パパイヤ・サーバーの『愉快な一日』

(10000HIT記念SS)






 ある日、青年に一通の手紙が届いた。
『はぁ〜い、親愛なるアーちゃんへ♪ ちょっと手伝って欲しいことがあってぇ、今日はあたしの塔で遊びましょ。
 あと、これって一応命令だからぁ、逆らったりおいたしちゃ駄目よん♪      ゼス四天王・パパイア・サーバー』



「……ゴクリ」
 青年は目の前に聳える塔を見上げると唾を飲み込んだ。見ているだけで足が振るえ、背中に冷や汗が湧き上がる。
 門前にたどり着いてから三分間、いまだに扉を叩くことができずにいた。
 とてもじゃないが塔に入る勇気がでないのだ。要因としてはまず外見があげられるだろう。
 塔の見た目を一言でいうなら、『呪われた魔女の館』。
 蔦がこれでもかと生い茂り、蔓と葉っぱで塔の外壁がチラとも見えない。周辺を鴉が飛び回り、
「グゲェー、グギャ―」
 と、陰気に泣き喚く。これでは塔に楽しいイメージを持てというのが無理な話だ。
 ゼスには同じ形状の塔が四つあるが、どうしてパパイヤの塔だけこうもナイスな雰囲気なのだろう?
 山田の塔もマジックの塔も清廉な空気だのに、ここだけがダーク。
 他にも塔を恐れる要因はある。
 曰く『パパイヤ様警護の一般兵は二日以内に消息を絶つ』、『パパイヤ様は人体解剖がお好き』、
 『パパイヤ様の塔には幽霊が毎日出る』といった悪い風評だ。とにかくこの塔は評判が悪い。
 いや、評判が悪いどころじゃないだろう。『評判が壊滅的に最悪』といったところだろうか?
 あながち嘘八百とも思えない風評だけに侮りがたい。
「くそ……怖がるなアレックス! お前はゼス魔法四将軍だろう?」
 錆と緑青が複雑なコントラストを為す扉を前にして、青年は己に芽生えた恐怖心と戦っていた。
 はっきりいって入りたくない。『この門を潜るもの、全ての希望を捨てよ』、そんなオーラが漂っている。
「いまさら引き返す訳にもいかないし、入るしかないんだけど」
 アレックス・ヴァルス。ゼス魔法四将軍にして光魔法のエキスパート。若手成長株ナンバーワン魔法使いだ。
「……やっぱり何かされるんだろうなぁ。一番よくて光魔法で研究の手伝い、最悪なら……」
 『最悪なら解剖される』、そういいかけたところで慌てて口を塞ぐ。まったくもって冗談じゃない。
 いくらパパイアがMADでもそう簡単に人を解剖するなんてありえない。
 アレックスにはパパイアが巷で騒がれているほど危険でないことくらい分かっている。
 研究テーマはとんでもないテーマばかりだが、完成した研究を実用して被害をもたらすことは……たまにしかない。
 もちろん危険人物であることに変わりはないが、他人に肉体的ダメージを与えるなんて……滅多にない。
 『ない』と断言できないところに一抹の悲哀が漂っていた。
「そ、そうだよ、きっと光魔法が研究に必要なんだ。
 僕の光魔法が必要で、でなきゃ僕が呼ばれた理由にならないよ、うん」
 俯きがちな顔をあげると、アレックスは無理矢理自分を納得させた。
 一瞬『光魔法を使える人間の体が必要』という寒気に襲われたけれど、
 そんな風に自分で自分を追い詰めていればいつまでたっても前に踏み出せないではないか。
 そうだ、きっと光魔法が必要なんだ、そうに違いない! ……と信じよう。
「と、とにかく早く終わらせて帰るんだ。どうせ大したことないだろうから大丈夫――?」
 足元から妙にネトつく響きが聞こえたような?
「??? 何か聞こえたと思ったけど……」
 アレックスは耳を澄ました。すると鴉の鳴き声に混じって、
 ヒィィィィ……
「うえっ? な、何だ?」
 端正な顔立ちがピクピクと痙攣する。聞こえたのは……悲鳴?
