魔王ケイブリス 第二章 『リーザス陥落』






 十三話 真夜中の夜明け




「ん―――」
 ノソノソと起き上がる黒い影。ビクリと辺りから触手がのたうつ。
「ぶふぁ? おぉう」
 もぞもぞと体をくねらせ、まとわり着いた人間を払い落とす。
 八本の生殖器それぞれが数体の女を絡め取り、意識を失うほどに締め付けていた。
 いや、失わせたものは意識だけではない。命も、だ。
 ケイブリスに掴まった女が、皆余りに激しい行為のせいで朽ちていた。
「あ――? まだ夜かぁ。夜、夜ねぇ」
 ノースの町、ある金持ちの家。
「夜かぁ・・・」
 何故こんな時間に目が覚めたのだろう? 運動不足だからだろうか。
 やはり、人間の女相手だと満足するまでいたぶれない。
 せめてホーネットとまでは行かなくても、サテラ、シルキィ相手でなければ己の性欲は満たされない。
 人間は、あまりにも脆い。
 肌の柔らかさ、胎内の感触は決して悪くないのだけれど、
 苦痛に歪む表情が一瞬で死相に変わる様子が気に喰わない。
 ケイブリスの目に上品な調度類が目に止まった。
 小さな机、羽ペン、紙。裸になった女が死んでいる横で、ペンだけが輝いて見えた。
「手紙、俺様にしては頑張ったなぁ・・・。頑張ったのになぁ・・・」
 カミーラの貴族然とした顔が浮かんでくる。上品で、高貴で、冷淡に人をあしらう様。
 毅然として、美しくて、ケイブリスの憧れ続けた存在。いったい何度手紙を出した事だろう?
 ケイブリスなりになんどもなんども推敲し、破っては書き破っては書いた数々のラブレター。
「・・・」
 ブンッ
 一本の腕を振るい、女の死体を斬り飛ばす。
「返事・・・そうだ、返事・・・」
 ブンブンブンッ
 辺りに散らばった女を軒並み捕まえ、
 グシャッ
 一握りに捻り潰す。
「カ、カカカミーラさんは・・・俺様に返事一つよこさずにぃぃぃ・・・・」
 もうカミーラは居ない。死んだだけではなく、カミーラの魔血魂はシルキィに吸収された。
 もうどうやっても蘇らない。この世からカミーラが消えた、もうカミーラに気を使う必要はない。
 そう考えるとケイブリスの思考は多少冷静なものになる。
 あれだけ手紙を出したのに、どうして返事一つ返ってこないのだ?
 おかしいじゃないか。ケイブリスは手紙の中ではっきり何度も『好きです、僕と一緒になってください』といった。
 なのになんの音沙汰もなしだ。
「ぐぅ、ううう〜」
 ドガァッ
 壁に腕をたたきつける。瞬時に亀裂が走り、大音を立てて穴が開く。
 おかしいじゃないか? もしもカミーラが自分のことを好きならば、絶対に返事があった筈だ。
 いままで考えないようにしてきたけれど・・・自分はカミーラに嫌われていたのだろうか? 
 ドガァッ
 振りかぶった腕を天井にぶつける。ドォンと手が屋根を突き破り、大なり小なりの破片がパラパラと降り注ぐ。
 もしもカミーラに嫌われていたとすれば・・・?
 カミーラをモノにするために魔王を目指した自分。
 自分を嫌う相手を愛し、ひたすら尽くし続けた自分。
 自分を嫌い抜いて死んで行った女のために、壮大な復讐を実行している自分。
 なんだ、この滑稽な存在は? 馬鹿か? あまりに馬鹿すぎるじゃないか、可哀想じゃないか!
「ちっ、ちっがぁぁぁう!」
 パァァァァッ
 魔物が睡魔に囚われているノースの町に、魔王の咆哮が唸りをあげた。
 ガラガラと崩れ去った屋敷から、白い光が溢れ出した。
「「グギャ?」」
「「ぴ、ピピィ?」」
 寝ぼけ眼で起き上がるモンスター達。朝日が昇ったとでも勘違いしたのだろう。
 パァァァァッ
 白い光が益々強くなっていく。光の中心に居るのはケイブリス、天を向いて六本の腕を天に向けて。
「俺様はケイブリス様だぁ! 魔王になれる存在なんだぁ!」
 叫ぶ。涙が混じった獣の叫び。魔王になれるほど強い存在が、カミーラごときに好かれないはずがない。
 それ程に彼は偉大なのだ、偉大だったのだ・・・そう必死で言い聞かせる。
 カミーラに嫌われていたなどと死んだって認めるものか。
 ケイブリスは魔王なのだ。この世で絶対無比の存在なのだ。
 それなのに、どうしてこんなに悲しい思いをしなければならないんだろう?
 夜、傍らに愛してくれる女なしに、泣き声をあげねばならないのだろう?
 カミーラさんが、カミーラさんさえここに居てくれればっ。
 ケイブリスを愛し、ケイブリスからも愛される存在が傍にいればっっっ!
「うっぎゃぁぁぁぁ! カッ、カ、カミーラさんをォォォ」
 ドッゴォォォン
 光の白球が天に昇ってゆく。
「返しやがれぇぇぇ!」
 ケイブリスの涙とともに、辺りは白色に包まれた。





