魔王ケイブリス 第四章 『魔王城にて』






  七話 サテラの決意




 
 サテラは朝からずっとベッドに潜っている。
 かつてランスが過ごした部屋の、緑を主体としたフカフカの毛布に身体全体を潜り込ませている。
 地下牢でのありえない出会いから三日、シーザーに番をさせたまま外との交わりを一切放棄した魔人の少女だ。
 ベッドの中から時折、
「ランス……」
 と、か細い囁きが漏れる他は全く気配がしない。
 仮にもリーザス城を預かる身なのだから、本当なら布団に潜ってなどいられないのに、
 毛布はこんもり盛り上がってもそもそ動くだけで、中から飛び出す気配はない。
 通常ならば牢を破られたうえに、カオスを携えたランスが生きていると知った以上、
 やらねばならないことが山ほどある筈だ。
 第一に城を破ったランスに追っ手をかけねばならないし、第二に逃げ出した女達を捕まえねばならない。
 魔王への報告も怠ってはならないだろう。
 『リーザス城が破られた』『リア達に逃げられた』『ランスが生きている』。
 どれ一つとっても、人間を支配する上で欠かせない情報だ。報告と捕獲、両者を平行して進めねばならないだろう。
 しかし、サテラは自ら追っ手となるでもなく、自ら魔王城に出向いて報告するでもなく、
 ベッドにくるまってゴソゴソしているだけである。
 追っ手はといえば、魔物将軍に数隊をつけてリーザス城下、ノース、イース、サウスに仕向け、後は彼らにまかせっきり。
 報告はといえば、使者一人差し向けることすらせず、全く手をつけていない恰好だ。
 ランスに大怪我を負わされて動けないのかというと、そうではない。確かにランスと戦いはした。
 けれど、ランスはサテラにカオスを突きつけるだけで、一度も斬撃を放たなかった。
 ランスの足元にねじ伏せられ、腕をグリグリと踏みつけられただけであり、魔人特性ゆえに傷一つついていないのだ。
 では一体何をしているのだろうか?
 ……何をしているかと聞かれれば、サテラは口ごもるしかない。自分でもなにがなにやら解らないのだ。
 もしもサテラが自分を客観的に見ることができて、正確に自己分析が出来たとすれば自分を評してこういうだろう。
 『するべき義務から目を逸らし、自分が置かれた現実から逃避し、
  ただひたすらにランスと出会えた事実を噛み締めている』と。
 サテラには自分を分析する趣味はない。自分の感情を上手く整理することもできない。
 だからこそ三日もの間、嬉しいのか悲しいのか腹が立つのか寂しいのか、
 浮かんでは消える様々な感情を持て余し、ベッドにくるまるしか出来ないでいた。
 だが、サテラのプチ引篭もり生活にも終わりが近づいている。
 モゾモゾ
 ランスが3P用に設えた特大ベッドの中央に出来た小さな山がささやかに動いた。
 今朝になってからというもの、ベッドが動く回数もとみに増えてきた。
 衣擦れをさせるだけだった動きも、次第に大きくなってきた。
 部屋に漂う煩悶が、心なしか薄れたように思われる。
 ベッドの中心から蜘蛛の糸のように張り巡らされた哀しみ、悶え、苦しみが次第に解けていく。
 そしてゆっくり持ち上がる毛布。
 ところどころ破けてはいるものの、それなりにピッチリしたスーツを纏ったサテラは起き上がった。
 身体をずらし、ベッドから悠長に身をおろす。キュッと唇を結び、僅かに頬を紅潮させ、拳を握り締めている。
「シーザー、入っておいで」
 扉の向こうで立っているだろう親友を呼ぶ。一語一語区切るように。
「ハイ、サテラサマ」
 驚くほど素早い返答が帰ってくる。とても三日間待ち続けていたとは思えない速度。
 続いて扉が開き、見慣れた白い巨体が姿を見せた。
「オハヨウゴザイマス、サテラサマ」
「うん。おはよう」
「オカラダハヨロシイノデスカ」
「うん……。ありがと。心配してくれて」
 穏やかな会話。ランスとの戦闘が嘘のようだ。しかし、地下牢で戦った事実は変わらない。
 現にシーザーの片腕は無残に砕け散り、肩口にポッカリ穴が開いている。
 ランスが放った一撃で砕かれた腕は、まだ修理してもらっていない。
 サテラは傷口に優しく触れた。シーザーを見て安心したのか、硬く結ばれた唇も幾分和らいでいる。
「シーザーこそ大丈夫? ちゃんと修理してあげるからね……遅くなってごめんね」
「アリガトウゴザイマス」
 恭しいお辞儀。主人に対してどこまでも忠実な僕の姿。そう、サテラとシーザーの関係はどんな関係よりも深いもの。
 魔人と使徒以上に忠実な関係を結び、恋人同士以上に信頼しあっている。
 そんなシーザーが、今のサテラには救いになる。
 サテラはふと思った。
 もしもランスと出会わなかったら、自分と創りだしたガーディアンとの関係が至上だったかもしれないな、と。
 自分の意にそぐわない男との関係にこれ程魅かれるなんて、ランス以外ならありえなかっただろうな、と。
 シーザーとサテラの目があった。そこにはギラついた欲望もなければ、精力も覇気もない。
 ただひたすら主人を気遣う瞳があるだけ。独自の意思が、願望が、欲望がない。
 これじゃない。サテラが自分に向けて欲しい瞳は、こういう無機質さを備えてはいない。
「? ドウカシマシタカ?」
「え? あ、ううん、なんでもない」
 ふるふると首を振るサテラ。
 サテラはシーザーが大好きである。もしシーザーを一番大事に思えたならば、どれだけ楽になるだろう?
 大好きな人がずっと傍にいてくれるのだから、今味わっている寂しさ、苦しみの類は全て吹き飛んでしまうだろう。
 けれどもシーザーは二番目に好きな人という枠を出ることはない。
 二度と時間は戻らない。ランスと出会う前には戻れない。
「サテラは決めたんだ。だから、もう決めた」
 シーザーから目を逸らし、ポソリと呟く意味を成さない独り言。
「?」
 シーザーはリアクションを返せなかった。主人の呟きが理解できないためだ。
 固まるシーザーを余所に吶々と続けるサテラ。
「ランスが生きてたんだから……サテラは、ランスと戦わなくちゃいけない。
 でも……イヤなんだ。もう……戦いたくないんだ」
「……」
 シーザーは無言で主人を見つめる。主人は、そんなシーザーを知ってか知らずか吶々と続ける。
「でも……でも、ランスに味方なんてできない。魔王様には逆らえない」
「……」
 しばし流れる沈黙。
「……だから戦わなくちゃいけない。
 サテラかランスか、どっちかが死なないと、いつまでも戦い続けなくちゃいけない」
 戦意など欠片も篭らない声。穏やかな語り口とは裏腹の、穏やかでない言葉達。
 シーザーは感じ取った。サテラは、彼の主人は魔人に有るまじき行為に身を染めようとしている――。
「サテラは疲れたんだ……。生きてたって、魔王様に苛められるだけだ。
 きっと、使い古した人間みたいに、ずっと、ずぅっと……死ぬまで苛められるんだと思う」
「サテラサマ……」
 ツー。
サテラの目尻から涙が流れる。拭おうともせず、床に雫が落ちる。

