魔王ケイブリス 第四章 『魔王城にて』







  五話 北国の支配者




 魔王城、昼。一年を通じ、昼夜の区別がないここ魔王城では、朝も昼も似た様なものだ。
 薄暗く、ジメジメしていて、嫌な匂いが立ち込める。
 主がホーネットだった頃はもう少し爽やかな空気が支配していた。
 けれど、もはやホーネットは玉座から退き、一介の性奴隷に堕ちてしまった。
 現在魔王城を支配しているケイブリスは、文字通り魔王。彼が醸し出す雰囲気には爽やかさの欠片も無い。
 冷たく、暗く、どす黒い。
 魔王は昼になっても王座に姿を現さない。恐らく自室で怠惰な眠りを貪っているのだろう。
 今日は各地から魔人が報告に来る日だが、魔王ケイブリスは一向に気にしない。
 各地の情勢など、彼にとって些事に過ぎない。
 もっともカミーラを失った彼にとってみれば、些事じゃないものなんて何一つないのだけれど……。
 それはともかく。
 午前中にケッセルリンク、ガルティア、メガラス三者から報告を受けたマリスが、
 引き続き魔王代理として魔人から報告を受けていた。
 マリスは午前中と寸分違わぬ姿勢で、王座の横で腕を組んでいる。かつてリーザスで見慣れた姿と全く同じだ。
 彼女の前には一人の男性が畏まっている。
 ケッセルリンクやガルティアと違い、マリスに膝を突いて報告している。
 糸のように細い両目、口元に僅かながら蓄えた髭。マリスに跪く姿からは何の違和感も感じられない。
 青い鎧で身を包んだ姿は、魔王城よりもリーザス城が相応しいだろう。
「……い、以上がヘルマン諸都市の現状です。
 ローレングラード等壊滅した都市は別として、イコマ、パス、ラング・バウ等では比較的無事でしたため」
「そうですか。つまり、とりたてて問題は起こっていないということですね?」
「は、はい」
「……」
「うくっ」
 凍てつく瞳でジッと見つめられ、男はゴクリ、唾を飲み込んだ。
「まあいいでしょう。バボラ殿の管轄には問題がない……そういうことにしておきましょう。
 次は私が質問させてもらいますよ」  マリスの物言いは、どこか含みがこめられている。自分は信用されていないのか?
 男は背筋に氷を放り込まれたような気分になる。
 男はマリスに怯えていた。
 リーザス時代から苦手だったマリスに、これ以上ないくらい最悪の形で体面したのだから無理も無い。
 リーザスで見慣れた冷たい眼光に磨きがかかり、彼の全てが見透かされるような錯覚に襲われる。
「聞くところによると、ゴーラク、ウラジオストック、ログAの三都市を人間に任せているとのこと。
 これはバボラ殿も了承しているのですか?」
「むっ無論です。バボラ様自らコンバートと会談を設け、歓談を交えつつ……」
「会合の有無など意味はありません。要は、バボラ殿の発案かどうかを問うています」
「と申しますと?」
「コンバートによる間接統治は貴方の差し金でしょう、キンケード」
「うっ」
 断言されて息を呑む男。普段から細い瞳が一層細くなっている。
 キンケード・ブランブラ。
 かつてリーザス青の軍副将を務めた軍人にして、現在実質的にヘルマンを支配する人間である。
 マリスが言うことがいちいち正鵠を射ているだけに、反論のしようがない。
 いったいマリスはどこまで知っているのだろうか?
 彼が何故コンバートをバボラに推薦したか、その経緯までわかったうえで問いただしているのだろうか?
「い、いや、それは、その」
「そう硬くならずに。何も貴方を責めるつもりはありませんし、責める権限も持ち合わせていませんから。
 そもそも、部下が主人に提言をすることは悪いことではありません」
 キンケードの頬に汗が浮かんでいる。マリスが続ける。
「何故人間に統治させているのです? いえ、それよりも何故コンバートなんですか?
