魔王ケイブリス 第三章 『逆襲のランス』







 十一話 ランス、怒る





「ランス大根切りっ!」
「サテラサマッ」
 ザザッ
 ランスとサテラの間にシーザーが割って入り、カオスをがっちり受け止めた。
 全力で放ったわけじゃない一撃だけに、受け止めたシーザーの一部が壊れたに過ぎない。
「ちぃっ、土人形めっ」
 シュタッ、すかさず間合いを取る。ダメージをものともせずにシーザーが放った回し蹴りが宙を掠める。
 ランスとシーザーが睨みあい、火花が散った。
 シーザーを忘れてたぜ、二対一ってのはやっかいだな……ランスは唇を噛む。
 当初の予定ではちゃっちゃとサテラを掴まえ、愛撫でイカせて骨抜きにするつもり……というのは冗談だが、
 サテラを戦闘不能にしてかなみに合流するつもりだった。サテラごとき、一対一なら殺さずに留める自信がある。
 しかし二対一だとそこまでの配慮、手加減が出来るかどうか? どうする、まずシーザーを潰すか? 
 サテラがシーザーの背後から出てきた。
「ランス? お前……本当にランスなのか?」
「ふふん。俺様を忘れたか? あんなにイカせてやったのに」
「でも……でもランスは魔王様にっ……だってっ……」
 サテラにとって白日夢。まだ自分が見ている光景を信じられずにいた。
 サテラと会話している人間は間違いなくランス。ふてぶてしい態度、倣岸な顔立ち、不遜な口調。
 一から十までサテラが知っている男とそっくりだ。だけど信じられない、どうしてコイツが生きているんだ?
 嬉しい、哀しい、悔しいといった感情が浮かんでくる前に疑念で胸がいっぱいになっていく。
 動こうとしないサテラに代わってシーザーがランスに突進した。
 サテラからは『侵入者はサテラが殺す』といわれたが、今のサテラを戦わせるなんてできない。
 サテラから闘志がまるででていないのだ。
「ウォォォ!」
 ズガァッ
 拳一撃、
「うわっ」
 ヒョイ
 風圧がランスの髪を撫でる。直撃を喰らったらどれほどのダメージだろうか。
「あぶねぇじゃねぇか土野郎!」
「サテラサマハマモル!」
「ええいどいつもこいつもっ……」
 ガキィッ
 薙ぎ払ったカオスがシーザーを捉える。右足にガッキと食い込むカオス。
「へっ、俺様に逆らうから――うおっ?」
「ウォォッ」
 人間相手ならば激痛で動けなくなるところだが、生憎敵はシーザーだ。ガーディアンのシーザーなのだ。
 痛覚を持ち合わせていない足を振り上げる。ランスはカオスごと吹っとんでしこたま壁に叩きつけられた。
「ぐえっ……く、こ、この野郎……げげっ!?」
 立ち上がる暇もない。目を開けばシーザーの拳がすぐそこにあった。
「やべぇっ」
 ズサッ、飛びずさって構えなおす。間一髪、ランス頭部があった場所にめり込む拳。
 『所詮サテラが作ったもんだ、たいしたことねーだろーな』と思っていたのに大間違いだ。
 ケレン味が全くない拳だが、一撃一撃は相当重い。しかも結構速いときた。
「サテラと二人がかりで来られたら……ゴクリ」
 唾を飲む。中距離でサテラから鞭がとび、近距離でシーザーにボコられる。
 嬲られる自分が頭に浮かび、考えるのも不愉快だ。
 幸いサテラはランスに戦意はないようだからいいものの、今のうちにガーディアンを潰さないとまずい。
「一気に決めてやるか! いくぜ、ラァァンス……」
 さっきのやり取りでランスに解ったこと。それは『土野郎に中途半端は毒だ。ヤルなら一撃で破壊するべし』。
 一撃必殺、ランスアタック! モーションが大きいだけにサテラの鞭で援護されては、ランスアタックは使いづらい。
 サテラが戦闘に参加して来ない内にっ。
「ウォォォ!」
 シーザーが腕を壁から抜き放ち、ズンズンズン。地響きを立ててやってくる。なんてわかりやすい動きだろう?
