魔王ケイブリス 第二章 『リーザス陥落』







  九話 赤い死神は伊達じゃない!




 リーザス城、南門。ノースへと続く街道が繋がる、リーザス城最大の門だ。
 篝火がいくつも焚かれ、そこだけ昼間のように明るい。門壁には五十名近くの兵が佇み、街道の彼方を見守っている。
 門の外側にも五十名、内側にも十数名が大地に足を踏ん張っている。誰も、一言も喋らない。
 視線を合わせようともせず、皆が遠くを眺めている。
 一際大きな篝火の前、小振りな椅子が据えてあった。腰を下ろしているのは、親衛隊隊長、レイラ・マス。
 剣技リーザスNo.2にして、現在のリーザス軍最高責任者。
 城内に残された唯一の部隊として、彼女が直々に警備を取り仕切っていた。
 そんなレイラの前に、松明を点した部下が駆けつける。
「レイラ隊長、魔法研究所に異常はありません」
「そう、見回りご苦労様。魔物が夜討ちにでるとは思わないけれど・・・何事も用心だから」
「はっ」
 ビッ、敬礼する少女。リーザス親衛隊に入ったばかりの、若干十五歳の少女だ。
 金色の軽鎧を纏い、キビキビした動きが小気味いい。ただ、目に普段の力は無く、はっきりと翳りが見えていた。
「では、貴方は休んで宜しい」
「ははっ・・・」
 頷いたものの、宿舎へ帰る様子がない。
「あら? どうかしたかしら?」
「・・・いえ、なんでもありません」
 松明が照らす中、物言いたげに俯いてしまう。
 いつもなら明るく、『レイラ隊長、御苦労様ですっ』と一声残して帰還するはずが、何もいわずに黙り込む。
「・・・そう。用がないのなら、もう寝たほうがいいわ。明日の朝も早いわよ?」
 そっけない言葉。
「はっ。 ・・・では、失礼致します」
 しばらく口を閉ざしていたが、結局何にもいわないまま、少女はレイラに一礼した。
 クルリと踵を返し、親衛隊宿舎へ向かった。辺りに再び沈黙が訪れる。
「ふぅ――」
 ぎこちない足取りで立ち去った少女を一瞥すると、レイラが小さく溜息をついた。
「何が言いたいかくらい、解ってるのよ?」
 さっきの部下が何を言いたかったのか?
 レイラはありありと想像できる。自分の返事だって決まっている。
 『エクス将軍がお亡くなりになったとは、まことですか?』――そうらしいわね。
 『で、では、魔物との講和はどうなったのです?』―――だから、失敗したのよ。
 『それでは、私たちはどうなるのですかっ?』―――戦うの。戦うしかないわ。
 『戦うったって、どうやって戦うんですか?』―――剣よ。このリーザスソードで、よ。
 『か、勝てる見込みはあるんですか・・・?』―――やってみないとわからないでしょう?
 自分でも、詭弁だと思う。やって見ないとわからないですって?
 ううん、結果は解りきってる。もしも魔人との戦いになれば、どうしたって勝てない。
 いざ戦端が開かれた時、それは敗北に直結する。
 寂しそうに、宿舎を眺める。現在400名が泡沫の眠りを貪っている場所。
 楽しい夢を見ている人間が、そのなかに何名いることだろう?
 夢は潜在心理を裏返すという。もしそれが本当だとするなら、今は眠りたくない。
 どんなに疲れていようと、起きている方がずっといい。
「・・・だめね。ジッとしてたら、嫌な事ばかり考えてしまう」
 しばらくして、レイラは頭を振った。
「はぁ」
 南門に陣取って約三時間。
 いうなれば、『魔物がいつ来るか』と緊張しっぱなしだったわけで、どうも気持ちが張りつめすぎだ。
 隊長たる自分が門を離れるのは控えた方がいいとは思う。けれどこのまま座り続けるには、余りに座り心地が悪い。
 少しだけ歩こうかしら?