――――――
 サテラの決意。それは、
『死のう』。いや、正確にいえば『殺されよう』というべきだろうか。
 意にそぐわない魔王に従って数百年を生きるなんて耐えられない。意にそぐわないだけならいい。
 魔王は、サテラの主人にしてサテラが最も忌むべき存在なのだ。
 サテラを弄び、犯し、死の直前まで攻め立てた魔物なのだ。
 サテラが得た至福な時間を打ち壊した張本人であり、
 サテラの親友――ホーネット、シルキィ――をボロボロにした犯人であり、ランスを殺すであろう魔王。
 かつてこれほどに憎悪を覚えた存在があっただろうか? いや、ない。
 人生でこれ以上忌まわしい存在はいなかったし、今後も出ることはないだろう。
 しかも、相手は魔王なのだ。そしてサテラは魔人という名前で呼ばれる魔王の玩具。
 リーザス城で絶望に浸っている内は弄ばれることもないだろう。が、いつまでも魔王から離れて暮らせるはずも無い。
 いずれサテラも魔王城へ呼び出され、
 ホーネット、シルキィが受けているであろう陵辱を味合わされる運命がまっているのだ。
 そんな未来に未練なんてない。仮に犯されないとしても、ケイブリスを頭上に頂いた人生なんて、嫌だ。
 ランスを殺した魔王に仕えるなんて耐えられない。
 今までも何度か死を考えた。
 ケイブリスにしたがってリーザスへ進軍する際も、ケイブリスに蹂躙された時も、
 自ら進んでケイブリスの足に口をつけたときも、死が脳裏を掠めた。
 けれどいつだって最後の一歩までいかず、死ぬという概念は掻き消えた。
 いざ死を考える時、何か決めてがなければ足は進まないものである。
 サテラの背中を押した決め手。それは『ランスが生きていた事実』だった。
 ランスは生きていた。生きて、嘗て戦った時のようにサテラを捻じ伏せ、勝ち誇った笑いをあげてくれた。
 夢にまで見た姿だった。
 だのに、サテラは戦うことしか出来ないのだ……!
 一緒に寝ることも、交わることもできない。何も出来ない。殺しあうことしか出来ない。
 サテラとランス、二人が同時に行き続けることは出来ない。
 二人が出会うとき、サテラにはランスを殺すことしか許されていない。
 ランスが生きているということは、サテラにとって快哉を叫ぶに足る事実にして、果てしない心痛をもたらす事象。
 そこにサテラが見出せる唯一の活路が『ランスと戦って死ぬ』という言葉に凝縮した。
 最後にランスに会って、自分の気持ちを全部言おう。そして……、
 『ランスにサテラを殺して貰おう』
 自分に酔っているわけではない。傍目に自己陶酔と映ろうが構わないが、サテラは本気だった。
 サテラが幼い頭脳なりに、真剣に考えて出した結論。
 一緒に生きる相手さえ思い通りに選べない自分だが、殺される相手だけは選ぶ事が出来る。
 ランスに殺されるなら、サテラは自分が笑顔で死ねるような気がしていた。
 ケイブリスと百万年くらしてから死ぬよりも、ずっと幸せに死ねるような気がするのだ。
 加えて大事な事がある。敗れて死を迎えたサテラなら、もう一度ランスが優しくしてくれそうな気がするのだ。
 優しくしてはくれないまでも、そっと看取ってくれるだろう。
 それでいい。哀しいけれど、ランスが憎む魔人たるサテラが望める限界だ。
 『ランスに殺してもらう』という発想が一過性か、それとも永続性かはわからない。
 サテラは永続性なつもりだが、所詮幼い頭脳が導き出した結論に過ぎない。
 しかし幼い頭脳だろうが成熟した頭脳だろうが、結論は結論である。
 サテラにとって新しい、加えて人生最後にして最大の目標が完成したのだ。


