魔王ケイブリス 第二章 『リーザス陥落』






 十七話 生き残るのは?




「ぐ、くぅ――」
 静寂に包まれた病室で、小さな呻き声がした。
「ど、どうやら行ってくれたか・・・ぐふっ」
 熱いものが込み上げて来て、リックはそれを吐き出した。
 ベチャ
 死んだように眠るレイラの横に、小さな血溜りができる。
「レイラ・・・起きるんだよレイラ・・・」
 自分の下に呼びかける。一見死んだように見えるが、レイラが生きていることは誰よりもリックが知っている。


――――――
 嘗て憧れ続けた女性は、無言で斬りかかって来た。剣に威力はなかったが、躊躇いを見せずに襲い掛かってきた。
 剣技の稚拙を覆って余りある踏み込みだった。
 間違いない、マリスさんは自分達を殺そうとしている――!
 ありえない事態を前に、レイラが悲鳴をあげる。だけどリックは剣を振るった。
 リック、レイラを襲う氷剣を片っ端から刎ね飛ばす。少なくともレイラに傷はつけさせない。
 しゃがみ込んだまま這い蹲るようにしてリックはマリスを防ごうとした。
 しかし、足が使えない状況でマリスの猛攻を凌げる筈もない。
 『やめてくださいっ』
 『マリスさんッ』
 マリスに人語は通じなかった。何を言っても無言のまま。寂しそうに口を結び、淡々と剣戟を繰出すだけ。
 駄目だ、これ以上防ぎきれない――。
 そして、リックが初めて攻撃にでたのだ。レイラを守るため、リックはマリスに手を上げた。
 嘗て憧れた女性の肌に傷をつける道を選んだのだ。
 『はっ!』
 倒れながら放った全力の一撃は、確かにマリスを捉えた。指の二三本も飛ばす筈だった。
 手応えはあったのに、それでもマリスは倒れなかった。それどころか、傷一つついていなかったのだ。
 それからしばらくの間、リックが力尽きるまで二人の戦いは続いた。既に勝敗の決した戦いだった。
 刻一刻と傷ついてゆくリックの体。
 目の前の光景から逃げるように、『リック――ッ』一声叫んでレイラは意識を失った。
 ぐったりしたレイラに覆いかぶさるようにして、リックも床へ崩れ落ちた。
 ただ崩れ落ちるのではない、あくまでレイラの盾になる。既に体は動かない。
 ならば剣士としてではなく物理的障壁としてレイラを守る――。
 無慈悲に襲い掛かる激痛の嵐。いや、痛覚などとうに麻痺してしまったようで案外痛くない。
 朦朧とする意識を懸命に保ち、リックはレイラを守り続けた。
――――――


「・・・」
 そっと腹に手を回す。大丈夫だ、氷剣は自分を貫通していない。
 マリスが放った最後の一撃を自分の筋肉は止めたのだ。
 ニタァ
 薄く唇を歪める。自分が鍛えぬいた肉体が、こんな役にたつなんて・・・望外の喜びじゃないか?
 人殺しのために鍛えた体が、誰かを庇う盾になる。
 世の中って上手く出来ているんだな、と薄れ行く意識の中でリックは思った。
 浮べる笑みは、決して自嘲的なものではない。
「レイラ・・・レイラ・・・」
 マリスの気配はない。モンスターの気配もない。病院をでるなら今しかないのだ。
 レイラの肩を思い切り掴み、ガクガクと揺すってやりたい。だけど腕が動かない。
 耳元で大声を張り上げたい。『起きろっ』と一声だけでいい。だけど肺がやられている。
 出来るならレイラと一緒に生きたかった。
 素直に自分を曝け出せる女性にやっと回り逢えたのに、あまりにも短い時間だった。
 出来るならレイラを見つめ続けていたかった。
 二人で互いを支えながら、いくつもの思い出を作りたかった。出来るならレイラの手料理を食べたかった。
 出来るならレイラの笑顔を・・・たくさん、たくさん作りたかった。
 出来るなら・・・出来るなら・・・出来るなら・・・。駄目だ、もう頭も動いてくれない。
「僕の・・・僕のぶんも生きて・・・」
 朦朧となる視界のなかで、
 コクリ
 金髪の女性が肯いたように思えた。
「死ぬのって・・・嫌だな・・・」
 『死神』と呼ばれるには、余りにも優しい声だった。看取るものも持たず、赤い死神は旅立っていった。





