魔王ケイブリス 第二章 『リーザス陥落』







 十六話 死神の風




「く、くぅっ!」
 リックの腕を伝わり、レイラの心拍が振動となって感じられる。どうやら心臓は動き始めた様だ。
 よぉし、まだレイラは死んでいないっ。
「くっ、はっ」


―――――
 レイラに駆け寄ってから五秒と経たないうちに、リックはレイラの服を破っていた。
 顔が真っ赤に染まりそうになるけれど、そんなことはしていられない。
 紅に染まるのは血だけで十分だと思う。
 すぐさま両手をクロスさせ、左の胸に当てる。
 ふくよかで暖かい乳房の感触を拒絶するかのように、必死で腕を上下させる。
 リックだって蘇生術の初歩は修めている。戦場でも日常でも全く使ったことはないが、知識だけは残っていた。
 いわゆる『心臓マッサージ』、まさか女性相手・・・しかもレイラに施すことになるとは想像だにしていなかったが。
「レイラ、レイラァッ!」
 足が利かないせいで上手く心臓を押さえられなかったが、何度も体をぶつけるうちに、レイラの心臓は蘇った。
――――――


「すぅぅっ・・・」
 大きく息を吸い込む。
「――」
 小さな鼻を摘み首の後ろを持ち上げ、唇同志を重ねる。思い切り肺腑へと息を吹き込む。
「っはぁっ。すぅぅっ・・・」
 再び吸い込み、
「――」
 吐き出す。これで何度目だろうか、息を吹き込んでは吐き、吐いては吸う。
 繰り返し人工呼吸するうちに、だんだん顔へ赤味が差してくる。
「・・・っ」
「? れっ、レイラ?」
 リックの鼻を微風が擽る。レイラか? レイラが吐き出した息なのか?
「・・・ぅぅ」
 水滴が一滴漏れるような。だがリックにとって、滝のように大きな響きをもった声だ。
「レイラ、レイラ聞えるか?」
「り・・・っく? ・・・あ、あたし・・・?」
 うっすらと瞼を上げ、不思議そうに呟く。
「あれ・・・? い、生きてる・・・」
 ほんのり赤味の戻ったレイラが瞳に映った。意識が戻り、言葉を喋る愛しい女性。
「くっ・・・!」
 熱い塊が込み上げてきて、思わず天井を仰いだリックだった。ブンと首を振り、喉まで来た塊をおし戻すと、
「そうだよ、レイラは死んじゃいない・・・くっ、心配したじゃないかっ」
「・・・リック?」
「つぅっ。よ、良かった・・・良かったよ・・・」
 嗚咽が止まらない。痙攣みたく、全身が安堵で小刻みに震える。レイラはそんなリックを不思議そうに眺めていた。
 ぼんやりした視界から、少しずつ靄が晴れてゆく。そこにいたのは、目を赤く晴らした子供っぽい青年だった。
「くっ・・・つぅっ・・・」
「泣いてるの?」
「え? ・・・あ」
 レイラに指摘されて初めて気づく。
 自分の顔に手を当てると、汗というにはあまりに多い水滴が付着していた。
「ははは・・・汗だよ、汗」
 泣き笑い。リックの心から恐怖心が抜けてゆき、惚けているレイラへ微笑んだ。
 そうだ、ついさっきまでリックは猛烈に怖かった。モンスターが怖いのではない、レイラがこのまま冷たくなること。
 そう考えることは、嘗てモンスター相手に覚えた恐怖の比ではなかった。
 レイラが死ぬ? リックを置いて冷たい土に帰ってしまう?
 巨大な穴が心を蝕むような感触に、涙を止めることができなかったらしい。
「ふふふ・・・子供みたいね?」
「そうかい? これでも二十九なんだけど」
「子供よぉ。私が知ってるリックは、いつまでたっても・・・」
 顔を顰めながら起き上がるレイラ。最初こそ完全にぼやけていた視界も、いまではクリア。
「なんだい、レイラ? いつまでたっても・・・どうしたって?」
「いつまでたって・・・え? い、今私のこと?」
 いつまでたっても『レイラさんと呼ぶ』、そう言おうとした矢先だった。
 自分の耳を疑う。確かに『レイラ』と呼んでくれたような?
「レイラ・・・? ど、どうしたんだ、そんな顔して」
 急に黙り込み、リックを見つめるレイラ。かすかに口が開き、目をパッチリ見開いている。
「また苦しいのか? おいレイラ、どうしたっ」
「い、いまレイラって・・・」
「え? 何?」
「リック、私のこと『レイラ』って呼んだ・・・」
「え?」
 リックにはレイラが何を言っているか、咄嗟に理解できなかった。
 これまで『レイラさん』だったのが『レイラ』へ変わったのは意識した結果じゃなかったからだ。
 いまにも冷たくなりそうなレイラに我を忘れて呼びかけた時、
 口からは自然に『レイラ』という叫びが迸っていただけなのだ。
「嬉しい・・・」
 レイラは戦場を忘れていた。
 側頭部を強打され、しばし窒息状態に陥っていたからだろうか、