 城内を見回れば、気分もちょっとは晴れるかもしれない。
 真っ暗なノース街道をぼんやり眺めながら、レイラはそんなことを考えた。その時、
「はいはいはーい! わかってまーす」
 無闇にはしゃいだ雰囲気で、松明をかざす部下がいる。
 城の見回り役を交代するのだろうか、松明を引き継いでいる部下達。
 淡々と報告する一方に対し、脳天気が方が敬礼を返した。
「お疲れ様だね。それじゃあジュリア小隊長、今から巡回に出向きまーす」
「ジュリアじゃないの・・・」
 ノース街道から目を離し、レイラはジュリアに目をやった。
 松明を手に取ると、まるで聖火かなにかのように高々と天に掲げている。
 いや、掲げているのではなく、背伸びをしているのだ。のびのび〜。
 空いている手でグシグシと顔を擦り、ポカッと口を開いている。
「ふぁぁ〜、むにゅ」
 欠伸? 目をシパシパさせながら、上半身をクネクネくゆらせている。と、
 パタン
「きゃふっ」
 貧血でも起こしたのだろうか、棒が倒れるようにこけ、尻餅をついた。
「いったぁぁい・・・。うううぅ〜」
 松明を持った手でお尻を擦ろうとして、
「あっ、熱っ」
 こんどはピョンと飛び跳ねる。まるでコメツキバッタのようで、周囲からクスリと笑いが漏れた。
 レイラも思わず笑ってしまう。いかにもジュリアらしい、ドジで危なっかしくて。見ていると飽きが来ない。
 笑われていることに気づいているのだろうか、ぶぅと頬を膨れさせている。
 ひとしきりお尻をさすったあと、ジュリアはレイラに近づいてきた。
「どうかしたの?」
「ねぇレイラちゃん、いま暇?」
 警備の代表として床机に座っている将軍を掴まえて、暇もなにもあったのもではない。
 けれども当人はいたって真面目。クリクリした目がレイラを覗き込む。
「暇って・・・。暇そうに見えるの?」
「うん、すっごく暇で退屈そうよ。だって、さっきからぼぉ〜っと遠くばっかり見てて」
 あっけに取られるレイラに、コクコクと首を振ってみせる。
「そりゃ、それが仕事だから・・・」
 何か言いかけたレイラに皆まで言わさず、ジュリアは元気にいった。
「ねっ、退屈なんでしょ? じゃあじゃあ、ジュリアと一緒にお散歩しよ?
 えへへ、ジュリアいまからお散歩なんだけど・・・一人だとちょっと怖いの」
「お散歩って・・・」
 ジュリアにとって、『見回るために歩き回ること』も、『気晴らしのために歩き回ること』もおんなじなようだ。
「ねぇねぇ〜」
 甘え声。
「レイラちゃ〜ん、一緒に行こうよォ〜」
 ゆさゆさ
 レイラの背後に回り、肩を揺すってくる。
「レイラちゃ〜ん・・・」
 怯えた調子。けれど、魔物に怯えているのではなく、暗闇に怯えているだけ。
 そんなジュリアの相手をするうちに、レイラは明るい気分が戻ってきた。
 そうだ、じっと座ったまま黙り込んでいれば、だれだって気分が滅入るだろう。
 そんな時は、ジュリアみたいに明るいコと『散歩』するのも一興だ。
「もう、しょうがないわねぇ」
 レイラは、わざと元気に立ち上がった。
「わかったわ。私がついていってあげるわよ」
「やったぁ! レイラちゃんが一緒なら、何にも怖くないねっ」
 ピョン
 はしゃいでジャンプするジュリアを尻目に、レイラは副官を顧みた。
「少しここを離れるけど、大丈夫でしょう?」
「ええ、魔物の気配はさっぱりですし。当分何も起こらないでしょう」
「なら、私の代わりをしてくれる? そうね、二十分程で戻ってくるから」
「はっ。では代理を務めさせていただきます」
「よろしい」
 敬礼が返ってきて、レイラは満足げに頷いた。レイラの周りで跳ね回るジュリアに、
「じゃ、行きましょうか?」
「うんっ」
「それで、どこの見回りなの?」
