魔王ケイブリス 第二章 『リーザス陥落』







  七話 僕は元気だよっ




―――深夜、リーザス城の一室―――
「うう・・・寒いなぁ」
 手すりに掴まり、ゆっくりと歩を進める。カーテンを開ければほの白い月。
「あれから・・・一週間か」
 まるで夢のようで。ランスと共にヘルマンへ発ったのが十日前。スードリ平原で魔物とぶつかったのが七日前。
「あれ? 本当に一週間かな?」
 指を折って数えてみる。一つ、二つ、三つ――七つ。
 右手の指全部と、左手の人差し指に中指が。間違いない、五足す二は七。今日で七日経った訳か。
「ふぅ・・・なんだかずうっと昔みたいだよ・・・」
 夜空に呟く少女、メナド・シセイだ。西塔三階にある自室で、傷ついた身体を横たえる日々。
 そんな日々からは想像もつかないほど、生き生きしていた時代。
 ほんの数ヶ月前なのに、あの頃の面影は片鱗も無い。
「静かだよね。静か過ぎるよ」
 リーザス城西の塔は、ねずみが走る音すらしない。静かで、ひたすら静かで。
 けれど、静けさは西塔に限った話ではない。城が、研究所が、中庭が。リーザス城のあらゆる場所が静かなのだ。
 『がははは、志津香、胸を触らせろぉ〜』
 『いきなりラーンスアターック!』
 『皆のもの、出撃するぜッ』
 『世の中みんな俺様のものだっ。かわい子ちゃんは特にな!』
 笑い声の中心には緑の鎧があった。
 騒動が起これば、原因はいつでも漆黒の剣を携えている青年だった。
 噂話は決まって茶髪の王様に始まり、王様に終った。
 強くて格好よくて、すこしだけエッチ。そうだ、賢いし偉大だし、素敵に尊敬すべき王様だった。
 眼下に広がる中庭を見下ろす。メナドが素振りに精を出した木陰が目に留まる。
「・・・」
 いったいどうしてあそこで素振りしていたのだろう?
 剣術なら赤の副軍と行えばいいだろうし、相手がいたほうが力もつく。
 どうしてあんな目立たないところで、それも素振りに熱中していたのか?
「・・・」
 きっと王様に見つけて欲しかったんだな、と思う。
 ランスが近くにいるときは、そんなことを考えもしなかった。
 訓練とは人目につかないところで、一人みっちり鍛えるもの。
 素振りこそ剣術の基本であり、まだまだ未熟な自分に相応しい訓練。
 だからこそ地味な木陰で素振りをしているんだ――と思っていた。しかし、本心ではなかったらしい。
 ランスと二人っきりで剣を交わしたい、それがメナドの望みだったのだ。
 ランスと二人で、こんな会話がしたかった。
 『おうメナド。こんなところでなにやってんだ?』
 『そっか、素振りの訓練か。相変わらず熱心だな〜』
 『よし、俺様が稽古してやる! かかってこい!』
 メナドと向かい合うランス。
 『おっ、お。っと、なかなかやるじゃねぇか』
 『だがな・・・でいっ』
 メナドの剣を弾くランス。
 『がはははは! 少しは進歩してるけど、まだまだ俺様には勝てないぞ。ま、この調子で訓練するんだな』
 『じゃ、また今度稽古をつけてやるぜ。がはははは!』
 こんな会話がしたかったのだ。この数日、メナドは剣を握っていない。
 鍛えるべき部下も居ないし、傷はまだまだ完治に遠い。少し走るだけでもズキズキする。
 そしてなにより・・・もうランスは居ない。
「これから・・・僕はどうなっちゃうんだろう?」
 病院には怪我人が溢れ、毎日救援依頼が殺到する。あまりに速い魔物の進軍に、リーザス軍は何も出来ない。
 いや、たとえゆっくり侵攻してきたとしても、何も打つ手は無かっただろう。
 リーザスの主力が壊滅した事実は、誰よりもメナド自身が知っている。
 一度だけ、見当かなみが見舞いに来た。ヘルマンからレイラに助けられ、どうにか辿り着いたリーザス城。
 自分の部屋で布団に倒れこんだメナドに、かなみは何にも言わなかった。
 ただ、『ランスがいっちゃった』とだけ話し、新たな任務へ駆けて行った。
 なんでもエクス将軍の任務を手伝うそうで、リーザスの帰趨に関わるらしい。