 人間に統治させるなら貴方が自ら三都市を統治すればよいことでしょう」
「ははっ」
「畏まるだけでは解りません。理由を聞かせてください」
「は……。では何故人間に統治させているかですが、それはその、配下の魔物共が寒さを嫌うのです。
 彼奴らは人間より寒さに弱いらしく、故にヘルマンでも特に寒さの厳しい地区は魔物任せにできないのです」
「……」
 用心深く言葉を紡ぐキンケード。顔をあげないのでマリスから顔色は伺えないが、よっぽど警戒しているようだ。
 マリスから見れば片腹痛いことこの上ない。
 自分はキンケードが恐れるような意図など何も持っていないのに、どうして自分を警戒するのだろうか? 
 マリスはリーザス時代の彼女とは違うのだ。彼女独自の諜報網はなく世界情勢など門外漢になってしまった。
 キンケードが嘘をつこうと確かめる術はもっていない。
 モンスターが寒さに弱いというのも怪しい話だが、嘘かどうかマリスには解らないし、確かめるつもりもない。
 キンケードが私利私欲を肥やしたとしても、嗜めるつもりはない。
 魔人・バボラがキンケード無しでヘルマンを荒らしまわるより、
 キンケードがこじんまりと好き勝手してくれた方が、広い目で見れば好ましいからだ。
 バボラが考えなしに人間を弄ぶとすれば、キンケードはそれなりの打算と目論みをもって人間を利用するだろう。
 どちらが好ましいかといえば――もちろんリアにとってだが――後者がより好ましいのだ。
 僅かに震えているキンケード。
 寒さ故に震えるのか、それとも別な理由で震えているか、マリスには解らない。解りたいとも思わない。
「実際のところ、魔物だけで統治している都市はラング・バウ、ラポリ、ウォークランドくらいのものです。
 イコマなどの厳寒都市は多かれ少なかれ人間を使って支配している現状です……」
「つまり、貴方が直接支配している地区も例の三都市以外にいくつかある、と」
「……ゴクリ」
 淡々としたコメントは核心を突いていた。
 マリスはキンケードを咎めているわけではないが、キンケードとしては痛い腹を探られる気分。
 なにしろシベリア、パス、イコマでは、『K・B様(キンケード・ブランブラ)』といえば泣く子も黙る権力者だ。
 イニシャルからとった仮の名前で街を支配している彼は、バボラよりずっと広く知られている。
 マリスが打ち出した『対人間方針』を破ってはいない。
 破っていないからマリスから責められる筋合いはないのだが、
 人間としての良心に恥じる行為をしているだけあって、キンケードはマリスの目が怖いのだ。
 キンケードは勘違いをしている。
 彼を見下ろしている女性は、彼が知っているマリス女史じゃない。凍りの魔人マリスである。
「なるほど……少し、ヘルマンの現状がわかった気がします」
 キンケードを見下ろすマリス。ヘルマンの現状、それは三通りの都市が混在する状況と見た。
 ローゼスグラード、スードリ10、スードリ17といった壊滅した諸都市で魔人の支配を受けず細々と暮らす人間。
 ラング・バウ、ラポリといった都市で魔人に支配される人間。
 それ以外の都市でキンケードやコンバートに支配される人間。この三つだ。
 一呼吸おいてキンケードを促す。
「では次の質問にも答えて下さい」
「次の質問、ですか?」
「ええ。何故コンバートをバボラ殿に引き合わせたか、です。人間なら他にもたくさんいるでしょう?」
「は、それはその」
 言い淀むキンケード。こればかりは真相がいい辛い。
「その、それは」
 無言で見つめる視線が痛い。俯いているのに関わらず、マリスがジィーっと見ている様子が目に浮かぶ。
「その、彼が大量に金塊を持ってきまして、これだけの金を調達できる人材なら信頼に足るかと……」
 黙ったままでは話が進まない。キンケードは腹を半分くらい据えた。
 そうだ。なにも真実を語る必要はない。あくまで建前で押し通せば、嘘さえつかなければ言い逃れできるのだ。
 コンバートに金で吊られたことにすればいいじゃないか?