 ドドドドド・・・
 細い月だけが僅かに街道を照らす中、猛烈な地響きが突き進む。
 深夜のリーザス街道。リーザス王国中心たるリーザス城下へと続く道。ノースからリーザス城へと続く道。
 ドドドドド・・・
 先程まで何の物音もしなかった場所が、何の気配も無かった場所が。
 禍々しいオーラが溢れ、はぁはぁと魔物が吐き出す息が溢れ、土埃が舞い上がる。
 これまでにケイブリス軍が夜行した履歴はない。いつでも昼頃に出立し、阻むものない町を制圧する繰り返しだった。
 けれど今、ケイブリスは進軍している。率いる魔物を叩き起こし、一路憎いリーザスを目指す。
 ケイブリスからあまりにたくさんの物を奪った男、ランスの帰るべき場所を目指す。
「うっがぁぁぁぁ・・・」
 先頭を走る巨大な魔物、魔王ケイブリス。彼に引きずられるようにして、背後の魔物が速度をあげる。
 ピョンピョンと跳ねるダークチッピ、キィキィと付いてゆくぷりょの一団。
 リーザスまではあと数十分、壊滅させる勢いで進むモンスターだった。





「ふはぁ、やっと着いたよ――あれぇ?」
 レイラと別れ、一生懸命走ってきたジュリアに飛び込んで来た光景は、篝火を中心に右往左往する同僚だった。
「ねぇねぇ、何かあったの?」
「何かじゃないです! 魔物が、魔物が攻めて来たんですっ!」
「へえ〜、そうなんだぁ」
「『そうなんだ』じゃないですよっ! もう、こんなときに隊長がいないなんてっ」
 金切り声と共に、ジュリアを置いて走り去る隊士。
「あっ、あのぉ」
 レイラからの伝言を伝える間もなく、どこかへいってしまった。
「もお、ジュリアちゃんの話も聞いてよ・・・あっ!」
 こっちへ走ってくる一人の隊士。ジュリアと同期入隊だったせいか、それなりに仲がいい女性だった。
「アリアちゃーん、ねーねー・・・わっ?」
 ジュリアがブンブンと手を振ったのに、気づいてくれなかったのだろうか?
 脇目もくれずに城に向かって走り去っていった。
「ええ〜・・・アリアちゃーん・・・」
 ポカンと見送るしかできない。
 途方にくれるジュリア、誰もが慌しくて殺気だっていて、誰もジュリアの話を聞いてくれない。
「うう〜」
 レイラから『出来るだけ早く応援を呼んでこい』と言われているのに、これではどうしようもない。
「う〜」
 キョロキョロと辺りを見回す。
 普段から部隊で『馬鹿』扱いされているジュリアに、なにか話しかけようとする隊士はいない。
「なによぅ、魔物が来たっていいじゃない。それよりもレイラちゃんが、ジュリアに言ったんだから」
 手をクルクルと弄び、足元に視線を落とす。
「・・・なによぅ、ぶぅ――」
 頬っぺたを膨らましたきり、ジュリアはしゃがみ込んでしまった。
 いじいじと地面に指を這わせる。下手クソな絵を書いて、ブツブツ不満をいう。
「ぶぅぅ――」
 誰もが忙しく走り回っている。篝火の直ぐ下にしゃがみ込んだジュリアの前を、ダダダッと誰かが走ってゆく。
「あっ、あのねっ・・・」
 顔をあげて走り去った人に声をかけたけれど、既に遠くへ走り去ってしまった。
「あのっ」
「うるさいっ! 今は貴方の相手をしてられないのっ!」
「あのー」
「・・・」
 浴びせられる罵声、ないし黙殺。流石にジュリアもつむじを曲げた。
 ジュリアには、『どうしてこんなに騒がしいのか』、まるで分っていない。
 仲間たちが『魔物が来た』『もう見えてるよ!』『凄い数』・・・そういった言葉もただの音楽にしか聞えないのだ。
「もういいもん、ベーッだっ」
 ジュリアを無視していった隊士にあかんべぇすると、ピョンと立ち上がるジュリア。テテテと病院に引き返す。
「レイラちゃんにいわなくっちゃ・・・」
 応援を呼んでこいとのことだったけれど、話を聞いてくれないんだから仕方ない。
「来てくれないよっていわなくちゃ」
 額を顰めながら、ジュリアは南門を後にした。