「でも、エクスは返ってこないんでしょ?」
 誰に向かって話すのか、窓に顔をもたせかける。
 コツン
 おでこが、冷たい。ひんやりした外気が、ガラスを通して伝わってくる。
 太陽が沈んで数時間経つが、一向に眠くならない。それはそうで、昼間からズゥッと布団の中なのだ。
 確かに傷は痛むけれど、歩くくらいなら問題ない。けれど、部屋から出る気になれない。
「僕、どうすればいいんだろ・・・」
 おでこを離し、横顔をペタリと貼り付ける。ひんやり。
 温もりを欲しているのに、僕の周りは冷たいばっかりだよ。誰か、来てくれないかなぁ・・・。
 寒いのだ、怖いのだ。道しるべの無い今、リーザスの広間が怖い。
 魔物も魔人も怖いけれど、誰かに頼られることが嫌だ。どうしようもない今、全ての責任を投げ出したい。
 ただの女の子になって、思い切り男の胸で泣きじゃくりたい。頼りたい。自分の身体を預けたい。
 リーザスがどんな状況にあるか、メナドだって理解している。かつて無い窮地で打開策は、ない。
 そんな状況をレイラやマリスが引っ張っている。
 少しでも指揮ができる人間が必要な時、こんな時こそメナドが踏ん張らねばならない。
 ・・・でも、駄目だ。心の芯が脅えている。戦場から逃げ出したときは、まだまだ希望があったのだ。
 王様ならなんとかなる、そう信じて走ってきた。でも、そんな望みも潰えてしまった。王様は、いない。
「僕がこんなに弱いって知ったら・・・王様、なんていうかなぁ」
 思い切り殴られるような気もするし、笑って頭を撫でてくれる気もする。
 駄目だ、わからないや。僕はまだまだ王様をしらなかったから。もっと、もっと知りたかったのに。
「どうしたんだろう、僕。王様が居なくなったとたん、王様のことばっかりだよ・・・」
トントン
 寂しそうに月に呟いた時だった。ランスとの思い出に浸りつつあるメナドが、グイと現実に引き戻される。
 え? こんな夜遅くにノックが?
 トントントンッ
 続けて三度、乱暴に叩かれるドア。ノックに続いて、
「・・・俺だ、ザラックだ。開けてくれるだろ?」
 押し殺した声が聞こえた。
 ザラック・・・? 誰だっけ、ザラック・・・。ザラック! そうだ、僕にはザラックがいたっ。
 忘れていた。メナドには恋人が、愛する男が存在したのだ。
 女らしさの欠片もない自分を、初めて女にしてくれた人。
 不器用で異性と上手く付き合えない自分を、巧みに導いてくれる人。
 世界でたった一人、僕を女性を見る目で見てくれている――。
「ザラックぅ!」
 弾かれたように窓から離れ、メナドはドアノブに飛びついた。足の傷が軋んだけれど、そんなことはどうでもいい。
「まぁだ起きてたんだなぁ・・・っと、おいおい?」
「う、ううぅぅぅー」
 扉を開けると同時に、ザラックの胸に飛び込んでいた。
「ぅぅ―――」
 言葉を忘れたように、ただただ顔をこすり付ける。まるで捨て犬が飼い主を見つけたように、雛が親鳥に甘えるように。
「へっ、相変わらず可愛い女だぜ。とにかく、中に入れてくれよ?」
「うっ、う、うぅぅ」
 俯いて身悶えるメナド。胸元に飛びついた女を押し戻すようにして、ザラックは後ろ手にドアを閉めた。
 こんな風に迎えられるとは思っていなかったけれど、それはそれで好都合だ。
「どうしたよ? 泣いたりして、本当にメナドらしいなぁ」
 ソッと髪に手を這わし、包み込むように撫でる。ボーイッシュなショートヘアが、ふさふさと揺れる。
「俺が来なかったから寂しかっただろ? 悪いな、寂しがらせちゃってよ」
「うっ・・・ぼ、僕寂しくて寂しくてぇ」
「へへへ。ここんとこ仕事が多くてさ。ホント、メナドの代理ってのも楽じゃなかったね」
 これは嘘ではない。ランスに従軍する際、六名をリーザス城に残していった。
 補給、物資輸送、そういった事務を担当させるためであり、メナドは赤副軍の事務処理をザラックの手に委ねていたのだ。
 『俺はお前を待っている。だから、絶対に返って来いよ』そういって見送るザラックを背に、メナドは出陣の途についた。