「何しろ時価五千万ゴールドという大金で、流石の私も驚きまして……」
 金で吊られた男と思われるのは癪だが、この際奇麗事は無しにしよう。
「で、この金塊で都市の支配権を買いたいとの申し出を受けました。
 丁度魔物に代って都市を任せられる人材を探していたのです。
 私一人では限界がありますからな。まさに渡りに船でして……」
「なるほど。金の魅力に吊られたわけですか」
「は、はい」
「魔人に取り入り、権力者となってまで財を求める……違和感はありますが、人とはそのような生物でしたね。
 そして、貴方は人らしいという点で、最も人らしい生物でした」
「はっ」
 キンケードは心の中でガッツポーズをした。
 『人らしい』という言葉は不本意だが、この際自分が何と評されようと構うものか。
 この冷たい会談を乗り切れられればどうだって構わない。
 そして、どうやらマリスは自分が言ったことを信じてくれたらしい。
「人選自体は立派なものだと思いますよ。コンバートにしろ貴方にしろ、分を弁えた人間だと思っています。
 バボラ殿の支配代行者として相応しいでしょう」
「はっ。ありがとうございます」
「これからもバボラ殿を助け、ヘルマンを円滑に治めるよう務めるように」
「ははっ!」
 一際大きくキンケードは頷いた。マリスのトーンから会談の終了を感じ、安心したからだ。
 彼にとってマリスと喋るとは苦痛以外の何物でもない。
「それではこれで報告を終らせて頂き――」
「いえ、まだ話すことがあります」
 別れを切り出したキンケードを制し、
「バボラ殿に頼みができました。といっても実質貴方が処理することでしょうから、この場で貴方に伝えます」
 静かにマリスは言い放った。
「私めに? な、なんでしょう?」
 床を見つめるキンケードは、普段より糸目になっている。内心の緊張を押し隠そうとでもするように。
「他でもありません。以前戦場調査を申し付けたことがありましたね?」
「は、はぁ。戦場調査ですか?」
「ええ。あれをもう一度おこなってもらいます」
 怪訝そうに眉を潜めるキンケード。
「魔王様から正式な指示はまだですが、いずれ正式な命令がゆくでしょう。
 ですから事前に準備だけはしておいて下さい」
「はぁ。承りました……。それであの、今回もランス王、いや逆賊ランスの死体を捜せと?」
 『ランス王』といいかけて慌てて訂正する。
「いいえ。今回は死体ではありません」
「では?」
「魔剣カオスの行方です。日光は既に押さえていますが、未だカオスの行方がハッキリしません。
 恐らく戦場に朽ちているのでしょうから、徹底的に探し、見つけるよう命じます」
「確かにカオスは見つかっていませんが……しかし、先月の調査時に見つからなかったものが……」
 口を尖らせ抗議しようとマリスを見る。見たとたん、キンケードは抗議する気をなくした。
 マリスの服装が目に入ったからである。見慣れた青と白の侍女服ではない、紫を基調としたラバースーツ。
 全身から溢れる冷気。彼が対峙している存在はおっかない侍女・マリスではなかった。
 もっと、はるかに畏怖すべき存在なのだ。
「は、ははっ! 早速準備させて頂きます!」
「宜しい」
「で、ではこれで退出させていただきます。失礼っ!」
 オタオタと了解の旨を告げ、キンケードは逃げるように魔王城広間を後にした。
 重たいドアを押し広げ、廊下に出たとたんに体感温度が十度は上がった気分がした。





 キンケードが広間を去ってからしばらくの間、マリスはぼんやりと窓の外を眺めていた。
 キンケードとの対談は円滑に終ったのに、まだ自室へ引き取る気が起こらない。
 各地から魔人が報告にくることを知らせておいたに関わらず、結局魔王は広間に姿を現さなかった。
 そのため、全ての案件をマリスが独自に処理してしまった。
 後に魔王へ今日の報告に出向くつもりではあるが、いやが応にも事後承諾の形になってしまうだろう。
 魔王が事務、些事に興味を示さないのは今に始まったことではない。
 さすがにリーザス、ゼスといった旧人間領を魔人に分配する指令は彼自らが出した。
 けれど、それ以外は全てマリスにまかせっきりである。
 これではリーザスにいた頃と変わらない。リーザスでも『影の王様』などと陰口を叩かれたものだ。
 リアから寄せられる全幅の信頼を元に、実質国政を取り仕切っていたマリスである。
 この先ずっと自分が魔王体制を取り仕切るのか、と思うと心が押しつぶされそうになるのだ。
 ケッセルリンクやガルティアは口に出さなかったけれど、
 古参の魔人達――とくにメディウサとワーグ――は露骨に厭味を言う。
 新参のくせに、淫売め、気取っちゃって、調子に乗ってあたし達に指図するき?