 まるで断末魔のようにか細く切ない叫びが聞こえたような。
「き、気のせいだよ。はは、あははは」
 こめかみが震えているのを自覚しつつ、アレックスは何とか笑顔を作った。
 足元から悲鳴が聞こえるなんて気のせいに決まっている。自分がビクビクしているから幻聴まで聞こえてしまうのだ。
 怯えた顔には不幸が訪れ、笑う角には福来る。こんな時こそ笑顔が大事だ。
「はは、はははは……はぁ〜」
 けれど作り笑いも長くは持たない。ちょっと気を抜けば溜息をついてしまう。
 改めてアレックスは疑問に思うのだが、どうしてパパイアが四天王なんだろう?
 確かにパパイアが研究熱心で、魔法の才能に富むことは認める。
 ゼス国では『魔法力=地位・権力』という図式が存在するので、パパイアがある程度重用されるのは仕方ないと思う。
 しかしいくらなんでも四天王はやりすぎではなかろうか? 四天王といえばゼスを実質的に支配できる人間だ。
 そこまでパパイアを重用してよいのだろうか? 答えはNOだ。
 人の上に立つ者はもっと人徳・分別がなくちゃ駄目だと思う。
「はぁぁ、せめて千鶴子様くらいにまともさを持った方だったらなぁ。
 パパイア様に呼ばれただけで、ここまで怖がらなくちゃいけないなんて。ははは……」
 亜麻色の髪をかきあげぎこちなく笑うアレックス。パパイア以外にも人材はいるのだ。
 例えばカバッハーン、もしくはウスピラでどうだろう? 彼らの方がよっぽど四天王に相応しい。
 つくづくガンジー王の見識が疑わしくなる、
 門前で物思いに浸っていたアレックスに、突然足元から声がかかった。
「あれ〜? アーちゃんてば来てたんだぁ」
「いいっ?」
 オタオタと後ずさって尻餅をつく。
 と、飛びずさった場所がパカッと持ちあがり、煤と埃で真っ黒になった人影が現れたのだ。
「早かったのねぇ。お待たせ〜」
《けけけけっ。呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ〜んってかぁ? 姐さんかっこいい〜!》
「あは、あははは……」
 ペタン、尻餅をついたまま後じさるアレックス。彼にしてみれば堪ったものじゃない。
 突然地底から名前を呼ばれたかと思うと、足元にポッカリ穴があいて、黒い化け物が登場したのだ。
 ただでさえビクビクしていた所にこんな仕打ちを受ければ、アレックスでなくとも腰を抜かしてしまうだろう。
「んん〜? どうしたのぉ、アーちゃん元気ないんじゃない?」
 怯えるアレックスに迫る黒い影! 禁断の書・ノミコンを携えた四天王、パパイア・サーバーの登場だ。
 パパイア先生はジリジリと後退するアレックスの足を捕まえた。
「ちょっとぉ逃げちゃ駄目でしょ? せっかく楽しいことしてあげようって思って呼んだんだからぁ」
《けけけっ、楽しいことぉ? 姐さんが楽しいってことはアレっきゃないぜ!》
「アレ? ねぇねぇノミコン、何か勘違いしてなぁい?」
《勘違い勘違いけけけけ〜! 解剖、解剖、解剖に決定〜》
「かかか、解剖ですって! パパイア様、ほ、本気ですかっ?」
 アレックスが悲鳴をあげる。片足掴まれ尻餅をつき、顔は半泣き、引きつり放題。せっかくの美形が台無しである。
「うふふっ。解剖もすっごく楽しいんだけど……だけど残念。今日は別の用事なの」
 薄い微笑み。パパイアの怖いところは無邪気に恐ろしいことを口走るところだ、とアレックスは思った。
 一安心したせいか、一度抜けた腰も直ったらしい。
「ほぉらアーちゃん、いつまでも座ってちゃ駄目。早く研究室に行きましょ?」
「研究室、ですか。あ、あのぅ、それで僕に何をしろと……?」
 立ち上がって法衣についた埃を払うアレックス。懸命に平静を装ってはいるけど心臓はまだまだバクバクだ。
「うふふ。アーちゃんてば緊張しちゃって。
 固くならなくたって大丈夫よ、怖いことなんてちょっとしかないもの。ねぇノミコン?」
《怖くないだってぇ? そのかわり痛みは抜群だぜ、けけけっ! 怖くて痛いなんて、やっぱ姐さんイッカス〜》
「えっ? い、痛いことするんですか? 研究に光魔法を使うとかじゃなくて?」
 逃げ出したくなるアレックス。一方であくまでにこやかなパパイア先生。片手でしっかりアレックスの法衣を掴んだまま、
「だぁいじょうぶ。今度の研究は痛くも怖くもないわよお、久しぶりに」
 ニッコリ。
 小柄なパパイアがアレックスの袖を捕まえる姿を何も知らない第三者がみれば、
 『背の高いお兄ちゃんに遊んでとねだる女の子』と見えなくもない。
「良かった、久しぶりに痛くないんですか……って、ひ、久しぶりぃ?」
 突込みどころ満載なパパイア発言。アレックスにはパパイアの微笑すらも怖かった。
 『久しぶり』ということは普段の研究は『痛くて怖い』研究ばっかりなのだろうか?