 そして戦場から帰還してすぐ自室に引篭もってしまったので、いまだにザラックの肩書きは『赤の副将代理』である。
 ただ、あまりにもネームバリューに乏しいため、親衛隊などからは相手にされていないけれど。
「事務に会議、楽じゃないったらねぇよな〜?」
 横顔を擦りながら優しく囁く。これは・・・事実と異なる。
 メナドの留守中にザラックが行ったことといえば、
 副軍予算の五分の一をピンはねし、過去に己が犯した横領記録を他人名義に書き換えただけ。
 罪をなすられた不幸な兵士は、ザラックがでっち上げた証拠を突きつけられ、その場で首を刎ねられた。
「よしよし、辛くて・・・それに怖かったんだろぉに」
 猫なで声。普通の人間が聞けば、誰もが寒気に襲われるような。
「うん。怖かった。今も、今だってとっても怖くて」
「そうか、よく我慢したな。いい子だぞ、いい子だ・・・。
 でももう大丈夫だ。俺が着たからには我慢する必要なんてないんだからな」
 ザラックの言葉は、全てが適当で。
 『よく我慢した』? 何を我慢したのか、彼は全く考えていない。
 『いい子だ、いい子』? 何がいい子なんだろう。メナドが喜びそうな言葉を、適当に繋げて喋っているだけ。
 彼の発言は、音楽の域をでていない。
「僕もいっぱい我慢してたんだっ。一生懸命戦って、必死でリーザスに戻ってきたのに、あ、あんまりだよっ!」
 ますます強くしがみつく。ザラックの一言一言が、砂漠に降る雨のように。
「帰ってきたのにっ・・・。どうしてリーザスにいないのさっ、ちゃんと約束したじゃないかっ」
 思い切り泣ける場所を得て、メナドはわだかまりを吐き出していた。
 メナドのわだかまり、それは裏切りを咎める気持ち。裏切り? そう、裏切りだ。
 『お前らが魔物を抑えれば、後は俺様に任せとけ!』。尊敬する男性は、全軍を前に宣言した。
 会議の席でも、戦場でも、いつでも『俺様について来い!』『俺様に任せろ!』と。
 あらゆる運命と責任を背負い、それでも軽々と持ち上げる人間だったはず。それが、どうして?
「僕達が魔物を抑え切れなかったから? だ、だってっ・・・だって僕だって必死に頑張ったじゃないかぁ・・・」
「そうだよ、お前は頑張った。誰よりも自分の任務を果たしたんだから。
 それぁ解ってる。たとえ皆がわからなくても、俺だけは絶対に解ってるぞ」
 ザラックが解っているのは、メナドは慰められると喜ぶ性質だということだけ。
 メナドの弱いところを指摘し、指摘した上で『弱さを理解する素振り』を見せれば喜ぶのだ。
 どんな悲しみを抱えているか、どんな苦しみを抱えているか。そんなことはどうでもいい。
「頑張ったのに、僕は、僕はどうすればいいのさ?
 王様が何とかしてくれるって、そういってくれたから帰って来たんだよ? っく、ぐすっ」
「・・・メナド、そんなに自分を責めるな。お前は悪くない。そうだ、誰も悪くなんてないんだぞ?
 皆が頑張ったけど、仕方なかったんだ。俺もお前も精一杯戦った。それで・・・それで十分だろう?」
「っく、ひっく。でも、だけど魔物が・・・魔物が来るんだもん。僕達を殺しに来るんだよ・・・?
 王様でも勝てないなんて、だったら誰も勝てないじゃないか。僕だって、ザラックだって殺されちゃう・・・っ」
 メナドの腰にあてがわれた手が、身体を押さえつけるように。押さえつけながら、ジリジリとベッドへ向かう。
「酷いよっ・・・。こんなのないよぉ・・・。みんな、みんな信じてたのにィ」
 ザラックの腰に回した腕が、緩む。
 顔だけはゴシゴシと胸に擦りつけて来るけれど、それ以外はザラックの為すがまま。しきりに涙声で、
「酷いよ、酷いよぉぉ」
 涙でクシャクシャになりながら、ただ『酷い』を繰り返している。
 ザラックには何のことかわからない。もっとも解ろうなどとはしていないけれど。
「ああ・・・あんまりだよな。酷すぎるぜ、やりすぎだ。でもな・・・怯えたって始まらないんだぞ?