「あれ? あおいさん・・・?」
 リーザス城四階、リアとランスの居室を中心に構成された部屋の列。
 マリスに連れられたシィルが案内されたのは、その中の一室だった。
「シャリエラさんに、シーラさん・・・もこもこさんも?」
 部屋に踏み込んだとたん、ムッとした雌の匂いが鼻をつく。
 振り向けばモジモジと蹲るあおいが。顔を正面に向けるとベッドに腰掛けているシャリエラ、シーラ、もこもこ。
「あのう、あたしも居ます」
「え? その声はエレナさん・・・エリザベートさんも」
 椅子に腰掛けているエレナ、エリザベートの二人まで。
「別にどうということはありません。ランス王愛妾の方々に集まってもらったまでです」
 キョトキョトと目を丸くしたシィルに、マリスが淡々と話した。
「魔物は既にノースに達し、明日にも城が戦場になるでしょう。その際に貴方達が孤立するのでは困ります。
 貴方達一人一人に警備をつけられるほど、親衛隊に数はいませんから」
「そうですよ。シィルさんはどこにいらしてたんです? 探したんですよ?」
 エリザベートが口を開いた。シィルをたしなめるような口ぶり。
「すみません。ちょっと広間で眠っていて・・・」
「気をつけなければなりませんよ? シィルさんがいなくなったりすれば、ランス王がどれ程悲しまれることでしょう?」
「は、はい。勝手な行動は謝ります・・・え? いまランス様が悲しむっておっしゃったんですか?」
 ペコペコと頭を下げながら、シィルは耳を疑った。初めて耳にする『ランスが生きていることを前提にした』話し振り。
「ええ。だって法王様が一目置かれる方なのですよ? ちゃんと天寿を全うされる運命なのです。
 あの若さで天寿などと、神はそれ程残酷な事はいたしませんもの」
「そ、そうですか・・・」
 一瞬期待した自分がいた。自分が眠っている内に、ランスがリーザスに戻ってきたのか?
 そう期待したものの、現実はそれ程都合よくはない。
 エリザベートの発言は、神に対する盲目的信仰の為すものに過ぎないのだ。
 もっとも、盲目的信仰ならシィルだって決して負けはしない。対象が神ではなく一人の男というだけの違いだ。
 理性がランスの死を告げているけれど、今でも生存を信じている。 ・・・信じているつもりだった。
「本当に済みませんでした、夜中に部屋を空けたりしちゃって」
「いいえ、シィルさんが無事ならそれでよいのです。何事も神の御心のままに」
 そういってエリザベートは十字を切った。二人の会話が一区切りついたところで、
「これからは、皆さんにこの部屋で待機していただきます。警備兵は十名を用意させていただきました」
 部屋にいる全員に、よく透る声でマリスが話しかける。
「リーザス城が戦場になるかどうかは分りませんが、魔物はおそらく明日正午――」
 続けようとした時だった。
 ァァァァ・・・
 何かが叫んだような、妙な違和感を覚えるマリス。
「・・・?」
 辺りを見回す。けれど、とりたてて変わった事はない。
「明日正午と思われ――」
 ァァァァ・・・
「・・・?」
 またしても感じる違和感。巨大な生命が咆哮を放ったような。
 気のせいか?、と気を取り直し、再び話し始めた矢先だった。
 パァァァァ
「えっ?」
 窓の外、遥か地平の向こう側。ノースの街の辺りが急激に白く輝き出す。
 太陽ではない。太陽はこんなに白くないし、第一方角がまるで違う。
 イースから登るべき太陽が、ノースから現れるはずがない。加えて時間がまるで出鱈目だ。
 今は夜、夜なのだ。太陽は地の底に眠っているはずなのに、
 パァァァァ
 白光はどんどん大きくなる。リーザス城から見れば小さな光かもしれないけれど、相当に巨大な光の塊。
「なっ、あれはなんですかっ?」
 窓に飛びついたのはエリザベート・デス。口をポカンと開き、遠くの明かりに魅入っている。
「な、なんなのでしょう?」
 エレナもベッドから起き上がり、エリザベートの傍へ近づいた。
「天が・・・神様が微笑まれています・・・」
「綺麗・・・鈴蘭みたい・・・」
 光に見とれる二人。と、
 グァァン
 球が天空に打ち上げられ、どこまでも高く上っていった。
「う、あぁ・・・」
 シィルが思わず呟く。もしもあれが魔法球だとすれば、とんでもない次元の一発だ。
 魔力を凝縮し白色にするだけでも大事なのに、あの巨大さ。
 もしも魔力の結晶だとすれば・・・人智を遥かに超えている。