 マリスが知ればこういうだろう。
 幼稚極まる発想にして、少女趣味を剥きだしにしたような発想だ、と。
 本当の死を知らない魔人だから言える発想だ、と。
 死ぬことで事態を変えようとすること自体が根本的に間違っている、と。
 さらにこう付け加えるかもしれない。
 好きな人に自分を殺して貰うという発想に潜む悪意は、所詮自己のために過ぎないものであり、
 相手を慕った上での行動としては失格である、と。
 本当に好きならば、ランスの手を煩わさず己の手で命を終えるべき、と。
 本当に相手を想うなら、生きて見届けることが死ぬよりも誠意をもった道である……と。
――――――

「ちょっと怖いけど、多分大丈夫……もう決めたから」
 語尾が僅かに震えている。シーザーは砕かれていないほうの水平にして胸にもっていき、恭順の意を示した。
 例えシーザーに死ねという命令が下されようと、彼はサテラに従うのだ。
「……ごめんねシーザー」
 俯いて謝るサテラ。
 サテラが死ねば、シーザーも生を放棄するということは、作り手であり親友でもあるサテラにはよく解っている。
「イイエ。ナニゴトモオモウトオリニナサッテクダサイ。サテラサマニシタガイマス」
「……ありがと」
 スッ。
 顔をあげたサテラがシーザーを見据える。
 その眼差しには悲愴な、それでいてどこか吹っ切れた明るい光が宿っていた。