 確かに魔物は攻めて来るさ。もうノースまでやって来てる」
「あ」
 トサッ
 ベッドの端に回りこみ、小さな身体に体重をかける。あっけないほど軽やかに、メナドはシーツへ沈み込んだ。
「怖いんだろ? でもな、それでいいんだよ。人間なんて弱っちいんだから、そんなときはっ・・・」
「ざ、ザラック――」
 涙で充血し、真っ赤になった瞳にザラックが映る。優しく、自分を受けとめてくれるんだ。
 ザラックは僕を大事にしてくれる。僕のことを考えていてくれる。
 ザラックのイイ匂い、男の人の、なんだか安心する薫り。
「・・・」
 身体の力を抜き、静かにメナドは目を閉じた。涙が伝わった跡が濡れている。唇まで達した涙の小川が、健気に映る。
 どうしてこんなにも無防備になれるのか?
 ザラックに身を委ねている時、メナドの全身が無防備だ。警戒心の欠片もなく、闊達な表情もない。
 クタリと疲れたようにして、ひたすら自分を預けている。
 ニヤァ
 メナドは目を閉じている。来るべきキスを待つために、口を心持ち尖らせる。
 キスして、それから抱き合うんだ。ザラックは、キスの後で僕に乗っかってくる。
 そして、僕はザラックを受け入れるんだ。ザラックは僕を包んでくれるから、僕も・・・僕もザラックを。
 ニヤァァ
 雰囲気に流され、メナドが目を閉じてしまったとき。頭上にあるのはキスをしようとする顔ではない。
 獲物を、玩具を見るような目つきでメナドを見つめる視線があった。そう、ザラックはこの瞬間を待っていたのだ。
 口付けと見せかけ、メナドが目を閉じる瞬間。全身の力を抜き、ただザラックを受け入れる瞬間。
 ソロリ
 ポケットから何かを取り出す。薄い月明りに照らされたのは、ギラリと輝くナイフだった。
 何にも知らず、顔を赤らめている女。ザラックの舌が、上唇をペロリと舐める。
 さすがにすぐさま振り下ろす・・・とはいかない。いままで何度と無く関係を持ち、それなりに愛着だってある。
 まぁ、愛着といっても『便利な人形』程度の感情なのだけど。
 メナドが剣術、戦いに秀でていることは解っている。だからこそこうして無防備かつ目を閉じた状況を作り上げたのだ。
 いま左手を振り下ろせば確実に殺せる。首元に一撃、飛び散る飛沫。ジ・エンドだ。

――――――
 メナドの死体を二階から落とし、下の噴水辺りに放り込む。
 驚いた親衛隊に『メナドが襲われた、魔物があっちへ逃げた』などと適当なことをいい、注意を逸らす。
 そうしてガセネタに振り回される親衛隊を尻目に、ザラック一味は城を去る。
 これがザラックのプランだった。
――――――

「・・・」
 最後にキスか。それも悪くないかもしれない。
 なにしろコイツには世話になったからな。金に女に仕事まで、いろんなものを貢がせてきたぜ。
 キスの一つくらい、あげたって罰にはならねぇか。
 チュッ
「んっ」
 メナドの身体がビクンと跳ねる。
 いつもならば、キスの直後にザラックが圧し掛かり、激しい交渉が持たれるのだ。
 身体をキュッと硬くする。圧し掛かる男性に身構える。
 けれど、メナドに襲い掛かろうとしているものは、男性の肉体等ではなかった。
 銀色に光る鉄片が、いままさに振り下ろされるところなのだ――。





 ・・・あとがき・・・
 七話です。
 メナドの心理描写、苦労しました。
 なんというか、『本当はランスが好き』だけど『ザラックを信頼している』つもりで書いています。
 ランスに裏切られたメナドが、次はザラックに裏切られ・・・ってな感じですね。(冬彦)












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