 二人が命の窮地にいることなど意識の隅にすら残っていない。
 そんなレイラにとって、『レイラ』という呼びかけが甘美な気持ちを呼び起こす。
 意識の底では『自分は何かをしなければならない』と囁く声があるけれど、甘美さの方が上回っていた。
 けれど、いつまでも甘美さに漂うことは許されない。
 金髪の青年に震える腕を伸ばし、しかと抱きしめようとしたとき。
「ぐぅっ」
 眼前の童顔が歪んだ。前触れなく苦痛のおめきが零れる。
「リック? ・・・そ、そうよっ」
 一瞬戸惑ったレイラだったが、次の瞬間には全てを思い出していた。
 そうだ、自分はリックを助けないといけないのだ。
 足に大怪我をしょって動けない恋人を、安全な場所に匿うんだった――。
 自分達は魔物に襲撃されている。しかも大量の魔物、命は風前の灯火なのだ。
 現実が把握できれば、もはや甘美さなど存在しない。
「くっ」
 懸命に起き上がろうとしたレイラ。
 リックが動けないのは解っているし、負ぶって逃げる無謀さも思い出した。
 ならばどうするべきだろう? 真っ先に思い浮かんだのは『担架』だった。
 天才病院には『補助輪』付きの担架がある。一見すると手押し車を連想させる器具だ。
 アレがあったら、リックの巨体も問題なく運べるだろう。
「くっ! あ、あれ?」
 腕を床について一気に体を押し上げようとした。だのに・・・全く力が入らない?
 まるで自分の腕じゃないみたいに重かった。それ以前に腕の感覚がない。
 というか、首から下に己の意思が伝わらない?
「動けないのか?」
「待って、もう少しっ」
「・・・」
 苦痛に圧されながら、リックはレイラを観察した。顔も体もピンクに染まり、どうやら血はいきわたっている。
 目は意識の光を宿し、舌だって正常に機能している。こっちの声も届いているようだし・・・となると、やはり首か。
 首筋に受けた強打がレイラの脳と体を結ぶ神経に影響を及ぼしているのだろう。
 影響は一時的なものかもしれないが・・・永続的なものかもしれない。
 頚椎が損傷していれば、確実に永続的なものになる。
「うっ、うぅっ!」
 もがくレイラ。相変わらず動く気配はまるで見えない。
 リックの心に安堵が戻ったのも束の間、冷気が全身に吹き荒れる。まずい、極めてまずい。
 自分が動けない状況下で、レイラまで動けなくなっただと? だったらどうやってレイラを助けることが出来る?
 どうやったらレイラが無事に逃げ出せる? 助けを呼ぶのは駄目だ、魔物を自ら呼ぶようなものだ。
 かといってこのままここに居ては、死を待つだけ。まずい、まずいまずいまずい――。
 コォォォォ
「!」
 リックの冷え切った心が、さらなる冷気を感じた。
 当てもなく螺旋を描いていた思考が止まり、背後の違和感を知覚する。
「・・・」
 レイラが目を見開いている。リックの背後を凝視し、呆然と何かに見ほれている。
 カッカッカッ
 渦巻く冷気とともに、何物かが近寄ってくる。額から汗が滴る。
 こんなに寒いに関わらず、全身が汁を噴いてくる。寒い、何だこの寒さは?
 どこか暖かくて懐かしい、この猛烈なブリザードは?
 迫り来る気配に怯えながら、リック・アディスンはゆっくりと後ろに振り向いた。
「誰だっ!」
 振り返ったリックの両目が迫り来る気配を捉える。そう、しかと確かめたのだ。
 緑色にたなびく艶やかな長髪、小さく組んだ腕。寂しそうに見下ろす憂いを含んだ瞳は・・・マリス・アマリリス?
 見間違えるはずもない、リックの初恋がそこに。
 知的で冷静で美しくて、一挙手一投足全てがリックを捉えて止まない女性。
 楚々とした仕草、時折リアに見せる偉大なる母性、すべてが彼の憧れだった。
 その憧れの女性が、何故かここに現われている。
「マリス・・・さん?」
 血が赤く染めた部屋に、醒めた顔立ちがよく似合う。
 どうしてマリスがここに居る? それ以前に本当にマリスか?
 いや、どこからどうみてもマリスだ。間違いない、自分の前にいる女性はマリスだ。
「マリスさ――!」
 何故ここに居るのか、そんなことに構う余裕は今のリックに備わっていなかった。
 動けない自分とレイラがいて、動けるマリスがいる。マリスに助力を求めようとした時だった。
 猛烈な違和感、あれは何だ?
 マリスの右手が氷を握っている。氷といっても唯の氷ではない、刃状に鋭い氷塊。
「え・・・?」
 ピシリ
 マリスが足を止め、そっと手を持ち上げた時。リックには空気に皹の入った音が聞えた。
 ビキビキと氷塊が巨大化し、瞬時に長刀を形作る。その切っ先は・・・明らかにリックへ向けられていた。