「う〜ん? ええっとォ、あれれ?」
 キョトンとなって、アッと手を口に当てる。
 次いでモジモジと腰を屈め、上目遣いにレイラを見上げる。レイラは軽く溜息をつくと、
「はぁ。貴方、忘れたんでしょう?」
 と言った。てへへ、と悪戯っ子のようなジュリア。
「やっぱりか・・・。貴方の隊は・・・三番隊だったわね。
 三番隊は――チューリップ研究所に天才病院よ。もう、一応小隊長なんだからしっかりなさい」
「ええっ。一応ってなによう、一応って」
「はいはい。それじゃ小隊長さん? 見回りに出かけるわよ」
「うん、行こう行こう!」
 やれやれといった調子で、レイラはジュリアの後についていった。心なしか、顔つきに明るさが戻っていた。





―――数分後―――
「よし、だれもいないな?」
「見回りもいませんし、いまなら行けそうです」
 暗がり、草むら、病院の側。リーザス天才病院を睨む五人の男。
「なら行くぞ! おし、今だっ」
 ダダダッ
 腰をかがめ、体勢を低くし、男達は草むらを飛び出した。
「はぁはぁ」
「はぁはぁ。それじゃあ、早速この鍵でっ」
 一人、がさがさと鎧を探ると、
「あったぜ。へへ、コイツを差し込んでっ」
 ガチャ
 深夜の静まったリーザス城に、金属のしなる音が響いた。
「うおっ、でかい音だなぁ」
「ゆっくり開けるんだぞ。このドア、相当に建て付きが悪いぞ」
「わかってるさ」
 ギギギィ
 鉄が擦れあう嫌な音。
「だっ、誰も気づいてねぇだろうな?」
「大丈夫、大丈夫。そんなにビクつくんじゃねぇよ」
「び、ビクついてなんかいねぇぞ!」
「おおし開いた。お前ら、まずは看護婦の詰所にいくからな」
「解ったぜ。お前について行くから先導頼んだ」
「おう」
 赤い鎧が一人、緑の鎧が四人。細く開いたドアの隙間から、病院の中へ吸い込まれて行った。
 赤鎧が先頭に立ち、おっかなびっくり歩みを進める。
 彼らの目的は、『リーザス赤い死神、リック・アディスンの暗殺』。大陸一の剣士と呼ばれた金髪の戦士の首だ。
 いかに重傷を負っているとはいえ、『赤い死神』の雷名は襲撃者を恐怖させていた。
 もしもリックに剣を振るうことができれば、彼ら五人が襲ったところで知れている。
 命を落とすのはリックではなく彼らの方だろう。
 ただ、リックが相当に深手を負ったことは、リーザス全域に知れ渡っている。
 嘗て一度も寝込んだことの無い男が、リーザスの危機に病院で寝ていることからも、怪我の程度が推し量られる。
 ザラックに加担した看護婦ヤミに言わせれば、
 『立つことも出来ない重傷で、剣を振るうなんて無理』だそうで、それなら彼らでも殺せそうだ。
「真っ暗だなぁ・・・」
「しっ。静かにしろ! あたりまえだろ、病人の夜は早いんだ」
 カッカッカッ
 いくら注意して足音を立てまいとしても、小さな音が鳴る。ひそひそと囁き声も聞える。
「なぁ、例の看護婦はどこにいるんだ?」
「例の・・・って、ヤミちゃんのことか?」
「そうそう、そいつ。俺らをリック将軍の所へ案内してくれるっていう・・・」
「ヤミちゃんなら、1階の詰所にいるぜ。まずは詰所へ行かねぇとな」
「そうなのか? で、その詰所ってのはどこにあるんだよ」
 コソコソと廊下を進み、角を曲がる。曲がった先も、真っ暗のまま。明かりのついた部屋は一つも無い。
「お、おかしいな。確かこの辺にあったと思うんだけどよ」
 詰所と思しき建物はない。どれもこれも静まり返った部屋ばかり。
「しっかりしろよホーテン! お前が『ついて来い』っていったんだぞっ」
「なんだ、いまさら迷ってんのかぁ?」
「ううーん、昼間ならすぐ解ったんだけど・・・」
 小声で揉めながら、彼らは1階をうろうろし続けた。