 部屋にいる全員が、一瞬の間我を忘れた。マリスだって例外ではない。
 突然現れた光が雲間に吸い込まれていく様を、共に呆然と見送った。
「・・・」
 光は吸い込まれていった。そして、沈黙が訪れる。その場にいた誰もが圧倒的な力に酔い、思考を停止させた。
 真っ先に自分を取り戻したのは、やはりマリスだったのだろう。
「明日・・・では、ないのですか・・・」
 光の消えた先を見ながら、自分にしか聞こえない声をそっと漏らしていた。
 確かに感じた。何物かが怒り、叫び、破壊衝動に身を委ねる気配がマリスには伝わったのだ。
 思う。あれは間違いない。間違いなく魔王だ、魔王が・・・出撃の号令をかけたのだ。
 チラリ
 部屋の中に一瞥をくれる。エリザベート、エレナ、あおい、もこもこ、シーラ・・・そしてシィル。
 ランスが愛した女達だ。呆然と空を見上げている面々に向き直り、マリスは短く、
「皆さんはここに待機してください。私はさっきの光が何か、確かめに行きます」
 五人は呆然としたままだったが、シィルだけがマリスに反応する。
「わ、私もいき――」
「いいえ、シィルさんもここにいてください」
 皆まで言わさず、マリスは続けた。
「もしも魔人軍がやってきたのならば、私は交渉に入ります。交渉が纏まるまでこの部屋をでないようお願いします」
「でっ、ですがっ」
 スッ
 何か言おうとするシィルの前に手を差し出し、グッと制する。
「交渉は私一人で行います。それに、ここにいる方々は戦闘に適さない方ばかり」
 クルリと室内を見渡し、
「シィルさんは皆さんをお守りください。いくら警備兵がいるといっても、魔法はつかえませんから」
「マリスさん・・・」
「繰り返しますが、この部屋を出ないようお願いします。皆が自分の本分を忘れては、魔物に足をすくわれるのです」
「・・・」
「ランス王だって、シィルさん達を守りたいがゆえに城内に残したのではないですか?
 王の気持ちを無駄にする行為、いくらシィルさんとはいえ許容できません」
 冷たくいい放つマリス。ランスの名前を出されては、シィルもうまく反論できない。
「そっ、そんな! 私はそんなつもりじゃっ――」
「では残っていただけますね? ランス王の意思を尊重していただけますね?」
 有無を言わせぬ語尾に、シィルはしばらく黙った後で・・・うなだれるようにして肯いた。
 コクリ
 可愛らしい顎をほっそりと下におろし、目を伏せる。たった一言、
「・・・わかりました」
「・・・お願いします」
 シィルの首肯を確認すると、ゆっくり出口の扉を開いた。シィルが黙り込み静かになった室内を後にする。
 ガチャリ
 扉を閉め、ホゥと溜息を一つ。
「マリス様、先程の光は見られましたか?」
 マリスが部屋を出たとたん、警備の親衛隊がよってきた。
「・・・そんなことはどうでもよろしい」
 ファサッ
 艶やかな髪を肩から救い上げ、マリスは小さく手招きをした。
「は? どうかなされましたか?」
 近づいてきた親衛隊に、
「いいですか、この部屋の鍵・・・決して開けてはなりません」
 そっと耳元で囁くマリス。ただでさえ冷たい囁きが、まるで北国のブリザードのように。
「は? 出さない・・・とおっしゃったんですか?」
 よく飲み込めていないのだろう、ポカンとした顔つきで聞き返す。
「二度はいいません。とにかく、彼女達をこの部屋に閉じ込めておくのです。いいですね?」
「・・・」
「・・・いいですね?」
 信じられないといった面持ちでマリスを見つめる親衛隊に、小さく肯いてみせるマリス。
「・・・は」
「よろしい。では任務を確かに言いつけましたから」
 ファサッ
 踵を返すとマリスはどこかへ歩いていった。
 柑橘系の甘いかおりを残し、一抹の疑念を親衛隊に残し、淡々と廊下を歩いてゆく。
 呆然とマリスを見送る親衛隊。
 そして、ギュッと唇をかみ締めるシィル。
 子供の笑顔でケイブリスの放った光を見つめる部屋の中の面々。
 彼女たちの誰一人として、マリスの真意に気づいているものはいなかった。





 ・・・あとがき・・・
 十三話お終いです。
 テーマは『ケイブリスの侵攻』と『マリスの伏線』です。
 上手く伏線が張れたかどうか不安ですが、ダークな雰囲気が出せていれば成功・・・かな?(冬彦)





















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