「はぁ、はぁっ」
「・・・」
 シュシュン
「くっ!」
 背中が焼ける。『冷たい』と『熱い』という二種類の感覚は、共に類似性を保っている。
 どちらも痛覚の一種であり、極限まで冷たい感覚と、ひたすら熱い感覚に区別はないのだ。
「・・・」
 シュシュン
「っ」
 レイラに覆いかぶさったリックの背中、無残に切り刻まれて赤い流れが幾筋もある。
 ただ冷気が凍らせているせいで、綺麗だ。薔薇のドライフラワーを肌色のキャンバスに撒き散らしたようだった。
「・・・」
 マリスが腕を振り下ろす。
 手から伸びた氷塊が幾重にもわかれ、鋭い棘がいくつも飛び出るとリックの背中に突き刺さった。
「うぅっ」
 足元で呻くリック。これが本当にリック・アディスンなのだろうか?
 大陸一の剣豪と謳われ、戦場で死神と恐れられた男。
 彼自身が手にかけた敵兵は数知れず、『バイ・ラ・ウェイ』の掛け声とともに十数閃を繰出す剣士。
「・・・」
 マリスは冷たい瞳に憂いを浮かべつつ、リックの背中にまた赤い線を描いた。
 本当はこんなことなどしたくはない。一息に首を刎ねてしまいたい。けれど、それはできないのだ。