 パンチをしようと片手を引き、真っ直ぐランスに近づいてくるのだ。ランスは天井近くまで跳躍した。
「……アタァァック!」
「ガッァァ!」
 アッパー気味に撃たれたパンチ、シーザーの拳を撃墜するランスアタック。
 青白く光る中でランスがニヤリ、唇をゆがめる。完全に……捉えた。
 ピシィィィ
 亀裂が腕を走り、肩口からはじけ跳ぶ。
「ムォォォ!」
 シーザーは右腕を失った。右腕は石欠片となって散っていった。
 しかしまだ左腕が残っている、足だって二本とも残っている。
 片腕をなくしたところで、シーザーが戦意を失うはずがない。
「今度こそ終わりだー……っておい!」
 横から飛んで来たパンチ二発目、空中を舞うランスにかわす術はない。
 がら空きなわき腹へ突き刺さりそうに。
「う、嘘だろ――くっ」
 カオスを持ち直して拳を剣で受け止める。衝撃で吹き飛ばされはしたが、今度は受身もバッチリだ。
 チャキッ、カオスを構えなおす。
「しつっこい野郎だぜっ。いいか、しつこいと女に嫌われるんだぞ!」
 すでにシーザーの速度は見切り終えた。いいかえれば勝敗はついた。
 最初こそ意外な速さに戸惑ったものの所詮は土人形。本気になったランスの敵ではない。
 動きは見切った、攻撃も見切った。次は頭を砕いてやる。勝った気持ちでランスはカオスを突きつけた。
「土人形に女は関係ないか? がははは――……」
「止めろシーザー!」
「はは……あれ?」
 再度突っ込んでくるところを撃墜するつもりだった。現に土人形・シーザーもランスへ片手で殴りかかってきた。
 けれども急ブレーキを踏んだように止まる。代って後ろから風を切る音。
 シュシュシュッ
「もういい! ランスは……ランスだけはサテラが殺すんだっ」
 突きつけたカオスに巻きつく蔓。気を抜くとカオスごと持っていかれそうだ。
「ちっ、お前が出てくるかよ……」
 ランスは吐き捨てた。できれば先に土人形を潰したかったが仕方ない。
「覚悟しろランスッ。サテラはランスより強いんだからな! つ、強いってことを証明してやる!」
 兔の眼、真っ赤に充血しきった瞳。
 怒りか涙かわからないけれど、とにかく目を紅く染めたサテラがそこにいた。
「けっ……お前との決着はつけてやっただろーが……ああ?」
 ランスは仕方なさそうに笑った。こうしてサテラと戦うのも久しぶりだ。
 もう自分への敵愾心は無くしたとばかり思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

――――――
 ランスとしても複雑な心境だ。サテラはランスを裏切った。
 魔人が魔王に従う宿命にあるとはいえ、ランスが裏切られたことに違いはない。
 なればこそ半殺しにしてやるつもりだったのだが……そこにいたのは昔と寸分変わらないサテラだった。
 少なくともランスに敵意をむき出しにするところが同じだ。
 ムキになっているところが同じだ……。
――――――

 まるでガキだ、お子様だ。この期に及んで『強いことを証明する』だと?
