魔王ケイブリス 第一章 『魔王大地に立つ』







  三話 出撃の前夜祭




 日が落ちて、あたりはすっかり暗くなる。
 いつもならばハーレムの誰かと『しっぽりがはは』なランスだけれど、今日はいつもと様子が違った。
 ベッドの上にドカッとすわり、何か考え事をしている。と、静かに叩くノックの音が。
 トントン
「・・・マリスか?」
「はい。失礼します」
 入ってきたのはリーザス筆頭侍女、マリス・アマリリスだった。
「そろそろ来る頃と思ってたぜ。ヘルマンに行く軍勢のことなんだが――」
 話し始めたランスを遮るマリス。
「そのことですが、ランス王が出て行った後、ゼスから使者がきまして」
「・・・ちっ、なんなんだ。人の話に口を出すな!」
「ゼスにも魔人が攻め込んできたそうです」
 話の腰を折られたために文句を言おうとするランスを制し、
「これがガンジー殿からの書簡です。先程カオル殿が持参されました」
 ゼスからの手紙を突き出した。
「ゼスに魔人だぁ? ふん、貸せッ」
 ひったくってから目を通す。

『我が敬愛するランス王へ。 
 積年人類と対立するをもってその存在意義とし果てしなき脅威となった魔人退治に協力するは我等ゼスの喜びとすると
 ころなれど魔人の肌固きこと類を見ず傷つけることあたわず願わくはリーザス魔人討伐部隊の早急なる救援の要請に
 鑑み兵力ならびに直々の英明なる指揮を賜りたく候愛を込めて ゼス王、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー』

 ビリビリ〜〜
「だぁぁ、アホかガンジーは! いや、アホだ!」
 手紙を細切れにするしたところで、マリスの解説が。
 眉間をピクピクさせているランスと対照的に、冷静そのものである。
「カオル殿の話では、どうやらガルティアとケッセルリンクが侵攻してきた模様です。
 総計6000程度とのことですが、いかが致しましょうか」
「ふんっ、あんなアホに出す兵などないわ。これから全軍でヘルマンに行くんだからな」
 プイとそっぽを向いて口にする。
「けれど、ゼスが落とされますと、次はリーザスです。
 それにゼスはリーザスのいわば属国。形のうえでも援軍は必要でしょう」
 このとき、ランスはマリスに違和感を覚えた。
 ランスが『全軍でヘルマンに行く』といった言葉を、言葉どおりに受け取っていることが意外だったのだ。
 言葉通り受け取った上で、『形の上だけでも援軍を出すべき』といわれたことが意外だったのだ。
「マリス・・・?」
 おもわず呟いたランスに、
「全軍で出るという案には賛成しかねますが、ランス王の決断は絶対です。
 ・・・厳しい戦いを予想しているのですね・・・」
 冷静さは保ちつつも、いつもより寂しそうな口調だった。
 どうやらマリスも事態を正確に受け止めているらしい、とランスは感じた。
 すくなくとも、ヘルマンに現れた魔人が当面最大の脅威であることは理解しているようだ。
 マリスが言葉を続ける。
「それでも一つ二つの援軍は出すべきです。
 たとえへルマンで勝利しても、ゼスが落ちれば人類へのダメージは計り知れません。いかがですか?」
「ちっ、全軍で出るってのは冗談だよ」
 ポリポリと頭を掻くと、ランスは自分の予定に修正を加えた。
「だったらバレスだ。黒の軍でもゼスに送っとけ、これならどうだ?」
「はい。黒の軍はリーザス総司令の軍。ゼスとしても満足でしょう・・・が、よろしいのですか?
 ヘルマン行きの主力なのでは・・・?」
「じゃあ誰をゼスに送るんだ」
「私はエクス殿が適任ではないか、と・・・」
 
 それから二人はしばらくの間、軍の編成について話し合った。
 けれど、結局ランスのいうとおりの編成に落ちついた。その編成は、
(ヘルマン行き)
・緑の軍 ランス隊    1200
     ラファリア隊  900
     アールコート隊 900
・赤の軍 リック隊    1500
     メナド隊    2200
・魔法軍 メルフェイス隊 700
     アスカ隊    500
・その他 バウンド隊   800
     ソウル隊    750
     健太郎隊    700