 ……おそらく彼の想像は正鵠を射ているんだろう。 
「ぼ、僕が来たのは僕の光魔法が必要だと思ったからです! い、痛いのとか駄目ですよっ?
 いくらパパイア様の命令だって聞けないことはあるんですからね!」
「ああん、嫌がらなくたっていいじゃない。あたしが大丈夫っていったら多分大丈夫なんだから、ね?」
 ニコニコニコ。
 こうも無邪気な笑顔を見せられれば、『多分大丈夫って何ですか、多分って!』と突っ込む気力すら失せてくる。
 アレックスは逃げ出したい気持ちを振り払い、己の運命をうけいれて大人しくなった。
 願いは一つ、『無事におうちへ帰れますように』。
「……分かりました。と、ともかく研究に協力はしますから、酷いことはしないでください。 ……お願いします」
「うふふっ。アーちゃんってば素直でいいわあ。本当に大したことはしないからね、楽しいことしかしないから。
 それじゃあたしに着いてきてね〜」
《けけけっ、姐さんの研究はいつだって楽しさガンガンさぁ!》
 アレックスが諦めたことを察し、パパイアは掴んだ手を離した。ノミコン片手に塔の中へ入ってゆく。
 仕方なくついてゆくアレックス。と、先導するパパイアが振り向いた。
「今日は簡単な実験しかしないの。だからアーちゃん、解剖はまた今度ね?」
 ニッコリ。薄暗い塔の螺旋階段に無邪気な微笑みが零れる。引きつったアレックスとは好対照だ。
「や、やだなぁパパイア様は冗談ばっかり」
「あらぁ、冗談なんていってないけどぉ?」
 コクリ。不思議そうに首を傾げるパパイア。
《ナイスジョークだぜ! 姐さんのユーモアセンスと胸は天下一品さあ、けけけっ》 
「は、はは、あははは……」
 ノミコンの狂った笑い声と、アレックスの乾いた笑い声が塔の中に木霊した。
 一事が万事この調子で、三人は塔最上階・パパイア研究室へ向かっていった。





「さ〜楽にしてちょうだい。あっ、お茶とか用意しなくちゃ駄目よねぇ」
 唖然と立ち尽くすアレックスを尻目に、パパイアはバーナーに点火した。
 バーナー上の石綿に、水をいれた三角フラスコをヒョイと載っける。
 すぐにコポコポお湯が沸き、あたりに香ばしい匂いが立ち込めた。
 魔道書・ノミコンを机に置くと、棚をゴソゴソし始める。
「ええっとお、お茶菓子はあったっけ?