―――時間を遡ること十数分、リーザス城四階―――
 ドンドンドンッ
「ちょっと、どうなってるのよ! 貴方達訳くらい話しなさいよっ」
 扉を連打するかなみ、だが返事はない。ただの屍のようだ。
「いいからドアを開けなさい! あたしには任務があるんだからっ」
「あの、少し落ち着いたらどうですか?」
「なによっ」
 見かねたエリザベートが言葉をかけた。
「貴方も安全な場所を求めていたのでしょう? ここが一番安全ですから、そんなに騒がずに」
「え? そ、それはそうだけど・・・」
 たしかに、警備兵は幾人もいる。既に崩壊したリーザス城にあって、この部屋はそれなりに安全な場所なのだろう。
 ただし、それは内情を知らない者の見方だ。真に安全な場所はリアの傍である。
 マリスが仕切る以上、リアの安全に最も配慮がなされるのだ。
 だいたいこのリーザス窮地にあって、リア以外の女性が警備されること自体違和感を覚える。
 マリスにその種の配慮があるだろうか?
 かなみが知っているマリスは、大局的視野と微細な配慮を兼ねた才媛だ。
 ただし、それは平時の話。一度リアが絡めば、どんな無茶も平然と行ってきた。
 そんなマリスの行動にしては、『ランス王の愛人を保護する』という行動はあまりに王道過ぎる。
 何かあるんじゃないだろうか? 
「そうよ、マリス様はどうしてるの?」
「え、マリス様ですか? 単身で魔人との交渉に行かれましたが?」
 小首を傾げるエリザベート。
「交渉? 一人で?」
「はい、なんでも私達の安全を願い出て下さるそうです。
 お一人で、しかも他人のために魔人へ出向く御心に、私は心が洗われる気がしました」
 シュッ、シュッ
 跪いて十字を切る。マリスに心服しているのだろう。けれど、かなみはエリザベート程単純ではなかった。
 なにしろ十四の時からマリスとリアに仕えているのだ、裏の顔も良く知っている。
「どうして御一人で行かれたんだろう・・・?」
 素朴な疑問。ランスハーレムの女性達の命乞いなら、別に一人で行く必要もないではないか。
 眉を潜めたかなみにシィルが話しかけた。
「あのぅかなみさん? マリスさんですけど、私達に怪我をさせたくないそうです。そのせいでお一人で行かれて」
「え? 怪我をさせたくない?」
「はい。私も一緒に行こうとしたんですけど・・・断られました」
 おかしい、明らかにおかしい。マリスがシィルの同行を断る理由? そんなものがあるのだろうか。
 だいたいシィルを保護しようという発想自体ズレている。
 かつて直々に『シィルを殺せ』と命令されたことだってあるのだ。
 そんなマリスにしては、シィル達が話す内容は出来すぎて――、
「!」
 ふとある考えが浮かんだ。
 マリスはシィル達を・・・生贄にするつもりではないだろうか?
 魔人の怒りを和らげるため、人間の王たるランス愛妾を捧げる。
 考えたくもないけれど、ありえない話では・・・ない。
 かなみは引きつった目をシィル達に向けた。みんな階下の振動に怯えている。
「ううん、まさかね・・・」
「かなみさん?」
 不思議そうにかなみを覗き込むシィル。慌てて脳裏に浮かんだ不遜な想像を払うかなみ。
 そうだ、いくらなんでもそれはない。いくらマリスでも、そんな鬼蓄行為に手は染めない。
「シィルちゃん、頼まれてくれるかな? メナドのことなんだけど」
 プルプル頭を振り、かなみは脳裏の靄を払った。
 きっとシィルやエリザベートの言ったとおり、マリスがこの部屋を守ろうとしているんだろう。
 ならばここにメナドを預けたらいい。
「メナドさん、ですか?」
「事情があって気を失っちゃったの。それで、預かってくれる人を探しててっ。あたしには任務があるし・・・」
「それなら私に介抱させてください。『絶対大丈夫』なんていえないですけど、ちゃんとします」
 かなみの言葉を待たず、シィルが言った。
「あ、ありがとう」
「メナドさんのことは気にせず、任務に集中してください。あとは私に任せて――きゃっ」
「えぇっ? な、なにっ?」
「「きゃぁぁっ」」
 かなみがシィルへとメナドを渡した瞬間、城に一際大きな揺れが来る。近い、極めて近くで何かが壊れる音がした。
 ドガシャァァァッ
「! 近いッ」
 見当かなみ以外、例外なく床に転ぶ。とても立っていられないくらい、激しい揺れだ。
 ズン、ズン、ズン
「な、何か来るの?」
 猛烈な破壊音に続き、有機的な足音の気配。
 かなみ達が閉じ込められた部屋はもともとリアのSM用に作られた部屋で、防音がしっかり効いている。
 振動が一段落したところで、かなみはドアに駆け寄った。
「ちょっと、どうなってるの! 開けなさい、開けなさ――」