 何様のつもり? ムカつくのよ……。
 マリスは魔王に取り入った。確かに、魔王へ身体を武器に取り入りはした。
 しかし決して権力を求めたからではなく、純粋にリアを守りたかっただけだ。
 だのに、まるで権力目当てに取り入ったかのように思われては片腹痛い。
 権力は、勝手についてきたに過ぎない。
 第一……既に魔王はマリスを愛してはいまい。一時カミーラを被せはしたが、過去の話だ。
 マリスとカミーラが根本的に違うと本能的に察知した魔王は、マリスを単なる『便利な人形』程度に思っているだろう。
 

「ふー……」
 二三度深呼吸する。
「魔王様は今後も些事を気になさらないでしょうね。とすれば、誰かが事実上の支配者にならねばいけない……」
 支配者とは、旧人類領の支配者を指す。
 マリスが見るところ、虚しさを知った魔王が立ち直るためには数年の歳月が必要だろう。
 となると、その間魔王に代って実務を仕切る人物が必要になる。
「適任はホーネット殿なのですが、しかし、魔王様が許さない」
 毅然とした若草色の女性が浮かぶ。
 マリスが魔人になる以前から犯され続け、それでも凛々しい気品を失わない魔人の姫君。
 人間への理解と、平和を重んじる魔王像を持った気高い令嬢。
 実力、品性、魔人としての経歴のどれをとっても彼女ほど相応しい人格はない。
 けれど、駄目だ。魔王がホーネットを手放すわけがないのだ。
 彼女を汚すことで、魔王は過去に感じた屈辱を癒すことができる。カミーラの思い出に浸ることができる。
 魔王がマリスを手放すことがあるとしても(可能性は極めて低いが)、ホーネットを手放すことは考えられない。 「となるとメディウサ殿かワーグ殿。それに私……」
 ケッセルリンクも魔王代行者として相応しいが、彼はゼス区域を任されている。
 ゼス区域代表かつ魔王代行者が出来るとは考えにくく、支配区域を持たないものが魔王城に駐在するしかない。
 そう考えると人選は絞られる。
 マリス憎しの余りメディウサの城へ引き取ってしまったヘビさん魔人、メディウサ。
 変貌したケイブリスに相手にされず、拗ねている幼女魔人、ワーグ・赤。
 ロナ出産に先立ち姿を晦ましている闘神魔人、レッドアイ。
 各地の連絡役兼助太刀役を務める炎と氷の姉妹魔人、ラ・ハウゼル、ラ・サイゼル。
 相変わらず行方がしれない謎のハニー魔人、ますぞえ。
 そして、現在魔王城で実務をこなす凍りの魔人、マリス・アマリリス。
「サイゼル殿、ハウゼル殿には役目がある。ますぞえ殿は行方知れず」
 誰ともなく囁きかける。
「レッドアイ殿もワーグ殿にも実務は勤まらない。といってメディウサ殿に任すわけにはいかない……絶対に」
 やはり自分か……。マリスは諦めたように目を閉じた。
 魔王の代行とは即ち、率先して人類を統治する役目を意味する。
 もしも魔王が前面に立ち、マリスが影でサポートするなら気も軽い。
 だが現実は、マリスが矢面に立ち、全人類の憎しみと侮蔑を一身にあびて行動することだろう。
 例え全人類に憎まれようとマリスは気にしない。自分は、憎まれて当然の事態を招いたのだから。
 ただ……ただ、たった一人の少女にだけは変わり果てた姿を見せたくなかった。
 いっそメディウサに代ってもらえば楽になれのに、という邪念が頭上をよぎった。が、あくまで一瞬のこと。
 メディウサが人間を支配する。これは考えうる最悪のシチュエーションだ。
 メディウサが頂点に立ったとたん、
 人間は『奴隷』という曖昧な定義から抜け出し、『性奴隷』という明確な定義が与えられる。