―――同時刻―――
「なんかさ、どんどん人が減っていくねぇ」
「どういうこと?」
「お城って、もっと賑やかだったでしょ? 人もいっぱいいて、兵隊さんもいっぱいいて」
 ジュリアとレイラは、中庭を抜け、チューリップ研究所の周りを周回していた。
「どうしてこんなに静かなんだろうねぇー。ねぇレイラちゃん、どうしてかな?」
「そうねぇ・・・」
 返事を濁す。
「ランスちゃんも帰って来ないし、ホントにどうなっちゃったんだろうね」
「・・・どうなってしまうのかしらね」
「エクスちゃんも、コルドバちゃんも、みーんないなくなっちゃった」
 パチパチと松明が燃え、火の粉が舞う。ジュリアが黙り込んで、シンと静かになる。
 コツン
 ジュリアは小石を蹴飛ばすと、
「リアちゃんも全然遊んでくれないし、ジュリア、コンクリおじさんしか話し相手いないの」
「? コンクリおじさん?」
「そうよ。あのね、コンクリートで固まっちゃってて動けないの。面白いんだよー」
「???」
「いっつもおなかがペコペコでね、でねでね、お弁当作ってあげたらすっごくおいしそうに食べてくれるの。
 お髭もぼうぼうで、くちゃくちゃのしわしわなんだけどね――」
 聞きなれない単語を聞いて小首を傾げるレイラ。ジュリアは夢中になって『コンクリおじさん』の説明をした。
 赤いひげ、コンクリートから首と手だけだしていること、顎が長くてひょうたんみたいな顔であること。
 好きな料理から思い出話まで、
「・・・でねぇ、いっつも悲しそうな顔するんだぁ。ジュリアが帰ろうとしたらね、泣いちゃったりするんだよ」
「ふぅん。盗賊の洞窟にそんな人がいるなんて知らなかったわ。
 でもジュリア、あそこってモンスターが出るんじゃないの? 貴方一人で大丈夫だったの?」
「えぇっ? あそこってモンスターなんかいたのっ? 全然気がつかなかった」
「ふふふ、う・そ。ランス君がキッチリ整備したから、もうモンスターは出ないわよ?」
 目をパチクリさせて驚いたジュリアに、クスクスと笑いを押し殺すレイラ。
「えっ・・・」
「嘘よ、嘘。あそこにはモンスターなんて出ないの。
 隊務もしないで何してるのか気になってたんだけど、そんなことをしていたのね」
 ジュリアの見開いた目が元に戻り、ぷぅと頬を膨らます。うぅぅー、と唸るとレイラにくってかかる。
「あぁ〜、レイラちゃん騙したっ。モンスターなんて、ジュリア凄く吃驚しのにっ!」
「くすくす。ジュリアったらすぐに騙されるから、楽しいわ?」
「騙した騙した、悪い子だっ。ジュリアちゃん騙したらいけないんだよッ!」
「ごめんね、ごめん。ふふふ、悪気は無いんだから許してくれる?」
「ぶーぶー、ぶ――。モンスターが出るなんて聞いたら、怖くておじさんのとこいけないじゃないのよぅ」
 手を合わせ、片目を瞑るレイラになおもくってかかる。
「ごめんごめん。
 そうねぇ、じゃあこうしましょう。次の休暇がとれたら一緒に・・・その、コンクリおじさん?
 その人に会いに行くのはどう? 私がモンスターがいるかどうか、ちゃんと確かめてあげるわ」
「えっ。ジュリアと一緒に来てくれるの?」
「ええ。嘘をついたお詫びでもないけど、なんだか面白そうだから」
「・・・ホントぉ?」
 信用していないトーン。
「こんどは嘘じゃないわ。それとも、私と一緒じゃ嫌?」
「・・・」
 用心深げにレイラを見上げる。
「嫌ならいいのよ。そのときは私一人で行くから」
 レイラはツンとそっぽを向いた。とたんにジュリアが一変する。
「あっあっ、嫌じゃないよ、そんなことないよっ。行こ、一緒に行こう!」
「ふふふ。それじゃ、今度のお休みの時ね。あたしもお弁当作ってみようかな?」
「わぁー、やったぁ!