 ここにあった気がするんだけどお……。アーちゃん、そこら辺に座っててくれるぅ?」
「は、はい」
 言われた通りに腰を下ろす。
 とはいっても清潔な椅子があるわけじゃなくて、なんとなく椅子っぽい箱が置いてあるだけ。
 上に何にも載っていないので、この箱が椅子代わりに使われているんだろう。
「それにしても……ゴクリ」
 視界の端にパパイアを捉えつつ、アレックスは研究所内を眺めて唾を飲み込んだ。
 彼が事前に想像していたとはまるで違う趣である。
 アレックスが想像していたパパイア研究所は、
 血と肉と骨と……そういったグロテスクなオブジェで彩られた不気味な部屋。
 入るもの全てを恐怖のどん底に陥れる悪魔の部屋を想像していた。
 けれど実際に見てみれば、ただの埃っぽい研究室ではないか。
 ガラス器具が整然とならび、棚という棚に本・試薬・粉末ポッドといった材料がならんでいる。
 このあたりまえな研究室が悪名高いパパイア研究所とは、俄かに信じがたい現実だ。
「け、結構普通じゃないか。ちょっと汚いだけで、案外まともじゃないか。もっと狂ってるイメージだったけど……」
 本音を漏らしたとたん、アレックスの耳に息が吹きかけられた。
「うあっ」
 慌てて振り向けば悪戯っぽく笑うパパイアがいた。手にはコップが二つとお皿が二つ。
 なにやら見たこともないお菓子が乗っかっている。
「んふふ〜なにか聞こえたわよぉ? 何ぁにが『狂って』なのかしら?」
「えっ! あ、いえっ、別に何にもっ……落ち着く研究室だなって、ここに『来るなんて』初めてですから」
 アレックスはブンブン首を振った。
「そぉ? 『狂って』って聞こえたような気がするんだけどぉ……ま、どっちでもいいわ」
 微妙に語尾を濁しつつ、パパイアはアレックスに手にしたコップと皿を差し出した。
「どうぞ♪ あたしが昨日作ったお菓子、おいしいわよぉ〜」
「え? あ、ありがとうございます」
 慌てて受け取る茶色いお菓子と茶色い飲み物。アレックスはまじまじと両者を観察した。
 『お菓子』の方は、一見するとチョコレートっぽい。
 ただ色があまりにもドギツイ茶色で、こんな色をしたチョコレートは見たことがなかった。
 視線を移動させ、湯気を立てているコップを見つめる。紅茶? コーヒー?
 いや、こんな濃厚な茶色をした紅茶なんて存在しない。キャラメルジュースだろうか?
 しかし、パパイアが単なるキャラメルジュースを出すとも思えない。
「……」
 クンクン、パパイアに気付かれないように匂いを嗅いで見る。匂い自体は悪くない。
 悪くないどころかとても清清しい香りだ。野に咲く一輪のタンポポというか、そんな感じ。
「? どうしたのぉ、アーちゃん急に無口になっちゃってぇ」
「いっ、いえ、とても美味しそうな香りだなって、ははは」
 ジー。パパイアがアレックスを見つめている。
 アレックスがお菓子を食べるのを、いまかいまかと待っているかのようだ。
 『もしかしたら、自分が作ったお菓子が美味しいかどうか気になるのかな?』と、アレックスは思った。
 女性心理としては、手製料理の感想を聞きたいと思うことは当然だろう。
「ねぇん、早くたべてぇ? ほらほらぁ」
「……それでは頂きます」
 ツツ。目を瞑って舌の先端を菓子に当てる。
 おそらくはただのお菓子だと思うが、もしかしたら痺れ薬が入っているとも限らない。
「……モグ」
 柑橘系の甘さが口いっぱいに広がるだけで、痺れ・麻痺等の違和感はない。
 ちょっぴり躊躇した後、アレックスはお菓子を頬張った。ゆっくり、ゆっくり噛み締める。
「お、美味しい……」
 見た目と違い、あっさりさっぱり適度な甘味。くどくなく、それでいて舌に残る感触は驚嘆に値する。
 はっきりいってそん所そこらで買うよりも、百倍は美味しいではないか。
 パパイアに『料理上手』という側面があったなんて知らなかった。全く持って驚きだ。
「こ、これ美味しいですよ! 本当に凄くさっぱりして……ええっ?」
 パパイアに感想を言おうとしたアレックス。
 『ビックリしました!』と正直に褒めようとしたのだが……本当にビックリするのはこれからだった。
「え、ええっ? あ、あれぇ?」
 アレックスにニコニコ微笑んでいる笑顔。さっきまでパパイアが笑っていたが、どうしてもパパイアに見えないのだ。
 ゴシゴシ、ゴシゴシッ
 腕でもって目を擦るアレックス。シパシパ瞬くアレックス。何度確かめなおしても結果は変わらない。
 パパイアがいない。パパイアの代わりに立っているのは……あれれ?