 現在対峙しあっている二人は『歴とした敵同士』だというのに、なんてふざけた言い草だろうか。
 もっともサテラを敵扱いしきれていないのはランスも同様だったけれど。
「おらあっ」
 カオスを引っ張ればやけにあっさり鞭が離れた。しかし二秒もしないうちに第二波がくる。
 変幻自在に飛び交う曲線、流れるように腕を、足を、頭部を襲う。
「ああもう、うっとおしいだろーがっ」
 サテラと戦うこと四回。確かに鞭は怖ろしいし、サテラは一流の鞭使いだ。
 どんな軌道を通ってくるか、予想したつもりでも手元でかわる。
 ガードを掻い潜って急所を破く。無防備な皮膚に炸裂する。
 ただし間合いを詰めてしまえば話は別だ。
「ぐっくっくぅぅ、いてえじゃねえかよっ」
 ビシビシビシッ。ひっきりなしに各部を叩き捲られつつもランスが突進する。
 頭部と心臓、体の正中線だけを守りながら走る。鞭が接近戦に弱いこと、サテラだって承知している。
 過去三回戦ったけれど、毎回懐に飛び込まれてランスに勝利を奪われた。
 過去を生かして間合いを縮めさせないように、サテラは後退しつつ鞭の雨を降らせる。
「はぁっはぁっ。こ、これならどうだっ! まだまだいくぞっ」
 ビシッ、ビシッ、ビシィ――
 一際痛烈な一撃。カオスを持った右手から鮮血が迸る。ランスでなければカオス取り落とすところだったろう。
 しかしランスは違った。
「けっ、所詮その程度じゃっ……」
「な、なんだと?」
 ガシッ
 続けて鞭を打ち込もうとしたのに。だのに腕が持ち上がらない? 
「鞭が止まって見えるぜ、がははは!」
「うあっ!?」
 グイッ、ランスが左手を上げたとたんにサテラがつんのめる。
「サテラサマッ」
 シーザーが腕を伸ばすも届かない。
「がははは! そーらっ一本釣りぃぃ!」
 左手にしっかり鞭が握られていた。サテラが間合いを詰めさせてくれないので、鞭を封じる作戦に出たのだ。
 突き出したカオスで鞭を絡めとり、すかさず空いた手で鞭を握り締める。
「くあぁっ!」
 ズシャッ
 鞭を離せばランスから逃げられた。しかしサテラは依怙地になって鞭をギュッと胸に抱えた。
 引き摺られるようにしてランスの足元にねじ伏せられたサテラ。
「うぅっ……」
 ガシッ、鞭のグリップを握った右手に圧し掛かる重圧。
「つぁっ!」
 ランスが足で手首を踏みつけたのだ。グリグリ摺りつぶすように踏みしめられ、ビクとも動かせなくなった。
 埃まみれになった顔をあげれば、ツー。喉元にあてがわれる冷たい感触。
 埃と涙で曇りきった視界に、魔剣の輪郭だけがぼんやり光っていた。
「う、ううう〜っ……」
 負けた、また負けた……。もう二度と負けない、負けられない……負けたくても戦えない。
 そう思っていたのに、だ。体が勝手に鞭を振るい、心は追いついていなかった。
 それが、こうして打ち据えられ、やっと気持ちが追いついた格好。
「がははは! 相変わらず弱いなぁ……おおっと、てめぇは動くんじゃねぇ! ご主人様を殺されてぇのか!」
「あぅ」
 チャキッ、サテラの顎をカオスの切っ先で掬い上げる。
 後一押しもすればサテラは死ぬ、ランスの背中に襲い掛かろうとしたシーザーに殺気がぶつけられた。
「グゥ、サテラサマ……」
 本物の殺気だ。ランスが放った気迫は決して冗談でも洒落でもなく、正真正銘の殺気だった。
「……それでいいぜ。一歩でも動いてみろ、まぁそんときは手遅れだがな?」
 ニヤリ、硬直したシーザーに満足げなランス。ランスにとって都合がいい展開だ。
 これでサテラとシーザーは足止めできた。まだモンスター増援の気配もないし、これでかなみが脱出する時間が稼げる。
 かなみとか、あとは忘れてはならない、シィルだ。