――――――
 マリスが目覚めた時、既に彼女は生まれ変わっていた。生暖かい汁と獣の薫りに包まれて目覚めたマリス。
 彼女の眼前にはうねる八本の生殖器と、黒々聳え立つケイブリスがいた。
 何の抵抗もなくマリスは身を任せていた。不思議な感覚だった。
 素肌が幾重にも絡め取られ、体中をまさぐる触手。脇から首を通り、一本が口腔をこじ開ける。
 別な一本に片腕の自由を奪われ、別な一本が足を大きく開帳させる。
 剥き出しにされた双腎の割れ目を襲う二本の触手。
 けれど、どれもが穴の側を這いずるばかりだった。一本たりとも侵入せず、マリスの反応を確かめるようだった。
 どれくらい時間がたっただろう? 自分の意思で一本に手を伸ばし、そっと口に含もうとした時。
 舌が這う寸前に、マリスに撒きついていた全ての触手がほどけて行く。
 『ぐはぁはぁはぁ! よぉぉぉし、上出来だぁぁ・・・』
 夢現で見上げるマリスに、ケイブリスが高々と宣言する。
 『合格だ、それでこそ俺様のモンに相応しいぜ。いいか、『魔人・マリス』? てめぇは今日から俺様の女だ』
 首筋が痛んだ。そっと手を当てると、血痕が。どうやら頚動脈から血を吸われたらしい。
 『気に入ったぜ、その顔、体ぁ・・・。
  くははは、これで『心』も『体』も俺様のモンなんだよなぁ、くぅくっくっく』
 静かな声だった。相変わらず下品で耳障りだけど、安定したトーンでケイブリスが喋る。
 『ぐふふふふ。さぁてと』
 ひとしきり曇った笑いを響かせて、
 『それじゃぁ俺様への忠誠ってやつを見せて貰おうか。おおっと、そうじゃねぇ』
 無言で肌を摺り寄せるマリスを制する。空っぽになったマリスを見つめると、
 『『体』じゃねぇよ、『心』だ、こ・こ・ろぉ〜。お前は俺様のモノになりたかったんだろ?
   俺様はてめぇをモノにしてやっただろ?』
 『はい・・・。魔王様、ありがとうございました』
 生まれたままの姿で、三つ指をついて頭を床にそっとつける。
 顔だけを心持ち持ち上げ、マリスはそっと礼をいった。ビクン、ケイブリスのち○ちんが揺れる。
 『へへへ・・・いいねぇ、益々いい。そうだ、それでこそ俺様の女だよなぁ?』
 『厚く御礼申し上げます。末永く魔王様に可愛がって頂くため、誠心誠意お仕えいたします』
 淡々と続ける。屈辱に顔を歪めることもなく、裸の自分に嫌悪感を抱くでもなく。
 水のようにあっさりと恥を受け入れる女の姿があった。
 グピリ
 ケイブリスが喉を鳴らし、動きを止める。しばし訪れる沈黙、次第に回復するマリスの思考。
 体の底からとてつもない力が湧いてくる。いままで感じたことのない程巨大な力。
 腕を一振りするだけで、なにもかもを破壊できる気がする。けれど、湧いてくるのは力だけではない。
 全身を押さえつける無言の圧力、プレッシャー。自分を見下ろす魔王の気配が、全身隈なく撫で回す。
 これが・・・これが魔人? 
 『湧き上がる破壊衝動と無闇に圧し掛かるプレッシャーの二律背反』・・・か。
 瞬時に魔人の実態を捉えたマリスだった。
 永遠に解けないアンビヴァレンツに苛まれる存在こそ、魔人をあらわすに相応しく思える。
 魔人になって十分も経っていないけれど、直感する。
 そんなマリスを見下ろしながら、
 『ふん・・・お前の体は後回しにするぞ〜』
 ケイブリスは嬉しそうに言った。
 『まずは『心』だ、俺様への感謝ってやつだ。どうするかねぇ・・・よおし』
 尻尾がパタリ。どこかはしゃいだ感じで大理石の床を叩いた。
 『なんたって晴れて人間を止めたんだからな、お前の過去を清算させてやるぜ。
  人間時代、いろんなヤツと喋ってきたろ?』
 『はい、魔王様』
 『ってことは、そいつらは『俺様のモノ』に色気を出したってコトだよな?
  いや、人間自体がお前を汚したわけだ。そうだろぉ?』
 『はい、魔王様』
 ケイブリスが何を言っているか、言葉からは伝わってこない。
 しかし魔人となったマリスには、否応なく魔王の意思が流れ込むのだ。
 要は『リーザスの人間を皆殺しに』、そうケイブリスは言っている。
 マリスを通り過ぎていった者達が、走馬灯のように駆け巡る。
 バラック、ガルディ、ウイリン、ランス、そしてリック。思い起こせば、それなりに男性経験も豊富だ。
 レイプに始まって、調教から娼婦まがいまで、大抵のシチュエーションは若いうちにこなした。
 『・・・そいつらを殺せ、ランスの女以外を全員だ。
  ただ殺すんじゃねぇぞ、思い切り苦しめてから殺すんだ。ランスの女だけは俺様が直々にぶち殺す。
  いいか、俺様が全員殺すまでに――って』
 フッと気が遠くなった。遠くでケイブリスの声が聞える。
 『ランスの女』を殺す・・・? つまり『リア』を殺す、と? 
 『こ、こらっそんな顔するんじゃねぇ。なんだ、『リア』ってやつかぁ?』
 『リアが殺される』、そう思うことはマリスにとって最大の苦痛。
 余程苦悶を浮べたのだろう、ケイブリスのおたついた言葉。
 『・・・』
 言葉にならない言葉がマリスから漏れた。予想しうる本当に最悪の結果が彼女を迎えてくれたわけだ。
 リアを失った世界で一人、魔王に支配されて生きなければならないのか・・・。だが、そうではなかったのだ。
 『けっ、安心しな。お前に免じてリアってヤツは助けてやるさ・・・。ま、命が助かるだけだがな?』
 『!』
 ハッと、面を上げる。
 『ただし、だ。これから一度でもリアって口にしてみろ?
 そん時はお前が『心』を人間界においてきたってことだ。だからそん時は、改めてそいつを殺す』
 目を見開いたマリスに、ケイブリスは言い切った。
 『お前は魔人、俺様の下僕だ。下僕に人間の思い出はいらねぇ、全部捨てて来い。
  俺様が戻ってくる前に、丸ごと魔人になれ』
 それまでずっと無表情だったマリスが、俯く。ケイブリスのがなり声の元、喉元から嗚咽が。
 『う、う、うぅぅぅ・・・』
 笑い声ではない、泣き声でもない。嬉しくも、悲しくもない。
 あまりに様々な感情が込められた呻き声。細く細く伸びてゆく。
 『『氷の魔人』マリス。お前は俺様が作った最初の魔人だぜ? しっかり期待に応えろよ〜』
 『はい、魔王様・・・』
 ケイブリスが呼びかけ、なんの躊躇いもなく『魔王様』と返事が出来る。
 パタンパタン
 マリスの眼前で揺れる触手が一本。
 『・・・ちゅ』
 恭しく両手で包み込むと、マリスは服従のベーゼを交わした。白濁の苦味が、つ――っと喉を通っていった。
――――――