 ジュリアもね、本当は一人で行くの怖かったんだっ。あそこってばジメジメで暗ぁいんだもん。
 でも、レイラちゃんがいれば怖くないよ」
「うふふ」
「わーいわーい、くるくるくる〜」
 松明をもってクルクル跳ね回るジュリアを見ると、緊張感が解けてくる。
 そういえば、戦争以外の話をしたのは何日ぶりだろう。
 リックの病室は別として、リーザス城内で喋る時には常に戦争が話題だった。
 こういった他愛のない会話、あらためて貴重だと思う。はしゃいでいるジュリアが、レイラの側へ駆けつけてくる。
「ねぇねぇ、お弁当は何作ろうか? ジュリアはね、サンドイッチしか作れないんだけど・・・あれ?」
 急にパッチリした目を細め、右手に向き直った。
「あれぇ・・・? なんだろう、今の音」
 灯りをあらぬ方向へかざし、様子を窺っている。さっきまでニコニコしていたのが、いきなり真剣な顔つきに。
「ジュリア? ねぇ、なにかあるの――」
 ギィィィ・・・
 どうしたのか、ジュリアに聞こうとしたとき。レイラの耳にも妙な音が飛び込んで来た。
 ギィィという、どこか聞き覚えがある音。
「レイラちゃんも聞えた? なんかさ、ドアを開けたときになる音だよね」
「え? ドア、ドアを開ける音・・・あっ」
 そうだ、聞き覚えがあると思ったわけだ。
 あの錆びた鉄同志が擦れあうのは、天才病院のドアをくぐるたびに聞いていた。天才病院の正門の音だ。
 こんな時間に正門が開いている筈がない。
 ゾクゥ
 レイラの背中に寒気が走る。理由はわからないけれど、なにか嫌な予感がした。
「ジュリア、ついてきなさいっ」
「えっ、えっ? あ、レイラちゃん待ってよぅー」
 戸惑いながらも、レイラに続いて走り出すジュリア。天才病院に向かって駆けるレイラ。
 二つの金色の鎧が、松明の灯りを弾いていた。





―――同時刻・天才病院―――
「ここも大分減っちゃいましたね」
「あはは、そうみたいですねぇ〜」
「正子さんも、順子さんも急にいなくなっちゃって。あ、そうそう。料理場なんかでもどんどん人が減ってるらしいです」
「そうなんですか〜」
 プシュシュ〜とコーヒーポットが湯気を噴く。ここは夜勤の看護婦、医師が集う場所。
 ランスの意思により医者から看護婦から皆女性スタッフで固められていたため、実に華やかな場所だった。
 割と広い空間に、白衣の天使がひしめいていた。
 それがどうだろう? 一人、二人、三人・・・夜勤とはいえ、たったの三人しかいない。
 コーヒーが湧いたポッドだけが、シューシューと自己主張している。
「本当にすみません、アーヤ先生。昼間の診療でお疲れなのに、夜勤にまで駆りだしてしまって・・・」
「いえいえ〜、私は全然構いませんよ〜」
「そういって頂けると助かります。私とヤミさんだけじゃ、とてもじゃないけど不安で」
「芽衣子さんの不安、分ります〜。せめて三人くらいは〜いたほうがいいですもの〜」
 ニコニコしながら、アーヤ・藤之宮は立ち上がった。コーヒーポッドに手を伸ばし、
「芽衣子さんもどうですか〜?」
 看護婦の一人に声を掛ける。
「あ、すいません。ありがとうございます、頂きます」
「ヤミさんはどうします〜?」
 もう一人の看護婦に。
「えっ、えっと、わ、私はちょっとっ」
 ヤミと呼ばれた看護婦は、慌てたように手を振った。
 さっきから一人会話に加わらず、部屋の扉ばかり気にしている。アーヤは紙コップを三つとり、
「まぁまぁ、そんなに遠慮しないで〜」
 コポコポと均等に注いでゆく。黒い液体が泡を立て、温かそうな煙が上がる。
「芽衣子さんはブラックでしたよね〜。ヤミさんもブラックでよろしいですか〜?」
 コクンと頷く芽衣子。
「あのぉ、じゃ、じゃあブラックでお願いします」
「はいはい〜。それじゃ、ブラック三つ〜と」
 紙コップをお盆に載せると、ヤミのところへ持ってゆく。