 全ての美しく若い女がメディウサの玩具として泣き、喚き、狂い、死ぬ。
 マリスにとって、これは青い髪の類稀な可憐さをもつ少女がメディウサに殺されることを意味する。
 メディウサに魔王の代行者を譲るなんて、お話にもならない稚拙な発想。
 時間にして五分ほどの間。マリスが彼女に似合わぬ虚ろな瞳だったのは、たった五分。
 クルッ
 背筋をしゃんと伸ばし、一分の隙もない姿勢でマリスは広間のドアへ足を進めた。
 これから魔王の元へ赴き、各地の情勢を報告し、嬲られ、貫かれるという仕事が待っている。
 リーザス城でも魔王城でも、マリスに寛げる時間はない。
 カツカツカツ
 マリスが放った冷気により表面が凍った床は、ハイヒールがタップするごとに小気味よい音色を奏でる。
 単調なスタッカートが広間に響き渡り、シャンデリアがゆっくり揺れた。
 カツカツ……カッ
 ふとマリスが足を止める。今日の面談は終ったはずなのに、僅かな気配が漂っている。
「……?」
 モンスターだろうか? リーザスがサイゼルの襲撃を受けたときと似た気配だ。
 魔人になって敏感になった肌が、僅かに紅潮した。
「……」
 城内にはメイドさん以外に常駐するモンスターはいない。しかも、押し殺してはいるが、これは……殺気?
 違和感は広間に通じる扉からひたひたと伝わってくる。
「扉の向こうの方、もう出てきてはどうですか?」
 よく透る声でマリスは言った。マリスは扉の向こうに誰がいるのか、おおよそ見当が付いた。
 押し殺して余りある殺気を向ける人物で、これほどに威圧感をもつ者といえば、心当たりは彼女しかいない。
「魔王様はいらっしゃいませんが、用件なら私が承りましょう。さ、お入りなさい」
 コトリ
 マリスに合わせるようにして、扉の向こうからかすかな物音がした。
 続いて重々しい響きと共に一木造の扉が軋む。
「……なぁにが『承ります』よ……スカしちゃってさ。毎晩ケーちゃんにヒィヒィいわされてるくせにね」
「お、お嬢様そのような下品な物言いは」
「アレフは下がってて」
 おたついた灰色の枕使徒を押しのけ、ズイと広間に足を踏み入れる。
 パタリ、パタ。のたうつ白い異形の生物を幾筋も生やし、白椋であしらえた衣装。
 流れる黒髪を床に這わせる長身の女性がそこにいた。
「やはり貴方でしたか」
「ええ。今日ってみんなが報告に来る日なんでしょう?
 なーんでかアタシだけお呼びがかからなかったんで、こっちから出向かせて貰ったわ」
 メディウサは身長2,1メートル、体重166キロという巨大な体躯を誇る。
 股間から這えた蛇が体重の大部分を占めるとはいえ、バボラ、ケイブリス、レッドアイに次ぐ体格を持っている。
 一方マリスはといえば、人間としては大柄だったが所詮人間内での話。
 167センチ、50キロという均整が取れた体は、メディウサを前に消し屑のように思われる。
「ケッセルリンクやガルティアは呼びつけるくせに、アタシは蚊帳の外なのね」
「いえ、次の機会にお話を伺うつもりで――」
「嘘ばっかり。どうせアタシとケーちゃんを遠ざけようって腹なんでしょお?」
 メディウサは甘ったるく語りかける。
「いいわねぇ、アンタはずーっと好きな人と一緒にいて、
 好きなように人間連れてきて、面白可笑しく暮らしてるんだもんねぇ。アタシなんてどう?
 やれ人間を苛めちゃ駄目だの、領土は貰えないのって、可笑しいったらないじゃない。うふふふふ」
 言葉は穏やかだ。だが顔は笑っていない。口調は優しげだ。だが視線は尖りきっている。
「ケーちゃんに文句をいいに来たてみれば……何アレ? アレがケーちゃん?