 張りつめていた緊張感が和む。圧倒的優位にたったことで、ランスにもサテラを観察する余裕ができた。
「サテラ、お前も動くんじゃな……おいおい、泣くようなことかぁ?」
 足元からランスを睨みつける瞳からはボロボロと涙が溢れていた。
「くそっ、くそぉぉ――」
「何だよ、どっか怪我でもしたのか? ふん、殺されないだけでもありがたく思え」
 気まずさを感じ、ランスはカオスを喉から離してやった。踏みつけた足からもちょびっとだけ力を抜く。
 もちろん自由にしてやるわけじゃない。ちょっとでも妙な動きを見せれば、すぐさま一撃できる体勢は崩さない。
「悔しい、悔しいよぅ――ううぅ〜」
 ガクッ、サテラは首を垂れた。とたんにポロポロポロッ、水滴が落ちた。
「ちっ、俺様に負けるなんて当たり前だ。わざわざ悔しがるな、馬鹿」
 ランスは舌を打った。
「ちっ、違う! サテラは負けたから悔しいんじゃないっ」
「はあ? 何いってんのかさっぱりだぞ」
「ラ、ランスなんかにサテラが解って堪るかぁっ……。お前なんか大っ嫌いだっ……うぇ、ひっく」
 サテラが泣いている理由、それはうまく言葉に出来ない。
 ただし唯一確実なのは、こうして『ランスに負けたことは悔しくない』ということ。
 敢えていうなら『ランスと戦わなくてはいけないこと』が悔しい。
 地下牢にランスを見つけた瞬間、サテラの頭は真っ白になった。それくらい強烈な感動に襲われた。
 出来ることなら『ランスッ』と一声叫びたかった。
 出来ないのだ。サテラはケイブリスに支配された。
 ケイブリスとランスが相容れないことは明白、即ちサテラはランスの敵になる。ランスはサテラの敵になる。
 二人が敵にならざるを得ない。もう二度と同じ陣営に立てない。
 こうして生きているランスはサテラに苦しみしか与えてくれないのだ……様々な思いが渦巻いた結果、
 自然に湧いた涙だった。
「ったく、調子が狂うぜ」
 ねじ伏せる前はサテラのことは『敵』だと認識していたつもりだった。
 しかしこうして泣かれてみれば、嘗て何度も絶頂に達したサテラの面影が残っている。
 ポリポリ、カオスを持たない方の手で背中を掻く。
「お前のことだと? そんなもん俺様が知ったことか。いきなり俺様を裏切りやがって、自分を棚に上げるのは止めろ」
 片腹痛いサテラの態度に、ランスは冷たく言い放った。
「くっ……サテラだって好きで裏切ったりするもんかっ」
 唇をかみ締めているサテラ。魔王の元へ参じてからというもの、楽しかったことなど何もないのだ。
 ランスが正しいことを言っているのは良く解るけど、それでは余りにも自分が惨め過ぎる。
 ケイブリスに何度も嬲られ、顔をあわせるたびに屈辱のベーゼをかわし、殺したくもない人間を殺した。
 本当は誰も居ないところでシーザーと二人だけになりたかったのに
 『リーザス支配役』などと役職を命じられてここにいる。サテラが望んだことなんか何一つない。
 自分だって貧乏籤を引いているのに、どうして誰も労わってくれないのか? 
「ふん。裏切ったのは事実だぞ」
 ランスはにべもない。ランスは魔人の特性、魔王への絶対服従を理解している。
 サテラが魔人の本能に支配されて裏切ったことはわかっているのだ。
 だからといって、許すとか優しくするつもりなんかはない。
「くっ……だからランスは馬鹿なんだ! ランスがあの時サテラのいうことを聞かなかったから悪いんだ!」
 ランスに正論で押され、サテラの論理は飛躍した。
 そうだ、あの時……嘗て寝物語でランスに魔王となることを薦めた時。
 ランスがサテラを訪れ、一緒に美樹を殺そうとしたとき。あの時、ランスがサテラの言うとおりにしてくれていれば――!
