魔王ケイブリス 第四章 『魔王城にて』







  三話 魔人との対談《一人目・ケッセルリンク》




 地上では太陽と共に朝が訪れる。地平線がほんのり明るくなり、続いて太陽が顔をだし、一気に光が世界を包む。
 人々は明るさで目をシパシパさせながら、『ああ、朝が来た。ふぁぁ〜』と伸びをする。
 ここ、淀んだ空気と光を遮る靄に包まれた魔王城では、朝はそれほど劇的に訪れない。
 なんとなく辺りが明るくなり、なんとなくモンスターの動きが活発になれば、それが朝だ。
 太陽の光が差さない以上、朝なんてそんなものでしかない。
「ん、んん……」
 魔王城三階にある部屋で、ベッドがモソモソと動いた。
「んんん……」
 ムクリ。毛布から顔を出したのはシィルである。シィルの朝は誰よりも早い。五年間で身についた習慣である。
 人間だった頃、シィルは遅寝早起きだった。
 茶髪の青年は夜遅くまでシィルとわちゃわちゃいちゃつき、シィルを寝かせてくれない。
 そのくせシィルが寝坊して朝食を作り忘れたりすると怒る。
 シィルは早寝早起きがいいのだけれど、男のせいで遅寝早起きにならざるを得なかったのだ。
「……」
 起きてもすることがない。アイスで暮らしていた頃は、料理、掃除、洗濯、内職とすることが山の様にあった。
 リーザス城時代も軍隊訓練や魔法強化、青年のパンツ洗濯とすることは探せば見つけられた。
 魔王城では何一つない。料理も、洗濯も、掃除も、内職もない。全てメイドが行ってくれる。
 家事くらい自分でやりたいと思うけれど、マリスが許してくれない。
 シィルが部屋から出て、魔王の目に留まれば何をされるかわからないからだ。
 運良く魔王はシィルの存在を忘れてくれているのだから、
 やぶへびは極力避けねばならない……冷たい視線でマリスから直視され、シィルは頷くしかできなかった。
 マリスのことだから、シィルを人目につけたがらない理由は他にもきっとあるのだろう。
 単純にシィルを気遣った結果、部屋から出さないなんて話が上手すぎる。
 純粋な善意でマリスが行動すると思うほどには、シィルはマリスを信用していない。
 とはいえ使徒の身分ではマリスに逆らえる筈も無く、家事全般をメイドに任せて暮らしている。
 ベッドから降りようともせず、シィルはぼんやり壁を眺める。
 魔王城という牢獄で暮らすシィルにとって、白塗りの広い壁はスクリーンだ。
 映す事柄は、思い出という名前のラレラレ石。ヒロイン役はシィル・プライン。
 ストレートヘアの使徒シィル・プラインではなく、もこもこヘアの人間シィル・プラインである。
 ヒーロー役は……言うまでも無い。
 出会ってから六年しか経っていないのに、いったいどれだけの思い出があるだろう?
 これだけあれば、百年でも二百年でも保ってくれそうだ。