「うふふ、もしかしてあたしが別人に見えちゃったりしてる?」
「なっ?」
「隠さなくてもいいわよぉ。そうねぇ、アーちゃんだったら……マジックに見えてるんじゃなぁい?」
「ど、どうなってるんだ……?」
 アレックスは改めて目を擦った。パパイアが言ったとおり、アレックスにはパパイアがマジックに見えているのだ。
 見えるだけじゃなく、声までマジック・ザ・ガンジーそのままである。
 みつあみに束ねられた緑髪、どこか物憂げな瞳、ゼス魔法学校指定の制服。
 どこをどうみてもマジックそのものではないか!
「で、だぁれ? アーちゃん、あたしが誰に見える?」
「わわっ!」
 愛しのマジックに迫られ、思わずアレックスが仰け反る。
 手を腰に当て、前傾姿勢を保って近づいてきたので、豊満な胸が目の前に現れたせいだ。
 ドサッ
「つっ!」
 椅子から転げ落ち、脛をしたたか打ち付けてしまった。
「やん、逃げなくたっていいじゃない。ほらよおく見て? あたしよ、マジックよお」
「ま、マジックなのか? ほ、本当にマジックなんですか? う、嘘だっ、本当はパパイア様なんでしょう?」
「ふふふっ。やっぱりマジックに見えてるんだぁ。やったぁ!」
 何がなんだかわからない。
 パパイア研究所に入って、美味しいお菓子を食べて、顔をあげたらパパイアがマジックに変わっていた。
 別に妖しいことなんてなんにもなかった筈だ。だいたいアレックスがやったことといえばお菓子を一口食べただけ。
 あれ? お菓子を食べた?
「まさか……あ、あれか?」
 お菓子を食べただけ、お菓子を食べただけ……アレックスはお菓子を食べた。
 パパイア手作りという、実にデンジャラスなお菓子を食べてしまった。もしかして一服盛られたのか?
 寒気が背中を駆け抜ける。チラッ、食べさしに目を向けたとたん、能天気な声が響いた。
「ピンポンピンポン、大正解〜♪ さっきのお菓子にぃ、ちょおっとだけお薬をいれてあげたの。
 昨日作ったばっかりの新薬『NT1』よん」
「く、薬ですって?」
「やだぁ、怖い顔しちゃ駄目よぉ。ほらちゃんと言ったでしょ、『新しいお薬飲んでみて』って。
 『今日来てもらったのは新薬のテストのため』って、手紙にも書いておいたじゃない」 
「い、いってません! 手紙にだって書いてなかったですよそんなこと!」
 マジックが口元に手を当てて笑う。声は確かにマジックだけれど、笑う仕草はパパイアのそれ。
 腰をくねらせる動作もパパイアだ。どうやら目の前にいる人物はパパイアで、マジックに変身したらしい。
「あれぇそんな筈ないんだけどぉ〜。でも別にどっちでもいいわよねぇ」
「よ、よくないですっ。僕だって心の準備とか……酷いです!」
「あらぁ、心の準備なんかしちゃっていいの? かえってお薬が怖くなったりしない?」
「うっ……。そ、そりゃそうかもしれませんけど」
 マジックの姿で喋られると、マジックにゾッコンなアレックスとしては上手く口が回らない。
 抗議・文句が出てこない。
「それより美味しかったでしょ? だったらいいじゃない、美味しくお薬のめたんだから、ねぇ?」
「う……ま、まぁ美味しかったことは認めます。だ、だけど」
 釈然としない。美味しいことは美味しかったが、味がどうこうという問題なのか?