「なにい?」
「ぐすっ。な、なんでサテラがケイブリスに……ぐすっ……仕えなくちゃいけないんだ……くすん。
 ランスだって、ランスだっていつかケイブリスに殺される。ランスが魔王にならなかったからっ――」
 そうだ、もしもランスがサテラの言うことを聞いていてくれたら。今頃魔王としてランスが世界を支配していた。
 サテラの主人は醜悪な獣ではなく、豪快に笑うランスになっていた。
 ランスに心から仕えることができた。ランスと一緒にいることが出来たのにっ。
「あー、そういやそんなこともあったなぁ」
「そ、そんなことだとっ? とっても大事なことだったんだぞ!」
「キーキー喚くなよ……。過ぎたことだ、考えても仕方ないだろ」
「くっ……」
 またしてもランスの正論。確かに過ぎたことをくよくよしても仕方ない。
 だがサテラがどれ程勇気を振り絞って提案したか、どれだけ真剣にランスを想ったかを考えれば、
 『過ぎたこと』では片付けられなかった。『ランスに魔王になって欲しい』。
 これはリトルプリンセスを、ホーネットを、シルキィを裏切ること。
 それだけの罪を覚悟して、サテラはランスに告白したのに。
 あとほんの一押しでランスを魔王にすることができた。ランスと一緒に美樹を殺そうとした。
 その矢先、アイツが全てをぶち壊した。ピンク色の憎い女、シィル・プライン。
 サテラに説得されかかっていたランスの目が、シィルを見た瞬間元に返る。
 縋るサテラを放置してランスはピンク女とどこかへ去っていった。
「アイツさえいなかったら」
「ん? アイツ?」
 何度後悔しただろう? どうしてハイパービルでピンク女を殺しておかなかったか。
 もしあのときサテラがシィルを殺していれば、後にランスの蜜月を過ごす可能性はゼロになっていただろうが、
 すくなくともランスが魔王になる邪魔はされなかった。そうだ、悪いのはランスじゃない。
 ランスを惑わしつづけたピンク女が悪いんだ。あのピンク女いたせいで、サテラはこんなにも悲しいのだ。
「ピンク女のことだっ! アイツがいなかったらランスが……ぐすっ……ランスが魔王になっていたのにっ……」
「ピンク……ああシィルのことか」
 ランスにも思い当たる節がある。サテラの『魔王になれ』という誘い、実は相当魅力的だった。
 もしも魔王になれば凄い力が手に入るし、魔人のカワイコちゃんもランス思うが侭になる。
 人間を奴隷化できるんだから、気に入ったコはみーんなランスのモノになる。
 確かにサテラが言うとおりだ。シィルがあの場にやってこなければ、ランスは魔王になっていたかもしれない。
「ふっ。シィルかあ――」
 部屋に入ってきたシィル、心配そうにサテラにそそのかされたランスを見つめた。
 そしてランスの考えを百八十度転換させたのだ。シィルに見つめられてランスは思った。
 『もしも俺様が魔王になったら……人間やめたらこいつは泣くだろうな〜』。
 シィルの泣き顔には二種類あって、見たい泣き顔と見たくない泣き顔がある。
 きっと『見たくないほうの泣き顔』で泣かれてしまう、
 そう思ったときには『魔王になる』という提案は霞のように消えていた。
 シィルか、そういえば今頃シィル達はどのあたりだろう?
「そろそろ全員逃げれた頃合か?」
 チラ、背後の闇に向かってランスは呟いた。サテラ・シーザーと剣を交えてから五分以上経っている。
 いくらのろまなシィルとはいえ、無事通風孔までは辿り着いたことだろう。
 あと五分も時間を稼げばみんな通風孔を通ってそこそこ安全な距離が取れるはずだ。
 足元でしゃくりあげるサテラに、ランスは改めて剣を突きつけた。
 遠めに見守るシーザーが心持ち動いた気がしたからである。
「おいおい、誰も動いていいなんていってないぜ? そうだな、あと十分はジッとしてて貰う。
 それくらいあればシィルでも逃げられるだろ」
 『それくらいあればシィルでも逃げられる』、つい心に思ったことが口から出た。
 小声ではあってけれどサテラには聞えた。
 無闇に哀しくてしゃくりあげていたサテラ。自分の耳を疑う、いまランスはなんていった?
 『シィルでも逃げられる』?