(ゼス行き)
・黒の軍 バレス隊    1500

(リーザス待機組み)
・白の軍 エクス隊    1000
     ハウレーン隊  1100
・その他 ミリ隊     500
     ラン隊     300
     ミル隊     1
     マリア隊    450
     志津香隊    200
     シィル隊    150

 という形。
 マリスの『ヘルマンにカスタムの軍勢を連れてゆけ』という案には、ランスはとうとう首肯しなかった。
 連れて行ったほうが絶対に有利になるのに、そうしなかった理由は、ランスにもよく分らない。
 ただ、連れて行きたくないから連れて行かないだけ。
「これで全部だな。マリス、明日の朝一で布告しとけ。出発は、そうだな、正午だ。いいか?」
「しかし、本当にこれでよろしいのですか? せめてマリア隊や志津香隊も同行させたほうが」
「ええい、うるさい! 決めたものは決めたんだよっ。いまさらゴチャゴチャいうな!」
 バーン、とベッドにひっくり返るランス。
 最初はリーザス全軍をひきいてヘルマンに乗り込むつもりだった。
 けれど、いざ編成を始めてみると、思っていた通りに編成できない自分がいた。
 連れてゆく予定からシィルをはずし、マリアをはずし、志津香をはずし―――
 結局連れてゆくことにしたのはリーザス軍人組ばかり。
 無理矢理カスタムから連れてきた部隊は、みんな待機組にしてしまった。極めつけは白の軍。
 なんだか連れて行っても意味がない気がして、とうとう待機組に入れてしまう。
 ふてくされたように天井を見つめるランス。
 編成は決まったものの、なんだか弱気な形になってしまい、自分でも不本意な決定なのだ。
 それをマリスにとやかく言われ、ムカムカしている。そんなランスを見つめると、おもむろにマリスが尋ねた。
「ランス王、ヘルマンに現れた魔人は・・・魔王なのではありませんか?」
 シーン
 凍る空気。
「・・・なんだと?」
「証拠は何もありません。けれど、そんな気がするのです。ケイブリスが・・・魔王になったのではないでしょうか?」
 ベッドに横たわり、黙ってしまったランスを気にする風もなく、マリスは淡々と話し続けた。
「美樹殿が誘拐され、リーザス側の魔人もいなくなりました。
 番裏の砦には強力な魔人が現れ、ハンティ殿の報告ではレベルが違う強さとのこと。
 連携の取れていなかった魔人たちも、急に有機的に行動し始めました」
「・・・」
 視線をランスが作った編成表に移す。
「ランス王も何か気付いている、と思っていたのですが、この編成ではっきりしたことがあります」
「・・・」
 沈黙。
「失礼ですが、ランス王に近しい方は誰も同行させていません。
 マリアさんも、志津香さんも、それにシィルさんも、です。
 ランス王は来る戦いに勝てると、必ず勝てると思っておられますか?」
「・・・ふん」
 鼻で笑う声。
「戦いなんてのはなぁ、やってみるまでわかんねぇんだよ」
 けれど、ランスに帰ってきたのは静かな溜息と、予想していない言葉だった。
「・・・やはり、怖いのですね」
「なにっ! ふざけんじゃねぇ!」
「私の知っている貴方は、そんなことはいいません!」
 起き上がって、怒声を上げたランス。そして、待ち受けるかのようなマリスの声。
 そこにはいつもの冷ややかさではない、尖った熱が込められていた。
「ぐっ」
 気圧される。ジイィっとにらみ合う二人。
 先に口を開いたのはマリスだった。口調は冷静な口調に戻っている。
「もしも魔王が攻めてきたのならば、人類は大変な状況になります。
 人類が再び魔物の奴隷になる日が訪れるでしょう。
 当然リーザスは崩壊し、リア様も魔物の風下に立つでしょう。
 いえ、ランス王の親族ということで、虐殺されるかもしれません」
 マリスの頭の中に浮かんでいるのは、二ヶ月前の光景。
 ケイブリスが愛した魔人・カミーラを手にかけて凱旋したランスの姿。
 もしもケイブリスがリーザスを滅ぼした場合、ランスへの報復としてリアを殺すことは十分ありうる。
「どのみち、一度魔人とことを構えた以上、完全に勝利しなければ人類は滅びます。
 いいですか、リア様の、そして人類の命は・・・」
 そこまでマリスがしゃべると、ランスはベッドから跳ね起きた。カオスを掴んで部屋から出て行こうとする。
「ランス王! すべて貴方の肩に・・・」
 バタン
 荒々しい音と共に、ランスは部屋を後にした。一人残されたマリスは俯いて、
「貴方の肩にかかっているんです・・・リア様の運命が」
 静かに、とても静かに呟いた。