「だけど、だけど……」
 口をモグモグ動かすアレックスに背中を向け、パパイアは傍にあった茶封筒を手に取った。
 ヒョイと持ち上げ、アレックスに差し出す。
「助かったわぁ。お薬が男性にも効くかどうか、やっぱり試さなくちゃって思ってたのよ。
 はい、これはお礼。もう帰っちゃって構わないわよ」
「お礼、ですか? な、中身はなんです?」
 仕方ない、という風にアレックスが手を伸ばす。中には紙切れがはいっているようだ。
「ひ・み・つ♪ だけどぉ、きっとアーちゃんの知りたいことが書いてあるわ」
「僕の知りたいこと?」
「うふん、これ以上は教えてあげなぁい」
 妙な品をつくるパパイア。マジックの格好で色っぽい仕草をされ、アレックスはちょっとエッチな気分になった。
 とたんにパパイアがグイッ、顔を間近に寄せてくる。鼻と鼻がくっつく位に近づいてアレックスに囁いた。
「だけどすぐに読んじゃ駄目よ? あたしの塔を出るまで読んだりしちゃ……」
「え? よ、読んだらどうにかなるんですか?」
 クスクス。意味ありげに含み笑いを残し、パパイアはアレックスの背中を押した。
「すぐ読んだりして、それじゃあ楽しくないじゃない。ゲームなんだからぁ、もっともぉっと楽しまなくっちゃ」
「ゲームですって? ちょっ、何がゲームなんです?」
 戸惑うアレックスにお構いなし。
 パパイアに押し出されるようにして、アレックス・ヴァルスは研究室を後にした。背後からは、
「ばいば〜い♪ またあとでね〜」
 楽しそうなマジックの声が聞こえていた。
 『またあとでだって? もう二度と来るもんか!』、心の中で叫びつつ、アレックスは螺旋階段を駆け下りていった。





 空は晴れ。一片の雲もなく、のほほんとした空気が巷に溢れている。山は青、新緑がピカピカ艶めいている。
 川は緑、茂る水草が小魚と戯れ揺れている。絵に描いたよな穏やかな午後である。
 パパイア塔。門から出てきたアレックスにも穏やかさが見て取れた。
 門を潜る時にはガチガチだった肩からも力が抜け、自然体で寛いでいる。
「体は痛くないし、頭も……うん、無事みたいだな」
 変な薬を飲まされはしたものの後遺症はないようだ。チャンと思い通りに体が動くし、暗算もできる。
 三かける四は十二、六十二かける五は三百十。ほら大丈夫だ。
「マジックが見えた時は焦ったけど、結局パパイア様がマジックに見えただけだったし」
 一人頷く。
「怖がることなんてなかったみたいだ。ははは、心配して損しちゃったよ」
 アレックスが飲まされた薬が何だったのかは分からないが、大した薬じゃないらしい。
 体の何処にも違和感がないし、気分もすこぶる好調だ。
「心配といえばコレか。いったい何を書いてあるんだろう」
 去り際に受け取った封筒。パパイアが『塔を出るまで開けるな』といったので開けていない。
「確か僕が知りたいことっていってたっけ。僕が知りたいこと……知りたいことねぇ?」
 思い当たる事例がない。
「ガンジー王の行方が一番知りたいけど、パパイア様が知るわけないからなぁ。
 あとはマジックとの結婚を王様が認めてくれるかどうかとか、
 マジックが僕をどう思っているかとか……ああ、そんなことを考えたらキリがないよ」
 マジックと自分が結ばれるかどうか、ガンジーという壁がネックだ。
 国王の行方が気になるというよりは、『好きな人の父親がどうなったのか』気になるアレックスだった。
「とにかく開けてみようか? まさか爆弾じゃないだろうし、開けても害はないだろうから……あっ、あそこ……」
 封筒を前にマジックのことを考えている矢先。思案をすればなんとやら、こっちへ歩いてくる人影が一つ。
 見間違えるはずがない。マジック・ザ・ガンジーだ。
「お〜いマジック! パパイア様に用事でもあるのかい?」
 アレックスは陽気に手を振った。仕事以外でマジックと会うなんて滅多にない。
 マジックは平日ずっと学校にいっているし、アレックスはアレックスで休日も仕事が詰まっていた。
 二人のプライベートは交差しないのだ。
「お〜いマジック〜……? 変だな、僕が分からないのかな?」
 機嫌よく振った手がハタと止まる。こっちへ向かってくるマジックからリアクションが返ってこないではないか。
 マジックにしたってプライベートでアレックスと会えるのだ、ちょっとは喜んでくれてもいいのに。
 ノーリアクションは寂しすぎる

「ひょっとして人違いか? そうだ今日は学校は休みじゃない。
 ってことはマジックも勉強してるはずで、こんなとこに居るわけない……
 けど、どうみてもマジックだろう――ってええええっ?」
 眉をひそめたアレックスの顔が驚愕に歪む。
 近づいてくるマジックの後ろから現れたのは……またしてもマジックだった。
「え、ええっ? あれっ? な、何がどうなっているんだ……?」
 マジックが二人いる? どちらのマジックもアレックスが良く知るマジックだ。
 ハイソでどこか子供っぽくて、それでいてキュートな美少女だ。
 アレックスは自分が置かれた状況が飲み込めていなかった。どうしてこんなにマジックがいるのか?