――――――
 時はリーザス解放戦争真っ最中。シィルとランスは敵将軍の懐に、マリアを餌に飛び込んだところだ。
 凡そ四年前の出来事だが、遥か昔に思えてしまう。
 シィルはとあるお屋敷をウロウロしている。
 なんでも市長が住む家らしいけれど、現在はヘルマン軍が接収しているため軍人があちこちにたむろしていた。
『どの人にしよう? なるべく偉そうで、賢くなさそうな人は……』
 キョロキョロしながらシィルが行く。シィルに課せられた命令は、『合言葉を知ってる男を連れて来い!』。
 命令した人物は、ランス。自分で探してくればいいのに、シィル一人を使いに出すあたりがランスらしい。
 偉そうで、なおかつ馬鹿っぽい人を探すうちに、無意識にランスと似た人を探すシィルがいた。
 もしもランスが知れば激怒しただろう。
『えーと、えと……あの人はよさそうだけど……』
 調理場を覗くと、偉そうに髭を蓄えた人間がしきりに摘み食いをしている。
 ヒョイパク、ヒョイパク、パクパクパク。傍でコックが料理しているのに全く気にしていない。
 堂々とした態度、摘み食いという幼稚な行為。
 どことなくランスを思わせる雰囲気なので、シィルは彼を騙すことに決めた。
『だけど、どうやって騙せばいいんだろう? ランス様がいう通り…色仕掛け?』
 シィルには色仕掛けなんて器用な真似は出来ない。
 でも、出来ないといって許してくれるランスではないので、一生懸命色仕掛けの真似事をする。
『あの……あ、あたし、あなたのことが好きなんです』
『そ、それで、その、あの、エ、エッチとかしたくなっちゃって』
『凄く、その、濡れちゃってるんですぅ……ぐすん』
 ベソをかきながら恥ずかしいセリフを連呼するシィル。
 ランスが喜びそうなセリフを選んで喋ると、男は摘み食いを止め、シィルの手首を掴んだ。
『いけないなぁ女の子がそんなこといっちゃ。でもまぁ、仕方ない。俺の部屋でやろう、今すぐやろう!』
 こうしてシィルは自分の役目を果たした。
 男はシィルから『誰にも見つからない小部屋がある』と聞かされ、素直にシィルについてくる。
 しばらく歩き、二人は小部屋に到着した。後はランスが男をボコボコにして合言葉を聞きだすだけ。
 これで万事OKになるはず……あれ?
 ランスがいない。合言葉聞き出し作戦を立案した張本人がいない。
『へ? ラ、ランス様?』
『へぇ、屋敷ってのはいろんなエッチスポットがあるんだな。よし、それじゃあお前から服を脱いでくれ』
『あ、あのぅ、ちょ、ちょっと待って貰えますか?』
『? はぁ?』
『あはは、あの、あたしにも心の準備とか』
『……』
『それでその、そうだっ! ここでお喋りしませんか? お、お互いのこともっと知らないと』
 懸命に時間稼ぎをするシィル。どうしてランスがいないのか、いったいランスに何があったのか?
 何一つ解らないまま一生懸命間を持たせる。
 しかし、シィルの努力も男の跳躍によって無に帰した。
『ええいうるさい! こっちは戦争のせいでご無沙汰なんだ、いまさら焦らしたって無駄だ!』
『ひっ……いやぁ!』
 飛び掛られ、ねじ伏せられるシィル。床に押さえつけられ、男がソレを股間から取り出す。
 シィルはパニックに陥りつつも、『あ……ランス様のよりちっちゃい』と思った。
『へへっ、お前いい身体してんなぁ……じゅるじゅる』
『や、いやですいやですぅ! ラ、ランス様助けて、ランス様ぁぁっ!』
『大人しくしろっ!』
『いやっ、いやいやいやぁっ! ランス様、ランス様ぁぁ!』
 バタン。シィルが叫んだと同時に扉が乱暴に砕ける。破片と同時に青年が部屋に飛び込んできて……。
――――――