 朝っぱらからベッドに潜って何にも言ってくれないのよ?」
「? 魔王様に会われたのですか?」
 マリスはあくまで涼しげだ。メディウサが放つ殺気などどこ吹く風のように見える。
「……さっきまでずっとね。ケーちゃんの部屋で、朝からずっと……」
 バンッ
 体内から生えた蛇が、一際大きく床を叩いた。透き通るように白い肌に血管が浮き出る。
「……こっちが何を言っても生返事。あげくに『文句があるならマリスに言え』ですって?
 そのマリス様に文句があるっていうのにねぇ! あははは、あー可笑し……」
 ドヒュッ
「お、お嬢様いけませんっ!」
 豹変を絵に書いたような変化。
 人型をした左手を口にあて、上機嫌に笑ったかと思った次の瞬間、鳥のように鋭い鍵爪をもった右手がマリスを襲う。
 アレフガルドが抑える間もなく、マリスに殺到する巨大な爪達。
 巨躯に相応しい圧倒的勢いをもって、冷たい空気を引きちぎる。
 マリスはといえば、ピクリとも頬を動かさず、迫る死を腕を組んだまま見つめていた。
「……」
 ピタリ
「……ふぅん。なんだ、ただの淫売じゃなかったんだ」
 けれど、唸りを上げた爪がマリスに届くことはなかった。
 ほんの、ほんの数センチ手前で見事に静止した禍々しい手。
 掌に遮られ、マリスからメディウサの表情は伺えなかったけれど、マリスには想像が付く。
 おそらく、苦笑いの一つも浮べているのではないだろうか? それとも、苦笑いですらない嘲笑か?
 ゆっくり離れていく四本の爪。と、そのうちの一本がマリスの首元をなぞった。殺意は……感じる。
 けれど、実際に喉へ突き刺さることはないだろう。
 なにしろメディウサの全身に向かい、無数の氷柱が床から伸びているのだ。
 メディウサが攻撃に移ったと同時に、マリスも全魔力を放出し、凍気で氷の槍を打ち出していて、
 すべてがメディウサの鍵爪と同様に寸止め状態で止まっているのだ。
「くすっ……今日のところは大人しく引き下がってあげる。でも、アタシがアンタを許したなんて思わないでね?」
「そうですね。貴方に恨まれる由縁など存在しませんし」
 目を逸らすことなくマリスが答える。憎たらしいほど泰然自若として。
 ツイツイ
 女性らしからぬゴツゴツした感触。
 喉元を敵に握られているというのに、マリスは怯えることを知らないのだろうか?
 仮にメディウサが死を覚悟して突進すれば、確実にマリスは息絶える。
 メディウサを道連れには出来るかもしれないが、自分が生き残る可能性はゼロなのだ。
 メディウサも平然としたものである。
 足に、腕に、顔に、性器に、蛇にまで凍てつく氷柱が迫っているというのに、目はマリスしか見ていない。
 マリスの返答を無視し、メディウサが続ける。
「どんな風にケーちゃんをたぶらかしたか知らないけど、いつまでも上手くいくとは限らないわ。
 これからは……」
 ツッ
 束の間、爪が素早く上下した。
「これからは背中に気をつけなさい。アンタの可愛いピンクちゃんもねっ!」
 パァン
 マリスから手を離し、纏わり付く氷を一蹴する。キラキラと輝きながら砕け散る氷。
 クルリと踵を返し、白い巨体はマリスに無防備な背中を向けた。
「アレフッ、帰るわよ!」
「う……!? は、はいお嬢様っ!」
 呆然と二人のやり取りを見ていたアレフガルド、メディウサの一声で我に返る。
「あの、お、お怪我は?」
「っさいわね! 黙って付いて来る!」
「は、はいぃ」
 灰色のもこもこした使徒は、ズンズンと早足であるく主人を追いかけようとした。
 と、ちょっとだけマリスを振り返り、
 ペコリ
 お辞儀をする。マリスに対し、主人の非礼を詫びているのだろうか?