 そもそも彼が見ているのは本当にマジックなのか?
 やってきた二人のマジックは、アレックスに見向きもせず通り過ぎていく。
 アレックスは二人を黙って見送るしかできなかった。
「マジックが沢山……ぼ、僕は幻を見てるんだろうか? いや、幻とは思えない。あれは絶対にマジックだよ……」
 ムギュ
 自分の手を摘んでみる。痛い。凄く痛い。
「痛ぅっ! ゆ、夢でもないってことは……そうか、アノ薬のせいなのかっ?」
 パパイアから渡された封筒を大急ぎで破る。切り口を下にしてバサバサッと振る。
 ハラリ、紙切れが一枚現れて、アレックスは書かれた文面に飛びついた。
 中にはパパイア特有の甘ったるい筆跡で以下の内容が記されていた。



 要約すると、アレックスが飲んだ薬は『NT1薬』。山田千鶴子の依頼により、パパイアが製作した薬らしい。
 その効能は『飲んだ人間にとって、自分以外の人間が皆好きな人に見える』というもの。
 アレックスの場合は、マジックが好き故に全ての他人がマジックに見えてしまうというわけだ。
 読み進むにつれて体から力が抜けてゆく。
「め、目茶苦茶だ……。パパイア様、何て薬をつくってるんだ……」
 ガクッ、アレックスは膝から崩れ落ちそうになった。
 しかし崩れ落ちるわけにはいかない、どうにかしてこの事態を打開しなければ!
「そ、そうだよまだ文章は続いてるんだ。解毒法だってきっと書いてあるはず……」
 さらに目を走らせる。アレックスは文面を声に出して読んでいった。
「あ、あった! 解毒方法って書いてあるぞ、
 何々、『本物の好きな人とぉ、どうせマジックなんでしょおけど』……」
 アレックスは一呼吸おいた。なんだか見透かされているようで苦笑いするしかない。
 しかし本当に苦笑いするのはこれからだった。
「『……キスしちゃって♪ どうせならディープでね。それでお薬の効果はきれちゃうから。
 それとぉ、お薬を飲んでから二十四時間以内じゃなきゃやあよ?
 それ以上時間がたっちゃったら、元に戻る保障はしないからね。っていうか、多分一生戻んないかも。
 それじゃあがんばってねぇ〜♪ パパイア』……こ、これだけ? え、解毒薬とかないの?」
 音読がプルプル震えてくる。アレックスはもう一度読み返してみた。
 間違いない。はっきり『キスしろ』、『二十四時間以内に』、『元に戻る保障はない』と書いてあって、それでお終いだ。
 アレックスは天を仰いだ。
「なんてことだよ……それじゃ、僕にマ、マジックとキスしろってこと……?」
 亜麻色の髪を掻きむしるアレックス。やっとパパイアが去り際に放った言葉が飲み込めたからだ。
 パパイアは言った。『ゲームだから楽しくやりましょ?』、と。ゲームとはつまり、
「僕に本物のマジックを見つけさせて、キ、キスさせようってことか……!」
 いまのアレックスは出会う人全てがマジックに見える。
 そんな状態では本物のマジックを見つけることだって難しいのに、あまつさえキス?
 口付けってことか? それもディープ?
 清く美しい交際を続けた二人ではあったが、まだそういう関係には至っていないのに、
 どうしてこうなってしまうんだろう?