「うぅん、ふう」
 リーザス城の夜、シィル・プラインの部屋。
「うーん、うーん・・・ だめ、眠れない・・・」
 ベッドにもぐりこんで、もうどれくらい経ったろうか?
 いつまでも胸がドキドキして、ちっとも静かになってくれない。
 シンと静まり返った部屋に、自分の鼓動だけが響いている。
 カーテンの隙間から月明かりが漏れてくるため、部屋の中は割りに明るい。
 シィルはここ数日、ずっとランスのことを考えていた。
(もっとも、シィルはいつでもランスのことを考えているけど)特に最近は、心のそこからランスのことを考えていた。
 ランスが心配なのだ。このごろのランスは、パッと見はいつものランスだけれど、シィルから見れば全然違う。
 何かを必死で押し隠しているような、そんな印象を受けるのだ。
「ふぅぅ、もぞもぞ」
 身体をくねらせて、すこしでも眠りやすい体勢を取ろうとするけれど、焼け石に水。
 いつもならそろそろ眠りにつく頃なのに、今日はサッパリだ。やはり、広間で聞いた言葉が効いている。
『コルドバ隊全滅』
『新しい魔人』
『レベルが違う』
 そして、手紙を握りつぶしたランスの表情。
 恐怖を投げ捨てるみたいにムキになっていたランス。
 そんな光景がシィルのあたまを離れなかった。
「だめだ・・・」
 シィルはこのまま眠ることを諦めた。もそもそと掛け布団をはらい、ベッドから出る。
「ランス様のお部屋に行きたいな・・・ でも、他のコがいたら悲しいし・・・」
 ポソポソ呟きながら服を着替える。
「中庭に行こうかな・・・? 風に当たったらいい気持ちかもしれないし・・・ うん、そうしよ」
 寝巻きを着替えると、シィルは部屋を後にした。誰もいない廊下を渡り、階段をトントンと降りてゆく。
 うるさくしないようこっそりと。
 夜のお城はお世辞にも楽しい雰囲気ではない。やたら広くって、やたら暗くって、やたら怖い。
 シィルも御多分に漏れずビクビクしながら、やっと中庭まで出ることができた。
「うわぁ、いい風・・・」
 ベッドの中で火照った身体を夜風が撫でる。心臓のドキドキも落ち着いてきたような。
「お月様も綺麗・・・ そっかぁ、満月だったんだぁー」
 どうりで明るいわけだ。噴水の辺りまではっきり見え・・・る?
 伸びをしながらあたりを見回したシィルの瞳に人影が写った。
 噴水のそばに佇む三つの影。小柄な影が二つと、見慣れた影が。
「えっ? ランス様?」
 思わず呟くと、シィルはそっと物陰に隠れた。
 なにか話をしているようで、シィルが出て行きづらい雰囲気だったからだ。
 陰からそぉっと顔を出し、ランスの様子を窺ってみる。
 何かランスが喋っているのは分るけれど、何を言っているかは聞き取れない。
 盗み聞きは良くないと思いつつも、シィルは少しずつ近づいていった。