「・・・」
 無言で思う。魔王様が戻って来られるまで、自分は男を嬲り続けねばならないのだ、と。
 既に城内に生きている男はいない。ただでさえ脱走者が続出し、もぬけの殻になっていたリーザスなのだ。
 白の兵くらいしか男は残っていなかった。
 最初こそ『どうやって殺そうか』悩んだものの、そんな疑問はすぐに解決した。
 魔人になり大幅にアップした魔力を集めると、あっさり氷剣が湧いてくる。
 一振りするだけでスパン。あっさり人間を殺すことが出来るようになった。
 白の兵は大部分が魔物の群れに屠られ、生きている兵は稀だ。
 それでもたまにいきている者はいて、見つけるたびに殺していった。
 たまたま西の塔で見かけた男――ヴァンとかいった――の心臓を貫いた。
 彼の部下らしい男共は、肩口から真っ二つに斬ってあげた。
 そのまま放置してあげたから、出血多量で死んだことだろう。
 魔法研究所に一人残ったカーチスを氷像にしてから砕いた。
 美しい顔が恐怖に歪み、次の瞬間砕け散った様子は吐き気がするほど綺麗だった。  壁に持たれかかる兵士を殺す。ピクリ、痙攣した男の死骸を砕く。
 ケイブリスがいいというまで、こうして歩き回るのだろう。その内天才病院に入っていた。
 既に患者など数えるほどしか居ないけれど、残った男性患者を砕く。
 砕いて、凍らせて、砕いて――。そうするうちに、リックと出会ってしまったのだ。


――――――
 レイラを夢中で介抱し、忍び寄るマリスなどまるで気がつかないリック。
 マリスが氷の刃を取り出すまで、振り向くことすらしなかった。
 『えっ?』
 氷の刃を突きつけられ、唖然とするリック。
 口をパクパクさせながら、伸びてくる刃を見据えるだけで、バイロードを振るおうともしない。
 『マリスさん? あ、貴方はマリスさんですか?』
 見当違いな問いばかり口にする。そう、私はマリス。氷の魔人、マリス・アマリリス。
 最初にマリスが剣を振るった。
 強張った顔のまま動こうともしないリックに業を煮やし、足元を薙ぎ払ってやった。
 『あぁっ!』
 『れ、レイラさんっ!』
 リックから片足を切り落とすつもりが、床で横になったレイラを刃が掠める。
 取り立てて罪悪感は感じないが、やっぱり寂しくはあった。
 自分が斬り殺してきたのも、これから殺そうとしているモノも、共に人間。嘗て自分が所属した種族なのだ。
 人間を止めて十数分のマリスにとって、まだ自分と人間の間に差を感じることができない。
 だのに自分は人間を簡単に殺そうとしている。
 いくら魔王の指令とはいえ、こうもあっさり殺せるものだろうか?
 『マリスさん、何するんですかっ!』
 相変わらずの見当違いだ。そう、リックは昔からこうだった。
 メットの中味はただの子供、現実に疎い少年でしかない。喉元に刃を突きつけられ、愛する人を傷つけられた。
 それなのにマリスを信じている。マリスの『人間性』を信じている。残念だけど、もう『人間性』は捨てた。
 リア様のために、マリスは全てを捨て去ったのに。
 シュシュッ
 再び腕を振るう。氷を突起状に伸ばし、もう一度足元を狙ったマリス。だが二度目はなかった。
「させないっ!」
 スシュッ
 目にも留まらぬ早業とは、こういうことを言うのだろう。
 赤い閃光が走ったかと思うと、氷は四つに斬られていた。
 それからしばらく、マリスとリックは剣を交えた。といっても、一方的にマリスが攻撃するだけ。
 どうやらリックは足が使えないらしく、しゃがんだまま迫る攻撃を防ぐことしかしない。
 マリスの剣が折れても、魔力を込めればすぐさま新しい剣が出来る。
 剣戟の合間にリックは叫んだ。曰く、
 『どうしてですかっ』
 『くっ・・・、う、嘘だッ』
 『や、やらせるか! レイラさんは守るッ』
 『馬鹿なっ、どうして傷がつかない?』
 『この感覚・・・まさか、魔人・・・?』
 赤い死神は伊達じゃない。少しでもリックの射程に踏み込むと瞬時に剣が飛んでくる。
 かわす事等できやしない。もっとも避ける必要などないのだけれど。
 レイラとリックが言葉をかわす。
 『リック、逃げなさいッ! 私を気にしないでッ』
 『そんなことを言う前に、早く立ち上がるんだ!』
 『だって、動けないのよォッ』
 『僕だって歩けやしない!』
 そんな二人を見ていると、自分が悲しくなる。
 自分は、マリス・アマリリスは何をやっているんだろう?
 嘗て己に仕えた者達を、ただ『魔王に命令された』という理由で殺そうとしている。
 まるで道化だ、茶番劇だ。
 それでも構わない。たとえ自分がどれだけ滑稽だろうと、そんなことは構わない。
 だって・・・だってリアは生きられるのだ。これから先、二度とリアを見ることはないだろう。
 これからどんな人生をリアが歩むか、マリスが知るすべはなくなる。
 それでもいい、それでもリアは生きている。
 そんなことを考えながら、マリスは淡々と剣を振るった。
 急激に弱ってゆくリック達に、無慈悲に氷をぶつけ続けた。
――――――