 マリスも丁寧にお辞儀を返した。
 礼を返しあう間にも、地響きが広間から遠ざかってゆく。
「お待ちになってください、お嬢様〜」
 丁寧に扉をしめ、アレフガルドもマリスの視界から消えた。後には、首に一筋、赤い糸を滴らせるマリスが。
 マリスは人差し指をたて、首を撫でる。指先にネトつく赤い感触。
 指を持ち上げれば赤い筋が、目に見えないほど細く付いていた。
 青褪めた唇を開き、舌を伸ばす。赤い線にそっと舌を這わせる。


――――――
 メディウサの気配が豹変した瞬間を、マリスが逃すはずがない。
 メディウサがマリスとの距離を詰めるより前に、マリスは凍気を噴出させた。
 もともと広間を冷やしていたせいもあり、猛烈な速度で氷柱を突き上げる。
 床から、壁から、空中に出来た氷の結晶から、無数に氷柱を巻き上げた。
 鋭い爪がマリスを食い破ろうとした時には、輝く氷もまた、蛇女を貫こうとしていた。
 勝負は相討ちの様相を呈したことだろう。いや、寧ろマリスが優勢に見えただろうか?
 戦いの本質を見抜けない者、例えばアレフガルドには、氷に包まれた主人の方が危機にあったと見えたかもしれない。
 まるで逆。なっちゃいない。
 マリスは即席の氷を放ったに過ぎなかった。
 リックを突き刺した氷剣ならともかく、ロクに凍気が篭らない氷に貫通力のあるはずもない。
 勝負は、完全にマリスの負けだった。
 致命傷を与えることすら覚束ない氷の武器VS確実に息の根を止める爪。
 メディウサにはバレていた、そうマリスは思っている。マリスがはなった氷がハッタリに過ぎないことだ。
 だからこそ、マリスの首に『勝利の証』を残していったんだと思う。
 みすみすマリスを見逃したということは、メディウサにはもともと殺すつもりがなかったのだろうか?
 やはり、魔王の『マリスに従え』という一言が効いていたのだろうか?
 どっちだって構わない。マリスにとって、今自分が生きているという事実だけがある。
――――――


 メディウサが怒った顔を思い出し、フッと冷笑を浮べるマリス。無表情が常の彼女にしては珍しいことだ。
 メディウサが彼女に腹を立てている原因は、結局のところ嫉妬に過ぎない。
 それも、『魔王、メディウサがいうところのケーちゃん』を取られたという、単純な嫉妬。
 そこにやれ『たぶらかした』『骨抜きにした』だのと、見当違いもはなはだしい。
 マリスがケイブリスを好いている? 真逆、まさに正反対。
 ケイブリスに全身全霊を捧げるが、世界で一番憎い存在こそが魔王である。
 マリスがケイブリスを骨抜きにした? 魔王とは本来怠惰な存在に他ならない。
 ケイブリスが怠惰になったのは、彼が名実ともに『魔王』へ昇華したことを意味している。
 魔王となったケイブリスを『骨抜きになった』と見る眼が節穴なのだ。
 メディウサに意図的に人間支配を任せなかったこと。マリスが淫売であること。
 この二つについては、あながち間違いとも言い切れまい。だが他の意趣は全て間違い。
 極めつけの間違いがもう一つ、ある。メディウサが去り際に残した捨て台詞だ。
 『アンタの可愛いピンクちゃん』
 言うまでもなくシィルを指す。
 マリスが大事にしているシィル、
 マリスにとって大事な存在であろうシィル、
 マリスへの憎しみを転化すべき存在はシィル……。
「ふっ」
 サラサラの髪をかきあげる。どうやらマリスの思惑通りに事は進んでいるようだ。
 メディウサや、これから現われるであろう反マリス勢は、目をシィルに向けることだろう。
 メディウサにしてそうなのだから、マリスをよく知らない人間も、
 マリスへの憎しみをピンク色の少女に向けることになろう。
 誰も、かつてのリーザス王女を思い出しはしないだろう。
 冷笑を浮べてマリスは大広間から立ち去った。
 腐臭が、マリスが去ると同時に立ち込めてゆく。





 ・・・あとがき・・・
 これでマリス・シィルサイドは一段落着きました。
 でも一章五話じゃ寂しいので、続いて、ホーネット・シルキィやパットンサイドを書こうと思っています。
 お付き合いくださり、本当にありがとうございました。(冬彦)







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