 ギィィ
「っ!?」
 ビクッ。シィルは扉が開いた気配を察知した。
 丁度、まさにランスがドアを蹴破って助けに来てくれるところを思い出していたのに、現実でも扉が開いた。
 こんな朝早くに扉が開いたことなんてない。
 そもそもシィル部屋を訪れる人はマリス以外なく、マリスの朝はシィルより一時間ほど遅いのだ。
 誰? いったい誰? まさか……いや、ありえないえれど、ひょっとしたら?
 思い出のクライマックスと現実を重ねたシィルを、無機質な声が現実に引き戻した。
「どうかしましたか?」
「あ……」
 マリスだった。裸体にレースのビスチェを一枚羽織っただけで立っている。
 使徒になってから何度も見た、同性から見ても魅力的な肢体。
 一瞬膨らんだ期待が、シャボン玉が割れるように消えた。
「? わたしの顔に何かついていますか?」
「いっ、いえっ、そういうわけじゃないんです」
 訝しげに尋ねられ、シィルは慌てて首を振り、ベッドから飛び降りた。
 主人たるマリスにベッドの中から返事をするなどと無礼極まる。使徒として非礼は極力慎まねばならない。
 どうして生活リズムが判を押したように決まっているマリスが早起きしたのか疑問に思いつつ、
「おはようございますマリス様。先程は失礼致しました」
 シィルは丁重に頭を下げた。
「些細なことです。気にする必要はありません」
「はい。ありがとうございます」
「ところで起きたなら着付を手伝ってくれますか? そろそろケッセルリンク殿がいらっしゃる頃合ですから」
「ケッセルリンク様……? あっ!」
 そうだった。今日は特別な日だった。
 大陸各地に散った魔人達が、
 支配状況を魔王に――といっても、実態は魔王代理のマリスに――報告しにくる日だったのだ。
 シィルはすっかり忘れていた。
「はいっ、今すぐにっ」
 自室に戻るマリスに続き、シィルもマリスの部屋に入った。
 キュッ。
 部屋全体に篭った冷気に震えながら、シィルはマリスの正装を手伝った。
 香水、顔料、マニキュア、爪……かじかむ手で懸命に、また丁寧にマリスに化粧を施した。
 鏡に映ったマリスはとても綺麗だった。人間だった頃より一段と美しくなってはいた。
 同時に表情も一段と乏しくなっていた。

 