 シィルがリーザスにいないこと、ケイブリスに連れ去られたこと、サテラは二つとも知っている。
 ランスがサテラに勝ったところでシィルが自由になるはずがない。ケイブリスから逃げられるはずがない。
「……何をいってるんだ? ピンク女が逃げる?」
 泣き止むサテラ。
「そーゆーことだ。ま、シィル達が安全に逃げ切るまではじっとしてろ。がはははは!」
「? ピンク女が安全になる? ランス、変なことをいう」
「お前が最初に狙った忍者がいただろ?
 今頃アイツが牢屋から解放してるころさ。残念だが俺様の女達は返してもらうぜ」
「?? でもピンク女は……あ」
 もしかしてランスがここに来たのはピンク女を助けるため? いや、間違いない。
 ピンク女が牢屋にいると勘違いしている。すでにピンク女が安全な場所へ逃げたと錯覚している。
 ピンク女はここにはいない。おそらく魔王城でケイブリスから想像を絶する責めに遭わされているだろう。
 そうだ、何も辛い目に逢っているのはサテラだけじゃない。
「いた……サテラより哀れな奴がいた……」
「? さっきからブツブツ、お前だって変じゃないか」
 確かにサテラは哀れだ。しかしシィルはどうだ? ランスと離れ離れになり、ひたすらケイブリスに嬲られる。
 サテラが数回で泣き出したほどに激しい、八本の生殖器による責めを、何百回となく喰らったことだろう。
 そうだ、一番不幸なのはピンク女。ランスを魔王にしなかった報い、最も深刻にうけとめているのはピンク女だ。
 サテラはシィルがマリスの使徒になったことを知らなかった。
 シィルが一人の女としてケイブリスに連れて行かれたと思っている。
 『ケイブリスが女を生かしておくわけがない』、サテラは良く知っている。
 ケイブリスに情けも容赦もないこと、無茶な性行為を敢行して女を秒速で食い破ること。
「ははは……あはは……」
 皮肉な話だ。ランスが魔王にならなかったことで最も苦しむのが、ランス魔王化を止めた人間だとは……。
 力の籠もらない、乾ききった笑い。苦しみぬいて死んだ女がいたこと、サテラはすっかり忘れていた。
「ブツブツの次は笑いだすってか? 俺様冗談いったっけ?」
 ランスはシィルを助けたつもりになっている。これが冗談だとすればあまりに高等なジョークである。
「……そうだ、面白い冗談だ。ランス、ピンク女はここにはいないぞ」
 ランスにねじ伏せられてはいるが、もはやサテラは心理的優位にたっていた。
 ランスがサテラに勝ったところで全ては徒労。
 ランスにシィルは助けられない、どんなに頑張ってもランスとシィルが見えることはない。
 何故ってシィルは魔王城にいるのだ。間違いなく死体になって、魔物の森にでも捨てられたことだろう。
 今までの『魔王がいない魔王城』でなく、『魔王ケイブリスが控える魔王城』。
 万に一つもありえないが、仮にシィルが生きていたとする。
 しかしランスとはいえただの人間、人間が魔王城からお姫様を助けだせる可能性など、皆無。
 サテラやシィルだけじゃない。ランスだって不幸な、哀れな存在だ。
 せっかく魔王になれる機会があったのに、サテラのいうことを聞かなかったばかりに自らも不幸の極みに落ちてしまった。
 そう。不幸なのはランスだってサテラと一緒。二人とも大切な人を失った――。
「……なに?」
 これまで勝ち誇っていたトーンに翳りが。顔をもたげたサテラに映ったのは怪訝そうに目を細めたランスだった。
「……もう一回いってみろ」
「何度でもいってやる。ピンク女はここにはいない。ケイブリスが連れて行った」
 凍る空気。永遠とも思える長い沈黙を経て、
「……へ、へっ。お、俺様に負けたからって嘘はいけないぜ?