 午後。燦々と照りつける太陽を反射した白い巨人と、巨人の肩にチョコンと座った少女はリーザスを出発した。
 サテラと、新しい土で傷を癒してもらったシーザーである。
「ソクドヲハヤメマショウカ?」
「ううん。このくらいが丁度いい」
「ワカリマシタ」
 人間で言う早足程度で進むシーザー。
「うん。別に急がなくていいんだ」
「ハイ」
 サッパリしたようなサテラ。気が強そうな目元はどこへやら、優しそうに咲き誇る夏の花々を眺めている。
「……花ってこんな色をしてたのか……」
 新鮮な驚きである。
 サテラにとって黄色、山吹色を主体とした野の花が自分の感性に訴えてくるとは思わなかった。
 これまでは花になんて目も呉れなかった。
 リーザス平原の夏は二度目だけれど、こんなに鮮やかな花畑があるなんて気が付かなかった。
 視線は草花のもっと奥、土にばかりいっていた。無論ガーディアンを作るためである。
 よりよい土、よりよい水。ランスをボコボコにするために強いガーディアンを作る!
 そればっかり考えていたから、花を見る余裕もなかったんだろう。
 もうサテラにはいい土も、水も、強いガーディアンも必要ない。
 自分を運んでくれるシーザーさえいれば、他はいらない。
 魔人界にいたころも、花になんて興味がなかった。
 ガーディアン作りは何よりも面白かったし、ホーネットやシルキィと共に戦うことにばかり気を取られていた。
 戦いに勝つことから自分を解き放ったサテラには、花が単純に美しい。
「あとどのくらいだろう?」
「マオウサマノシロマデ、コノブンナラヨッカデショウ」
「ううん、そういうことじゃなくて」
 サテラは魔王城までの時間を聞いたわけではない。
 目の前に広がる生き生きとした光景がどのくらい続くかを尋ねただけだった。
「ハ?」
 グリッと首をねじり、シーザーが上を見上げる。
 視野の端に移る無機質な瞳は、やっぱり無機質な灰色をしていた。
「……何でもない」
 咲き乱れる夏草。照りつける太陽。絵に書いたような光景のなか、シーザーとサテラは進んでいく。
 魔王城に、
 魔王というよりはピンク女に、
 ピンク女というよりはピンク女を追ってやってくるだろう男に会いに進んでゆくのだ。
 ふと頭上から重苦しい圧迫を受け、サテラは怪訝そうに上を見上げた。
「パイアールサマデスカ?」
 シーザーも立ち止まり、大空を見上げている。ポツポツと浮かぶ羊雲を潜り抜けるようにして移動する機体が見えた。
 メタリックシルバーが太陽を反射して、まるで太陽が二つあるよう。エンタープライズ号である。
「そうだと思うけど、ちょっと変だ」
 眩しさに目を細めるサテラ。
 エンタープライズ号が飛んでいるということは、間違いなくパイアールが乗っているのだろう。
 しかし、パイアールはJAPAN攻めを指揮する身分であり、JAPAN戦はもう始まっている頃だ。
 戦闘の最中に指揮官がこんなところをウロウロしているはずがない。
「何かあったのかな?」
「ナニカアッタノデショウカ?」
 二人は同時に同じことを言った。
「くすっ」
 ふとした諧謔に苦笑が湧く。サテラはシーザーの頭を両手でポンポンと叩いた。
「サテラサマ?」
「気にしないでいいよ。どうせパイアールだから」
「?」
 ポンポン、何度も叩く。戸惑ったように身体を揺するシーザー。
 そうこうする間にもエンタープライズはグングン近づいてきて、二人の真上に差し掛かった。
 機体の陰が二人を覆う。どうやらエンタープライズも魔王城を目指しているらしく、進行方向は同じだった。
 目的地が同じなら乗せてもらうという手もある。しかしサテラは黙ってエンタープライズをやり過ごした。
 パイアールに好意を持っていないこともあるが、
「さ、行こう!」
「ハイ、サテラサマ」
 シーザーに乗って外を歩く。高いところからのんびり回りを見渡す。こういう時間をもっと味わいたかったから。
 風が、ヘアバンドで止めたポニーテールを靡かせる。花の香りを運んでくれる。
 どんどん遠ざかってゆくエンタープライズのお尻を見上げながら、サテラは思った。
 パイアールも馬鹿だ。空ばっかりとんでいるから花とか、風とかのよさが解らないんだ。
 だから機械ばっかり作って、自分の言うことを聞く女ばっかり集めたがる。もったいない。
 目線を転じて大地に下ろす。あたり一面花畑。サテラは落ち着いた気持ちで目を閉じた。
 五感が柔らかい暖かさに包まれる。シーザーが送る振動すら心地よい。
 サテラは半ば眠ったように揺られていった。
 どうせ会うなら魔王城じゃなくて、地下牢でもなくて、お城でもなくて、
 こんな……こんな花の中で会いたい……などと、埒もない想像に浸りながら。



 

・・・あとがき・・・
 サテラ、ちょっと違うかなぁ。
 こうじゃないなぁ、うーんうーん。
 って悩んでても始まらないのでとにかく書きました。
 サテラはランスの敵というか、味方っぽい敵の役をしてもらおうと思ってます。(冬彦)














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