は俺様の宝物なんだからなっ』
 吃驚しているシィルに、次々と命令を下すランス。
 『壊すな』『なくすな』『肌身離すな』と、しきりに貝の重要性を説く。
 けれど、シィルからすれば、疑問だらけの命令だった。

(そんなに大事な貝を、どうして放り投げたりしたんですか?)

 ついさっきランス自身が、ポイッと貝を放ったのだ。

(宝物なのに、私に預けていいのですか?)

 いまだかつて、ランスがシィルに宝物を預けたことは無い。
 確かに財布や世色癌は全てシィルに持たせているが、
 ランスの宝物・・・『貝』の類は誰にも触らせないランスなのだ。
(それほど大事なら、どうしてランス様が持たないのですか・・・?)
 なにもシィルに持たせる必要はない。
 貝が壊れて欲しく無いなら、鉄の箱に綿をつめ、その中に収めればいい気がする。
(・・・ランス様・・・?)
 さっきから、シィルはランスを見つめている。
 数ヶ月ぶりに見るランスの顔。凍るように寒い牢獄で、思い続けた男の顔。
 けれど、ランスはシィルと目を合わせようとはしない。ポリポリ背中を掻きながら、窓の外ばかり気にしている。
(・・・もしかして)
 明らかに様子の違うランスを見るうちに、小さな疑問がシィルに浮かんだ。
(私を心配して・・・この貝を渡してくださるんですか・・・?)
 しきりに背中を掻くランス。
「あ、あのぅランス様・・・?」
 恐る恐る話しかけたシィルに、
「ええい、もういいっ。と、とにかくキルキル貝を大切にしろ!」
「はっ、はいっ!」
「以上だ、俺様はもう一度寝るっ。お前も自分の部屋に帰れ!」
「はいっ」
 二の句を告げさせないランスだった。
 その日の内に、シィルはピンク色の袋を作った。
 ランスの好きな緑色で作ろうかとも思ったけれど、やっぱり自分の好きな色にした。
 出来るだけ柔らかい生地で、中にはいっぱい綿をつめて、ホコホコした袋を作った。
 キルキル貝をしまう時、『まるで子宮のなかの赤ちゃんみたいだ』と、とても嬉しかったことが思い出される。
 結局、キルキル貝がランスにとってどれくらい大事なのか、ランスに確かめてはいない。
 ただ、シィルがキルキル貝を預かってから、ランスが一度も『キルキル貝を見せろ』といっていないのは確かである。
――――――


「ランス様・・・」
 涙で濡れていたシィルの顔は、貝を見つめるうちに柔らかくなっていた。
 涙もとまり、流れた跡だけがくっきり残った顔。
 どのくらい貝を見つめていただろう、おもむろにシィルの口が開いた。
「わたし・・・こうやって大事に預かってます」
 貝に向かって話しかける。
 そう・・・キルキル貝がランスの宝物かどうかはわからないけれど、シィルにとっては紛れも無い宝物。
「ランス様が・・・ランス様がいつ『見せろ』っておっしゃられても良いように、大切に預かってます」
 誰もシィルに答えはしない。
「シィルは・・・約束を守ります。絶対に・・・絶対に破りません。
 キルキル貝といっしょに、ランス様のお帰りをずっと待ち続けます・・・」

 ウサギのように真っ赤な瞳。
 けれど、もはや涙も悲しみも流れ落ちていた。残ったのは、信じる気持ち、決意。
「ランス様は約束を破ったりしません・・・。だから・・・シィルも破りません!」
 キュッ
 両手でキルキル貝を包み込み、シィルはその場に跪いた。キッと見開き、窓の外のつきを見据える。
「ランス様、たとえ世界中がランス様を信じなくても・・・シィルは信じます。
 ランス様が言った言葉全部、全部信じていますからっ・・・だから・・・」
 ギュッ、と唇をかみ締め、
「・・・待ってます・・・」
 小さな小さなシィルの部屋に、か細い声が流れた。
 




 ・・・あとがき・・・
 十七話です。
 個人的に、シィルは『それでもランスを信じる』、リアは『とにかくランスを信じる』キャラだと思ってます。
 どっちもランスを愛してるんだろうな〜。今回はそんな二人を書き比べて見たかったです。
 失敗しました、リア、寝言しか言いません。『ランスが死んだ』とか聞いたら、絶対ヒステリー起こします。
 それで、まぁ寝言なら落ち着いているでしょうから。(冬彦)









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