 シ……シィルがここにいるのはわかってるんだ……」
 話にならないとでもいうように、ランスは平静を装った。それでも語尾が上擦ってしまう。
 見上げるサテラを睨みつける。サテラの瞳はどこかランスを哀れむような、悪意以外のもので満ちた瞳――。
 間違っても嘘をつく目じゃなかった。
「お、おい……そんな目をするなよ……」
 微動だにしないサテラ。伏せ目勝ちに小さく肯く。
「……う、嘘だろ?」
 ランスの瞳孔が限界まで広がっていく。サテラが一言、一言明瞭に言葉を紡ぐ。
「サテラは、ランスに、嘘はつかない」
「じゃ、じゃあシィルは――?」
「……嘘じゃない。ケイブリスが連れて行った……」
 見つめう二人。サテラが見守る中、ランスから急激に気迫が抜けてゆく。
 腕を踏みつけていた足が重心を失い、突きつけたカオスがフルフルと揺れる。
 それまで轟然と立っていたランスが、揺らいだ。
 ―-そんな馬鹿な? シィルがここにいない、そ、それだけならまだ受け入れられる。ま、魔王だと?
 よりによってアノ化け物に連れて行かれただと? ケイブリスに連れ去られた?
 え? ケイブリスにシィルが……ちっ、意味がわかんねぇよ……解りたくねぇ!
 もしも本当なら……じょ、冗談キツ過ぎるぜ……? あの化け物に捕まって、無事でいるわけないじゃないかっ……。
 た、頼む、嘘、嘘だといってくれ――。


 数瞬の間、ランスから理性が飛んで行った。唖然某然、忘我の境地へ還ってゆく。
 その隙を突いて。
「ウォォォッ」
「シィル――――え?」
 ドガァッ
「ぐげっ――……」
 痛恨の一撃、ノーガードで立ち尽くすランスの顔面にシーザーが正拳の直撃を与えた。
「―――――っ!? があっ!」
 十メートル以上吹き飛ばされる。受身を取る余裕もない。
 もんどりうって壁にぶち当たり、ランスは意識を失いそうになった。大ダメージだ。
 シーザーの動き、ランスは全く反応できなかった。
 気がついたときには頬に鉄拳がめり込んでいて、いや頬が鉄拳にめり込んでいて、空中をふっとばされていた。
 目を開けたときには壁にめり込んだ自分がいた。口から喉から血が溢れていた。
 肋骨は折れていないようだが、肺が悲鳴をあげている。頭も悲鳴をあげている。
 目が上手く見えてくれない。きっと真っ赤に充血した瞳をしているのだろう、視界が赤い。
 凡人なら血反吐でも吐くところだろうか? それとも即死するだろうか?
 よくて呼吸困難と痛みにのたうち、来るシーザー二発目の攻撃で命を落とすのだろう。
 しかしランスは違っていた。青いオーラを漂わせながらゆっくり、ゆっくり起き上がる。
「ど、どいつもこいつも……」
 ペェッ。
「……俺様をこけにしやがってぇぇぇ……」
 赤く染まった唾を吐くと、ランスは陽炎のようにゆれた。シュウシュウと噴出する闘気で空間が歪む。
 歪んで見える。シーザーの一撃はランスに生きている実感を与えた。夢から醒ます一撃になった。
 激痛で忘我の境地から引き戻された今、ランスは閉じた両目に溶岩を溶かす炎を湛えていた。
 体が熱い。こんなに熱いのは久しぶりだ。いったいどれくらい久しぶりだろう?
 美樹ちゃんが攫われたと聞いた時くらい熱い。ケイブリスにボコられた時くらい熱い。
 いや、もっと熱いかもしれない。いや、比べ物にならないくらい熱い。まるで全身が豚の丸焼きになった気分だ……。


――――――
 腹が立つ。無性に、どうしようもないほど腹が立つ。
 かなみ! お前のいったことはまるっきり出鱈目だ! 出鱈目な筈だったんだ!
 お前が『シィルは死んだ』なんていうから、そんなことをほざくから……っ!
 サテラ、てめぇら魔人は馬鹿野郎だ! なんで俺様に逆らうんだ!
 どおして俺様だけを狙わないんだ、何でアイツが狙われるんだ!?