 魔王城・大広間。太陽が昇らないここ魔王城に朝という概念はないけれど、敢えて時間帯をいうならば早朝五時半。
 主を欠いた玉座の横にマリスが立っている。
 もしも玉座がもっと小さくて、マリスが侍女衣装を着ていればリーザス時代と寸分変わらぬ光景である。
 室内がもっと暖かくて、マリスの脇にリック、レイラ、エクスといった面々がそろえばいうことがない。
 むろん、ここはリーザス城ではない。世界を統べる魔王の城だ。魔王は未だおきてこない。
 怠惰な魔王が目を醒ます時刻は夕刻もあるし、昼時もあるし、真夜中な時もある。
 が、早朝に目を醒ますことだけは絶対にない。だから、魔王に会いたくない人物は、早朝の魔王城を訪れる。
「……来ましたか」
 広間の窓が僅かに開いた。途端に薄暗い室内が更に暗くなる。
 靄とは異質な霧が流れ込み、マリスのすぐ脇を駆け抜ける。
 おぞましい紋様を描きながら、霧はマリスの隣に凝縮してゆく。そしていつしか黒い人影になっていた。
 魔人ケッセルリンク。魔人四天王として名高いカラーの魔人だ。
「時間通りですね。ケッセルリンク殿」
「無論ですよ」
 眼鏡をソッと押さえ、ケッセルリンクは無造作に立ち上がった。
 『ミストフォーム』という大技を放った直後というのに疲れもみせないあたり、さすが四天王である。
「では報告をお聞きします。ケッセルリンク殿は旧ゼス支配でしたね?」
 マリスもさすがといえる。
 吸えば即座に死に至る毒霧『ミストフォーム』で包まれたに関わらず、何事も無かったかのようだ。
 動揺した気配が全く見られない。
 ケッセルリンクは平然と佇むマリスをしばらく見つめてから口を開いた。
「……ええ。ゼス南部と四つの塔が私の担当らしいですね。何事もなく支配していますよ。
 貴方が言うとおり、人間は生かさず殺さず、それなりに平和に暮らす権利を与えられる限り反抗に出ないようです」
「……ありがとうございます。私のような新参の意見を取り入れて下さったこと、感謝します」
「なに、感謝されることではありません。魔王様が貴方に従えというから従っているまでのこと」
 薄い笑みを浮かべ、ケッセルリンクは肩を竦めた。
 彼自身無益な殺生は好みではないため、マリスが立てた『対人類方針』に大筋合意している。
 ちなみに、人間は生かさず殺さず、
 ひたすら魔人に奉仕させるべし・奴隷に貶めるべし……これがマリスが立てた方針だ。
 ケッセルリンクは『対人類方針』に潜む真意を見抜いている。
 一見すると、人間を魔人の奴隷にするというキツイ表現をとってはいるが、実態は人間保護策だ。
 メディウサやバボラ、レッドアイといったキチガイの虐殺を防ぐための方針だろう。
 形式上魔人>>人間という図式を取りつつも、過度な人類虐待を防ぐ苦肉の策だ。
「実際に頑張っているのはファーレンですしね……あのコは実に良くやってくれる。
 スタンプを幾つあげても足らないくらいですよ」
「スタンプ……?」
「ああ、これは失礼しました。気になさらないでください」
 レディを前に独り言を漏らすなんて、紳士がすることではない。苦笑するケッセルリンク。
「では支配に問題はないとして、別件の進み具合はどうですか?」
「別件というと?」
「ゼス主要人物の捕縛です。貴方もご存知でしょう?
 旧ゼス王ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー、王娘マジック・ガンジー……」
「その件ですか。そちらは思ったほどはかどっていません」
 延々と名前を列挙しそうになったマリスを静かに制す。捕縛といっても実質は殺害をオブラートに包んだだけの言葉。
 『生死を問わず捕獲しろ』という命令は、殺害指令と等価である。
「簡潔に、片付けた人物だけいいましょう。カバッハーン、サイアス、パパイア、ウスピラの四名です」
「たった四名? 肝心のガンジーは取り逃がしたのですか?」
「一時は追い詰めたのですがね。残念ながら」
 肩を竦めるケッセルリンク。
「……解りました。それでは引き続き、彼らの捕縛をお願いいたします。
 彼らが全ていなくなれば、ゼスからも反抗の芽は消えるでしょうから」
「ええ。私としても彼らを逃がすつもりはありません。貴方に言われるまでも無いことです。
 ところで、報告することといえばこれくらいでしょうか?」
「そう……ですね」
 一瞬、マリスが口ごもる。ケッセルリンクは不審に思った。
「? 他にも何か?」
「いえ、報告していただかなくても構わないのですが……お聞きしても構いませんか?」
「? 私のプライベート以外なら構いませんよ」
「ではお聞きします。リーザスから派遣された白髪の将軍、彼がどうなったかご存知ですか?」
「白髪……バレスとかいう男のことをいっているのですか?」
「ええ。その男のことです」
「また古い話ですね。……二ヶ月以上前なのでよく覚えていませんが……」
「覚えていなければ結構です」
「いえ、覚えていないのは今際の言葉だけです。彼は私の隊と戦った勇敢な人間ですから」
 そういうと、ケッセルリンクは悲しげに首を振った。
 落ち着いた仕草がバレスの最後を明確に語っている。少なくともマリスにはちゃんと伝わった。
「やはりそうでしたか。教えていただきありがとうございます」
「いいえ、礼など結構です。考えてみれば彼らは貴方の上司だった人間。生死を気にするなど当然のこと。
 他の人物にしても私が知ることでしたらなんでもお教えしましょう」
 言い方によっては皮肉とも取れる言葉だ。
 マリスに生きていることが知られれば、その人物は魔人から狙われることになるからである。
 もっともケッセルリンクから皮肉っぽさは微塵もない。
「お気遣い感謝します。が、これで知りたいこともなくなりました」
「そうですか。それでは私はゼスに戻ることにしましょう。魔王様へ、どうぞ良しなにお伝えください」
「はい。確かにお伝え申し上げます」
「では……」
 折り目正しく頭を下げたマリスに背を向けるなり、ケッセルリンクは霧に掻き消えていた。
 『ミストフォーム』で気体になった体が窓から外へ流れていく。
 『気障おじさん』という愛称に相応しい去り際だった。
 音も無く閉まった窓を見て、マリスは今日一人目の報告が終ったことを実感した。
 たしか、今日は早朝にもう二人来て、午後にも二人来る予定になっている。
 早朝はJAPAN侵攻組だ。ガルティアとメガラスがもうじき広間を訪れるだろう。
 長年マリスの上司だったバレスの、含蓄ある顔立ちをを懐かしく思いながら、
 マリスはただただ冷え切った広間に立っている。





 ・・・あとがき・・・
 暗い文章にお付き合いいただきありがとうございます。
 マリスメインだと明るくはなりませんね、やっぱし。(冬彦)






















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