 人影に気付いてから数分後、シィルは噴水の裏手に回りこんでいた。
 月明かりの逆光になるため、相手からは気付かれていないだろう。
 ランスらしき人影は・・・やっぱりランスその人だった。風に揺れるマント、たなびく髪。
 そして、噴水の縁に腰を下ろし俯いているのが小川健太郎、健太郎の前にたっているのは人型になった日光だった。
 ここまで来れば、交わされる会話もハッキリ聞こえる。
「・・・ってわけだ。おそらくサテラもメガラスも、寝返っちまっただろうな」
「話を聞く限り・・・そう考えるのが妥当でしょうね」
 ランスと日光が言葉を交わす。健太郎は俯いたまま。
「俺様はケイブリスをぶっ殺しにいく。
 いまリーザスで魔人を殺れるのは俺様とこの馬鹿だけだから、当然コイツもつれていく―――つもりだったんだがな」
 健太郎を一瞥するランス。
「健太郎殿は、あれからずっとこの調子で・・・
 美樹様を攫われたのがよっぽどショックだったのでしょう・・・」
 日光は寂しそうに呟いた。自分の主がこれほどに脆い人間と知り、日光も寂しい思いなのだろう。
 と、ランスがふいに健太郎の胸倉を掴み上げた。
「なっ? ランス殿?」
 駆け寄る日光、けれど、日光が制止する前にランスの拳が炸裂する。
 ドガァッ
「うわぁっ」
「ランス王、なにをっ・・・」
 吹き飛ぶ健太郎。驚きの声をあげる日光。余りに突然のパンチだった。
 日光には見向きもせずに、足元の健太郎を睨むランス。搾り出すような声で、
「見てらんねぇな、くそったれ! 落ち込んでいれば美樹ちゃんが帰ってくるのかぁ?」

「う、ううう・・・」

 口の中でも切ったのだろうか、しきりに手で血を拭う健太郎。
「てめぇ見たいな馬鹿を好きになった美樹ちゃんが哀れだぜ。浮かばれないね」
「・・・」
 ゴシゴシと擦り続ける。
「もうお前なんかしらん。一生一人でいじけてろ。
 ・・・明日の正午、俺様はヘルマンに行く。美樹ちゃんの仇を殺しにな。お前は・・・昼寝でもしとけ」
 ブワッとマントを翻し、ランスは城に戻っていく。
 背中から噴出す殺気。鬼気迫るオーラにおされ、日光もシィルも、ただ見送るしかできなかった。
「くっ、くぅぅっっっ!」
 こらえていたものが溢れ出したのだろう。跳ね起きて駆け出す健太郎。
 ランスから逃げるように全力で駆けて行く。月灯りに光る涙が、見えたような見えなかったような。
 噴水の音だけが響く中、シィルと日光は互いに別の方向をじっと見ていた。
 シィルはランスの背中を、日光は健太郎の背中を。共に、自分の主の背中を見つめていた。