「どうぞ〜」
「え、えと、ありがとうございます・・・」
 目をあわさず、下を向いて受け取るヤミ。顔をあげようともせず、おどおどしながら受け取った。
 元気がなく、表情が冴えない。アーヤはそんなヤミを心配そうに眺め、
「元気ありませんよ〜? 疲れているなら、もう休んでも構いませんが〜?」
「いえ、大丈夫・・・大丈夫なんです」
「そうですか〜? う〜ん、くれぐれも無理はしないで下さいね〜?」
「ありがとう、ございます・・・」
「この病院、もう私たちしかいないんですから〜頑張りましょうね〜」
 ニッコリ。アーヤは笑顔を絶やさない。と、向こうから芽衣子が声を掛けた。
「そうよ、みんな逃げ出しちゃったんだもの。ヤミちゃんが倒れたりしたら、どうしようもないんだからね!」
「えっ。あ、うん・・・」
 曖昧に頷くヤミだった。自分が病院に残っているのは、アーヤ先生達が思っているような理由ではないのだ。
 とても・・・人に話せる理由ではない。
「あの・・・アーヤ先生?」
「はい〜?」
 コーヒーを啜るアーヤに、不意にヤミが話しかける。
「先生は・・・先生はどうして逃げ出さないんですか? どうして病院なんかに残ってるんです?」
「え?」
 ポカンとするアーヤ。
「先生だって知ってるんでしょ?
 ランス王が死んで、健太郎さんも死んで・・・。もう魔人と戦えない・・・って噂、本当らしいじゃないですか。
 もうリーザスが駄目だってご存知なのでしょう? どうして病院から逃げないんですか?」
 鬱々と言葉を続けるヤミ。心の中で思う。自分が逃げない理由、それはリックの部屋へザラックを案内するため。
 では、アーヤ達はどうなのか? 逃げたいけれど、医師としての体面が留まらせるのだろうか?
 偽善だ、偽善。逃げたいんなら逃げればいいんだ。
 ヤミを見下ろすと、アーヤは優しく微笑んだ。
「そんなの〜貴方と同じ理由です〜」
「あたしと、同じ?」
「はい〜。怪我や病気で動けない患者さんが、病院に〜たくさんいるじゃないですか〜」
 のんびりと語る。
 動けない患者・・・そうなのだ、現在入院しているのはリックを含め、『動けない人間』ばかりなのだ。
 歩ける患者は皆自主的に退院し、リーザス城を去っていった。
「私達が逃げたりしたら〜あの人達はどうなるんでしょう〜?」
「・・・」
 やっぱり、偽善だ。
 いい子ちゃんぶりたいから、弱いものを見捨てるなんて正義じゃない、なんて理由で残っているのだ。
 『医者として、病人と運命を共にする。逃げるなんて考えても見ない』、そう考えているんだろうと、ヤミは思った。
 けれど、アーヤの返答は少しだけ違っていたのだ。
「私だって〜逃げたいと思ってるんですよ〜」
「は?」
「ふふふ〜そんなに驚くところですか〜? 私だって死ぬのは怖いですから〜」
「・・・」
「でも〜病院の人がみんな・・・全員患者を残して逃げ出すのは〜とても悲しいんです〜」
 ニコニコ。
「誰か一人くらいは〜最後まで残らないといけない気がするんです〜。
 多分、芽衣子さんもヤミさんも〜そう思って残ってるんでしょう〜?」
「わ、私は・・・」
「二人残ってくれただけで〜私は嬉しいです〜。あ、コーヒー冷めちゃいますよ〜?」
 紙コップから立ち昇っていた湯気も、すっかり影を潜めていた。一口も口をつけていなコップが綺麗だ。
「私は・・・」
 俯き続けるヤミに、
「これからどうなるか分りませんが〜三人で頑張りましょうね〜」
 アーヤはずっと微笑んでいた。





 ・・・あとがき・・・
 九話です。
 ええとアーヤさんの会話、ジュリアとレイラの会話メインです。
 話自体はあんまり進んでません。(冬彦)


















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