 ダンダンと拳を叩き付け、外にいるはずの隊士に呼びかけたときだった。頑丈な建付けの扉に皹がはいったのは。
 ピシィッ
「えっ?」
 亀裂がメキメキと伸びて天井に達し、目の前で扉は真っ二つに割れた。とたんに轟く悲鳴、悲鳴、悲鳴。
 女特有の線が細い音色に混じり、全てを覆うどす黒い声。
「え、え、えっ?」
 立ち尽くすかなみの目前を、いくつもの光線が駆け抜ける。
 黒々と巨大に聳える尾がジタンジタン暴れ周り、親衛隊士が宙を舞っていた。
「な、な、な――」
 こ、これは何? いったい何がどうなっている?
 限界まで広がったかなみの瞳孔に黒い影が映った。
 黒々と聳える鋼鉄の城、禍々しいオーラに包まれた姿に・・・見覚えが。
「あ、あ、あ――」
 一歩、また一歩。体が後ろへずれてゆく。平原で遠めに見たときですら、かつてない圧迫を感じたのだ。
 城内でしかも十数メートルしか離れていない今、体全体が押しつぶさるよう。
 見えない壁に押し戻されるように下がるかなみ。
「か、かなみさん、外はどうなってるんですかっ」
 背中でシィルの声が聞える。
「うっ、くっ」
「か、かなみさん?」
 シィルの言葉は耳に入っているのだが、体が反応してくれなかった。
 目の前で親衛隊を踏み潰す存在・・・ケイブリスから目が離せないのだ。
 ランスを殺した存在が、視線を捉えて離さないのだ。
「「くそぉっ!」」
「「てやぁ――」」
 健気にも手向かう仕草を見せる隊士達。そして吹き飛ぶ手、足、頭。
 飛び散る血潮に心を奪われていたかなみ、そこにピンク色が駆け寄る。
 小さな腕がかなみの肩を思い切り掴んだ。
「何してるんですかっ、早く戻って下さい!」
「えっ、あ――」
 抱きかかえられるようにしてシィルがかなみを引き戻す。
「そ、外はどうなっているんですか?」
 二人に駆け寄るエリザベート達。
「魔物です、大きな魔物がやってきます!」 
 呆然となったかなみと対照的に、事態を正確に伝えるシィル。
「ええっ? マリスさんが話をつけてくれる筈でしょっ・・・!」
 上擦った声をあげる竹中もこもこ。
「どうするのよ、こんな部屋じゃ逃げるトコないよぉっ」
 あまりに急な展開だった。さっきまで静かだった部屋の空気がいまにも千切れそうに張りつめていく中、
 ゴウン
 破られた扉太い腕が食い込み、壁を引き剥がす。
「いやぁぁぁぁ! おかぁさぁぁぁん!」
 もこもこの金切り声。
「しゅ、主よ、主よ我を助けたまえ・・・!」
 床に崩れ落ちるエリザベート。
「嫌、嫌です王様――」
 両手で口を塞ぐエレナ。部屋の誰もが言葉を失い、突き刺さった醜悪な腕を凝視する。
「・・・」
 無言のシーラ、自慰にふけるあおい、眠っているメナド。呆然とする女達。
 それはかなみとて例外ではなかった。
 魔物が攻め込んでいると頭は解っていたのに、身体で理解してはいなかったのだ。
「くっ! かなみ、しっかりしてっ」
 必死で理性に呼びかけ自分を取り戻す。魔王だ、間違いなく魔王。魔王がここにやってきたのだ。
 混乱する頭脳を整理する暇を与えず、黒い腕がバキバキ壁を破壊する。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう――」
 駄目だ解らない。逃げる? そうか、逃げなくちゃ駄目だ。ここにいたら殺される!
 窓だ。一人でなら四階からでも逃げ出せる。一人でなら・・・一人で?
 メ、メナドは? シィルちゃんは? 他のみんなは?
 部屋の中で誰もが混乱の坩堝にいた。それぞれが恐怖に怯え、自分を見失っていた。
 ケイブリスの爪が壁を剥がすたびに、理性の皮もはがれていった。
 バキッ、ベリベリ
 破壊の合間に響く笑い声。
「ぐへへへへ、ぐぅえへへへ〜〜」
 バキッ、ベリベリベリッ
 次第に姿を現す、端麗な顔立ちと醜悪な肉体を合わせ持つ生物。
 ズゥゥゥン
 一際大きな音をたてると、残った壁は全て崩れ去った。そして、
「ぐぅえへへへ、見つけたぜぇ・・・?」
 埃を背後に舞わせながら、魔王ケイブリスが現われた。
 見るもの全てを凍らせるほどに、凍える空気を漂わせながら。

 




 ・・・あとがき・・・
 十七話お終いです。
 すこし短いですが、区切り良くしたかったので。
 文字にして五千字くらいです。
 内容的にはリックの死と、ケイブリス邂逅です。
 リックが倒れたシーンでは、セリフにかなり気合を入れました。(冬彦)

















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