「シィルさん、そこにいるのでしょう? こちらへ出てきてはどうですか?」
「きゃあっ」
 ボ〜〜っとランスの消えた方角を見ていたシィルに、いきなり女性の声がかかった。
 慌てて振り向くシィルにうつったのは、ニッコリ微笑む日光の姿。覗いていたのがばれてしまったらしく、
「あ、えと、す、すみませんっ! 覗いたりして・・・」
「ふふふ、気にしないでください。それより、すこしお話でもしませんか?」
 謝るシィルを気にせずに、日光は噴水の縁に腰を下ろした。縁の隣をパッパッと払う。
「どうぞ?」
「あ、ありがとうございます。それじゃ、よいしょ・・・」
 シィルもおずおずと腰を下ろした。日光と至近距離で向き合うのは初めてだ。
 月明りにキリリと締まった口元。とても凛々しくて、美しいと思う。
「さっきの話、どのあたりから聞いていたのです?」
 遠くを見つめながら日光は尋ねる。
「はい。サテラさん達がリーザスを裏切って、ランス様と健太郎さんだけが魔人と戦える・・・
 というところから聞いていました」
 日光は怒っていないようなので、シィルはためらいつつも正直に答えた。
「そう・・・ それじゃ、肝心なことは聞いていないのですね」
「肝心なこと・・・ですか?」
「そう。ランス殿は、シィルさんに何もいっていないはず」
 遠くを見つめたまま、トツトツと話す。次に出てきたのは、シィルにとって信じられない台詞だった。
「ランス殿は、美樹様はもう死んだと考えています」
「えっ、死ん、だ?」
 唐突に出てきた言葉。思わず反芻してしまう。
「死んだって・・・そういったんですか?」
「ええ。そして、健太郎殿も・・・私自身もそう考えています」
「そんな・・・酷い・・・」
 シィルは手で口を押さえた。
 シィル自身も美樹が無事でいるとは思わなかったけれど、こうもハッキリ『死んだ』といわれると、嗚咽が漏れてくる。
「でも・・・でも、まだ決まったわけじゃ・・・」
「いえ、美樹様は死にました。その証拠に・・・新しい魔王が誕生しました」
「ま、まおう?」
 美樹の死を否定しようとしたシィルだったが、日光の言葉が安易な楽観を彼方へと流し去る。
「まおう、ですか? えと、意味が分らないです・・・」
「言葉のとおりです。おそらくは、ケイブリスが・・・美樹様を殺し、魔王となったのでしょう」
「ええぇっ!」
 シィルの身体に電流が走った。魔王って、あの『魔王』?
 ジルやガイのように全ての魔人を統べる、あの『魔王』?
「ど、どうしてそんな・・・」
 シィルの声は上擦っていた。俄かに信じられはしないけれど、日光の顔は嘘や冗談を喋る顔つきではない。
「私は魔人、そして魔王を斬るために、自分を剣に変えてもらいました。
 それ以来、魔人の類には身体が反応するのです。先日・・・そう、三日程まえでしょうか」
 静かな声で続ける。
「何かを感じたんです。何か、凄まじい力の波が生まれてくる気配を。
 禍々しい何か、私達にあだなす何かです。以前、ジルに感じた波動に似ていました」
 噴水の音、風の囁き。
「・・・ひょっとすると美樹様は生きていて、魔王が覚醒したというのも私の勘違いに過ぎないかもしれません。
 けれど、ランス殿も私も、そして健太郎殿も、みな魔王誕生を確信しています」
 思いもよらない言葉。日光さんはなにをいっているんだろう、魔王?
 シィルにも嫌な予感はあったけれど、魔王に思いを至らせたことはなかった。魔王が覚醒した?
 それも、ランスが敵対しているケイブリスが魔王に? 
「・・・」
 いきなり『魔王』という単語をぶつけられ、シィルはなんといっていいか分らない。
 ただ、黙っていた。日光は黙っているシィルに向き直り、淡く微笑む。
「ふふふ・・・ いきなりこんなことを聞いても、実感は浮かばないでしょうね・・・
 正直な所、私も魔王と対峙したことはないので・・・
 自分にも実感はありません。魔王が実在するのか、どのような力の持ち主か。
 けれど、ヘルマンに行けば分ることです。おそらく、いままで対峙した魔人とは別次元の生物でしょう」
「・・・あの、どうしてそんな話を・・・私にするんですか?」
 膝に置いた手をキュッと握ると、シィルは日光に尋ねた。
「理由・・・ですか? そうですね、理由・・・」
 日光の瞳はシィルをジッと見つめている。暗がりに浮かぶ日光の端整な輪郭、楚々とした口元。綺麗だ。
「・・・昔話になりますが、ある村に一人の女がいました」
 遠い目に戻ると、日光は話し始めた。
「父と母と、兄弟。決して裕福ではありませんでしたが、平和で穏やかな生活でした」
「・・・?」
「父親は武士として、命がけで村を守っていました。兄も、そして女も父親にならい、武士の嗜みを学んでいました。
 村を守ることが自分達の役割であり、生きる意味だと父親はいつもいっていました。
 けれど、所詮は人間。いくら己を鍛えても、いくら知恵を絞っても、魔人の前では全くの無力です。
 ・・・きまぐれに村を襲った魔人のせいで、村人は皆死に絶えました。
 父親も、母親も、そして兄もです。女だけが生き残りました」
 冷めた声だった。淡々とした口調だった。
「女は魔人を憎みました。人間の生活を気まぐれに壊す存在を許せませんでした。
 そして、魔人を倒すこと、それが家族への手向けと考えました。
 ゆえに魔人を倒す旅に出て・・・その旅は今も続いています。これが、ある女が魔人と戦う理由です」
「日光さん・・・」
 日光の横顔は寂しそうで、シィルはその横顔に吸いつけられていた。
「魔人は恐ろしい存在です。強く、残虐で、人間に価値を見出しません。
 そんな存在とことを構えるには、誰しも大きな理由があります。
 自分の恐怖心を支えてくれる理由なしに、魔人、まして魔王に立ち向かうことはできません。
 そんな支えにも様々なものがあるのでしょうが・・・ランス殿を支えているものは・・・シィルさんのように感じます」
「えっ―――」
 息を呑むシィル。
「おそらく・・・ですけれど」
「そっ、そんな、私はランス様の・・・傍に置いてもらってるだけで・・・」
 顔を真っ赤にさせどもるシィルを見て、日光は少し笑った。
「くす。そんなことはありませんよ?
 ランス殿の帯刀として共に過ごし、私もランス殿の本心を垣間見てきましたからね」
「え、えと・・・」
 困ったような、嬉しいような、何ともいえない表情を浮かべるシィル。と、日光は再び真剣な顔つきに戻った。
「・・・それで、私がこのような話をした理由ですが・・・」
 一呼吸置いて、
「ランス殿を支える人間が、ランス殿が進む道を知らないというのは適当でない気がしたから、でしょうね。
 強大な存在と対峙する以上、いままで以上に強く支えてもらいたいはず
 ・・・けれど、ランス殿は『支えて欲しい』といった弱音は一言もいいませんでした。
 そんな姿勢は寂しいものです。シィルさん・・・?」
 噴水の縁から腰をあげ、シィルに向き直る。
「はい」
 日光を見上げるシィル。シィルを見下ろす日光。
 ファサッと着衣をはためかせ、座ったままのシィルに手を伸ばした。
「・・・ランス殿があなたを待っています。健太郎殿も私を待っていることでしょうし・・・
 お互いに自分の居場所へ戻りましょうか」
「・・・はい・・・ 日光さん、ありがとうございました」
 日光の手を取り起き上がったシィルの口からは、自然に感謝の言葉がこぼれていた。
 一礼し、健太郎の走り去った方向へ歩き出す日光。シィルは日光の後ろ姿を見送ると、
 トトト
 リーザス城へと駆けていった。中庭に、噴水の音だけが聞こえていた。