――――――

 いつのまに訪れたのだろう、シーザーの向こうで蠢く魔物の群れ。
 サテラを抱いてシーザーが下がり、交代してランスを囲むように迫り来る群れ。

――――――
 リス野郎ォォ……。て、てっめぇぇ……。シィルは……シィルは俺様のモンだ、俺様の女だ……っ!
 てめぇが触れていいモンじゃねぇんだっ……! お前は……お前が全てをムチャクチャにした。
 絶対に、絶対に打ち殺してやる……。
――――――

 ランスは内心の激情と反比例するかのよう。俯き、揺ら揺ら揺れるだけ。
 全身から無闇に闘気を出すだけで、ピクリとも動こうとしない。
 モンスターもランスから殺気を感じていないようで、暢気に近づいてゆく。
 いや、あまりに強大な殺気ゆえにモンスターの知覚が麻痺しているのかもしれない。
 ジリジリ、ジリジリ
 モンスターが作った環が狭まって、ランスを中心に凝縮を始める。ゆっくりゆっくり距離を詰める。
 あと少し、あと一歩。あとちょっとでランスは魔物に飲み込まれる。
 これほど落ち着いて、何の迎撃体勢もとらないでいては秒殺されるだろう。
 あと数秒でランスは肉片と化す。既に青年の運命は決まったように思われた。
 カッ!
「……っっっっ!」
 一斉に飛びかかろうとしたまさにその瞬間。
 豹変とはこういうことをいうのだろうか、それまでなんの動きも見せなかった青年を中心に爆風が。
 爆風といっても本当に風がおこったのではない。気迫が嵐のように渦巻き、モンスターを吹き飛ばしたのだ。
 中心には燃え盛る瞳孔を見開き、額から流れる血で顔面を真っ赤に染め、声にならない叫びをあげるランスがいた。
 鬼の咆哮を上げる、鬼より怖ろしい青年がいた。


――――――
 ランスは叫んでいた。心の底から叫んでいた。
 い……一番不愉快なのはお前だぞ……!
 お前がもっと確りしてれば、お前がもっと賢かったら、お前がのろまじゃなかったら……!
 お、お前がもっと強ければ……そうだ、お前が弱いから……。
 いっつもいっつも心配ばっかりかけやがって、
 お前はいつでもノロマで、駄目で、グズで、弱虫で……だ、だからこんなことに……くっそぉぉぉ!
――――――

「がぁぁぁぁっ!」
 ガオン、グォォォッ
 一振りカオスが唸るたび、触れた全てを粉々にする。
 フルパワー・ランスアタック、いやそれ以上の剣圧を纏ったまま、ランスは魔剣を叩きつけていた。
 いうなればランスが振るう一撃一撃が、すべてランスアタックに匹敵する威力。
 シーザーに打たれた痛みなんてとうに感じていない。
 シーザーに殴られた額から血が目に流れ込むのを遮ろうともしない。
 体が悲鳴をあげているが、己の肉体に耳を傾ける気など皆無。ランスの理性は飛んでいった。
 さっき飛んでいったのとは全く別の次元へ飛んでいった。
 ドガァァァァッ、ズシャァァァァッ
 濛々と立ち込める埃、煙、そして血飛沫。
 それはランス自身が流す人間の血と、モンスターが流す緑色の血が混じった飛沫。
 聞えてくるのはモンスターの断末魔、肉が切り裂かれる音、石が砕ける音、壁が崩れる音。
 そして人間が放つ咆哮。
「うっがぁぁぁぁっ!」
 笑い声はもとより、人間の声も聞こえてはこなかった。
 ランスが戦うところ、常に『高笑い』と『ランスアタック』の二単語が氾濫していたのに、どちらも鳴りを潜めていた。





 ・・・あとがき・・・
 十一話、お終いです。
 展開的には強引かもしれませんが、キレたランスを書いてみました。
 なんというか、『自分がふがいないせいでこうなった』という発想はランスらしくないです。
 だからランスが最後に連呼する『お前』は、やっぱり『シィル』……かな。(冬彦)





















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