「・・・」
 全身でレイラを覆ったまま、リックは呻き声すら上げない。既に死んでしまったのだろうか。
 ふと思い出す。いままで振るった氷剣のうち、一発でもレイラに当たったっけ?
 いや、記憶が正しければ全てバイロードに受け止められた。
 リック自身は傷だらけになりながらも、レイラへの攻撃は彼が全て受け止めた。
 スゥ
 頭上まで氷剣を持ち上げる。リックもレイラも動く気配すら見せない。
 このまま腕を下ろしたら、二人は確実に絶命するだろう。
「・・・」
 ひょっとしたら、既に二人とも死んでいるんじゃないだろうか?
 もし死んでいるとすれば、別に剣を突き刺すこともない。そうか、なにも止めを刺す必要はないのだ。
 できることなら、この二人は貫きたくない。
 ・・・いや、躊躇う必要も必然もない。自分はリーザスに残ったものを殺さねばならない。
 それなら止めは刺しておかなければ。
 マリスは目を閉じた。暗闇で小さく黙祷し、いざ止め――。
 『マリス、俺様は魔人界に帰るぞ』
「は? 魔王様、ですか?」
 止めを刺す直前になって、いきなり思考が乱された。頭の中に濁声が。
 『おお、こっちは終ったぜ。だからさっさと帰るぞ、帰ってお前とセックスだ!』
「解りました。それでは南門でお待ちしております」
 『おうそれでいい。ビチャビチャに濡らして待っとけよ? げへぇぁははは』
 血だらけの病室で、マリスは首を横に振った。魔王が自分を呼んでいる。
 これから魔王の城ヘ行き、自分に新しい生活が訪れるのだ。自分から愛したものはもういない。
 いるのは強制的に愛さなければならない存在だけが。 ・・・なんて、なんて暗い生活だろう?
 けど自分には相応しい生活だ。一人の少女を守るために自分は全てを犠牲にした。
 兵士を、将軍を、女性たちを。自分自身だって犠牲にしたのだ。これはこれでいい。
「・・・」
 クルリ
 踵を返すと、マリスはドアへ歩み寄った。
「・・・」
 チラリ、背後を振り返る。金髪の男女が朱に塗れ、抱き合うように倒れている。
 シュパッ
 無言のうちに手に残された氷剣を投げつけると、マリスは部屋を後にした。
 後に残されたのは幾つもの死骸と金髪の二人。
 その二人を貫くようにして、透明な刀が突き刺さっていた。





 ・・・あとがき・・・
 十六話、お終いです。こうしてマリスはケイブリスの手先に堕ちました。
 やりすぎかな、くどいかなと思いながら書きました。
 うーん、ダークだ・・・。
 そろそろ暗いトンネルを抜けますので、温かい目で見てあげてください。(冬彦) 












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