 深夜。満月の明かりだけが差し込む部屋で、ランスは天井を睨んでいた。
 ヘルマンからの使者、青の軍の使者、マリスとの会話、日光との会話・・・
 美樹が、リトルプリンセスがいなくなって、幾つもの歯車が軋み、弾けてしまったような。
「けっ。相手が誰だろうと、俺様が最強だ! 最強なんだよっ――」
 どうにも眠れそうにない。かといって、ハーレムから女性を呼ぶ気にもならない。
「けど、考えてみたら俺様だけか・・・ サテラもメガラスもいないし、健太郎はあのザマだろ・・・?
 ってことは、俺様だけが魔人と戦えるってことだよな・・・」
 改めて現状を考えると、ランスといえどげんなりする。いや、げんなりなどと生易しいものではない。
「いくら俺様が最強ってもなぁ・・・ 一人だけ、か」
 チッ
 舌を鳴らす。
「新しい魔人、だと? くそっ、なんでそんなのが出てくるんだよっ!」
 バフッ
 ベッドを殴る。舞い上がる埃。
「・・・」
 ある思い付きが、フッとランスに忍び寄った。耳元でこっそり囁く。
『逃げないのか?』
「・・・」
『お前が魔人と戦う理由はなんだ?』
「・・・」
『リーザスがどうなろうと構わないだろ?』
「だぁぁ、うっせぇ!」
 ガンッ
 壁に拳を叩きつける。
「ちっ、俺様としたことが・・・逃げる、だと?
 けっ、魔人だか魔王だかしらんが、俺様は勝つ! 気に食わない奴らはぶっ殺す! それだけだっ」
 自分が魔人と戦う理由だと?
 決まっている、魔人が気に入らないからだ。
 人間の攻撃を受け付けず、出鱈目に強い。人間を遥かに凌ぐ能力を持ち、勝手気ままに振舞う。
 ランスのうはうはな生活を邪魔し、ランスの女達に危害を加える。そんな存在は潰すに限る。
「みてろよ、ケイブリスめっ!」
 

 小さく、しかし鋭く呟いた時だった。廊下から声が聞こえたのは。耳慣れた呼び掛けが。
「ランス様・・・シィルです。お部屋にあがってもいいですか?」
「シィルだと・・・? ・・・ふん。さっさと入れ」
 ランスは不審に思いつつも、ぶっきらぼうに答えた。
 いままでは、シィルが自分からこの部屋に来た事はない。ランスが『呼ばれたとき以外くんな』といったからだ。
「失礼します」
 灯りを点けていないために表情は窺えない。けれど、どこか思いつめたような。
「なんだこんな夜更けに。俺様に抱いて欲しいのか? 抱きたい時は呼ぶから、黙って部屋でまってろ・・・」
 仰向けのままで、ランスはぞんざいに話しかける。
「すみません、ランス様・・・ でも、どうしてもお顔が見たくなって・・・」
 うなだれるシィル。
 日光の『ランスがシィルを待っている』という言葉に背中を押され、ランスの部屋に来たものの、
 『呼ばれたとき以外は部屋にくんな』という言いつけを破ってしまったわけで。
「あの、ええっと、その・・・ さっき、日光さんからお話を聞いたんです。
 ランス様と日光さんが話しているのを見て、気になってしまって、それで・・・
 ランス様が―― あぁっ、すいません勝手にお話を聞いたりしてっ!」
 おたおたしながら支離滅裂なシィル。ランスはベッドから起き上がると、
 ポカッ
「ひんっ。すいませんっ」
「もうちょっと落ち着け。何を言ってるのかさっぱりだぞ・・・ で、どうしたんだ」
「は、はい。あの、日光さんのお話だと・・・」


 シィルは日光から聞いた話を繰り返した。
 ランスがいまから凄く強い存在と戦おうとしていること、
 魔王かもしれないこと、ランスしか期待できる戦士がいないこと。
 日光が語った自分自身のこと。魔人と戦う恐怖のこと。


「・・・そんな話をしてくれました」
 黙って聞いているランス。そんなランスを見ているうちに、シィルの気持ちは変化していった。
 いつもなら、『バカッ』とか『奴隷のクセに生意気だッ』などという罵声と共に拳骨が飛んでくる。
 けれど、今日のランスはやけに静かだった。
 部屋に入る前は、ランスの不安を少しでも和らげようと思っていた。
 ランスのためになる、何かをしようと思っていた。
 けれどもいつもと違うランスを見るうちに、シィル自身の不安が募ってしまったのだ。
 けれど、自分の不安を見せてはいけない。自分はあくまでランスの力になりたい。ランスのために何かしたい。
 溢れそうになる不安、こぼれそうになる涙を押さえ、シィルは続けた。
「・・・ランス様。
 シィルは、どんなことがあっても・・・ランス様についていきます。ランス様の・・・奴隷ですから」
「っ・・・」
 ランスのかみ締めた歯の間から、小さな音がした。
「どこにでも、どんなときでもついていきます。
 ・・・ランス様が許してくれるなら、いつまでもついていきたいです。
 ずっと、ずっとついていきたいです・・・ひっく」
 何を言っていいのかわからず、シィルは『ついていく』といい続けた。
 ランスを励ます言葉は思いつかないし、励ますなどと考えても見ない。
 ランスを支える、というのもシィルには違和感のある表現だ。シィルとランスの関係には相応しくない。
 シィルにとって、二人の関係とは・・・『ランスについてゆくシィル』。
 どんなことがあっても、ランスの傍を離れない存在に、自分がなれればいいと思う。
 そして、ランスもそんな存在を求めているのではないか・・・? と思う。
 結果、いまの自分がランスにいうべき言葉に、シィルは『ついてゆく』を選んでいた。
「・・・ひっく、ランス様についていきます。ランス様と一緒に、いつまでも・・・っく」
 何度も何度も繰り返すうちに、シィルの瞳から涙がポタポタと零れていた。
 なんだか、もう二度とランスに会えないような気がしてきたのだ。
 ランスと一緒に歩いた冒険の日々が、どこか遠くへいってしまうような。
「・・・っく、ひっく・・・きゃっ!」
 ポカッ
「ええい、何をめそめそしてやがる!」
 涙をボロボロこぼすシィルに、懐かしい感触が蘇った。
 今までに何度も何度も、おそらく一万回は味わった感触。痛いけれど、そんなに痛くはない不思議な感触。
 ポカポカッ
「あうっ、ううぅぅぅー――」
 押さえていた不安が堰を切り、シィルはランスの胸に飛び込んでいた。身体全体をランスに預ける。
「いいか、日光さんが何を言ったか知らないがなぁ、俺様は無敵だっ」
「ううう〜〜、ランス様、ランス様っ!」
「魔人だか魔王だか知らんが、絶対に勝つ」
 ギュッ
 シィルの背中に回された手に力がこもる。
「俺様は・・・絶対に勝つ!」
「ランス様ぁ・・・あっ」
 背中に回された手がするすると移動し、シィルの股間へと・・・
「あっ、あの、ランス様?」
「がはははは! 景気付けだ、いまから一発するぞっ」
「えっ・・・ひゃあっ」
 ランスは軽々とシィルを持ち上げ、そのままベッドへ放り投げた。
 スパパパーン
0. 1秒で服を脱ぎ散らかすと、
「いくぜシィル!」
「あっ、あ、ランス様ぁっ」
 シィルに馬乗りになるランス、ビリビリ〜っとシィルの服を破き、肌と肌とを密着させる。
 それから数時間の間、月明りが仄白く照らす部屋に、ランスとシィルの嬌声が響いた。



 いつしか月も隠れてしまい、真っ暗になった空。
 ランスの部屋には、ランスとシィルが仲良く添い寝していた。
 いつになく激しい行為のせいで、シィルは疲れ果てたのだろう、ぐっすりと寝ている。
 短時間で七発もしたのだ、当然といえば当然だろう。ランスは・・・そんなシィルの横顔をジッと見つめていた。
 暗闇の中、見えるはずはない。けれど、ランスには見えるのだ。
「ランス様・・・ シィルは信じてます・・・」
 思い出したように呟くシィル。ランスは、シィルの奴も寝言をいうんだな、と新鮮に感じた。
 いつものランスは行為が終わると速攻で眠り、朝は気分が乗るまで絶対に起きない。
 そのせいでシィルの寝顔を見たことがなかった。もちろん寝言を聞いたこともない。
「ランス様ぁ・・・ 一人にしないで・・・ 捨てないで下さい・・・」
 くぅくぅと小さな寝息の合間、寝言でランスに訴えるシィル。出てくる言葉は、
『捨てないで』
『一人にしないで』
『信じています』
 といったもの。
「ふん、よっぽど俺様に捨てられるのが不安なんだな、コイツは――」
 寝顔に軽くデコピンをはなつ。けれど、ランスは気付いている。
 シィルが不安に思っているのは、ランスに捨てられることではなく――
 ランスが旅立ってしまうこと。誰も手の届かない世界へいってしまうこと。
「まぁだ俺様のことを分かってねぇな・・・ いいか、お前は俺様の奴隷だ、簡単に捨ててたまるか。
 それに・・・一人にするつもりもないぞ?」
 頬っぺたを軽くつねってみる。
「ひゅあ、ひゃんふひゃひゃぁ〜〜」
 情けない声とともに、シィルの眼から流れる涙。暗闇のせいでランスには見えないけれど。
「ふん・・・」


 それから眠りにつくまでの間、ランスはずっとシィルを見ていた。





TOPへ      

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送