 パパイア塔はしっかり門を閉ざしている。
「そうか。僕が怒って抗議に入れないようにしたんだな。
 くそぉ、パパイア様って何考えてるんだ……僕を困らせて楽しんでるのか?」
 恨めしげに呟く。アレックスにとって、マジックとキスするという条件は決して楽ではない。
 それどころか果てしなく困難な行為に思える。
 性に疎い二人だけに、『キス』という響きはとてもとてーも遠いのだ。
 といって決して不可能ではない。
 なんだかんだいって二年近くも付き合っているのだ、これまでキスしていないのが不思議というもの。
 解毒条件が『絶対に不可能』ならばアレックスも本気で怒ったかもしれないが、
 『かろうじて可能』なだけに怒りモードに入りきれない。
「……だから塔をでるまで紙を読むなってことか。く、くっそぉ〜」
 クシャ。弱弱しい握力でもって紙切れを握りつぶす。
 パパイアが作った薬なら、パパイアが書いた通りの効力を持っているのだろう。
 即ちマジックとキスする以外に幻覚から逃れる術はないということ。
「……」
 無言で立ち上がると、覚束ない足取りで町に向かって歩き出す。
「マジックのクラスは……3のAだったっけ……。ああ、マジックに何て説明しよう……?」
 アレックスの向かい側から二人組が歩いてくる。アレックスにはどっちもマジック本人に見えた。
 けれど今度は驚かない。今の彼は誰を見てもマジックにしかみえないのだ。
「それよりどうやってマジックを見つけるんだ? あぁ、鬱だ……」
 ぶつぶつと陰気に呟きつつ、ゼス魔法学校へ向かうアレックスだった。





 アレックス背後五十メートル。木陰からアレックスを見守る影があった。
「ねぇねぇノミコン、アーちゃん上手く出来ると思う?」
《姐さんが思ってるのと反対に五十票〜、けけけっ》
「そうねぇ、あたしはちゃんとキスすると思ってるんだけどぉ……やっぱり無理かなぁ?」
 ノミコンもパパイアも楽しそうだ。
「じゃあ賭けっこしましょ? あたしはキスするに五千点ね〜」
《飛んでくロケットでキスできちまうぜ! キスできるにロックンロール号だ!》
「ああん、二人ともキスできるじゃ賭けにならないじゃない。じゃああたしはキスできないにしようっと。
 うふふ、アーちゃんってばする時どんな顔するかなぁ?」

――――――
 もともと今回作った薬は、戦争用の劇薬だ。
 千鶴子の依頼で作ったのだが、これを飲まされた兵士は敵味方の区別がつかなくなり、
 誰を見ても人形に見えるようになってしまうという薬だった。
 敵を見ても味方を見ても同じ人形に見えるのだから、殺し合いなんて出来なくなるに決まっている。
 薬が完成した暁にはゼス最強伝説が始まること請け合いだ。
 この薬を敵陣にばら撒いただけで、敵軍は戦闘力ゼロになる。
 最初はまじめに開発していたのだが、パパイアは途中で飽きてしまった。
 どうせ戦争がはじまる気配はないのだから、薬を作っても実用するチャンスがない。
 使うチャンスがない薬に全力投球するほど誠実な人格ではない。
 だったら誰か味方に使おう、それも『他人が人形に見えるんじゃなくて、好きな人に見える』ように改良しよう!
 というわけで完成したのが『NT1薬』だった。
 ちなみに解毒剤は存在しない。効果も永続的なものではなく、ものの二時間程できれてしまう。
 パパイアがアレックスに送った紙切れは、ほとんどでたらめで埋められている。
 解毒にキスなんて必要ないし、昼寝でもしてれば直るのだ。
――――――


「あの二人ってばいつまでも進まないからぁ、あたしうずうずしちゃうのよねぇ」
《けけけっ、姐さんは愛と平和のキューピッドってかぁ? イッカスー!》
「うふん、そんなんじゃないけどぉ。でもアーちゃん見てたら応援したくなるじゃない……?」
 狂った少女の瞳が一瞬の間、噂好きでおせっかいな少女へと変わったような。
 巷ではおばさんのように思われて入るが、パパイアだってアレックスとたった二つしか違わないのだ。
 魔道書ノミコンと出会わなければ、ただの魔法好き姉さんとしてアレックスと接していたのかもしれない。
 けれどそれは一瞬の変化、すぐにもとの妖艶な笑みに帰る。
「あ、アーちゃんまた歩き出したぁ。うふふ、お薬がきれる前にマジックと会えるかな?」
《ヒューヒュー、暑い熱い暑いぜチクショー》
 こっそりこっそり、アレックスをつけて行く。
 アレックスはちゃんとマジックに出会えるのだろうか、そして無事キスが出来るのだろうか?
 たった一人、事態の本質を知りながら見守るパパイアは楽しそうだった。
 楽しそうに……どこか壊れた笑みを浮かべていた。











 ・・・あとがき・・・
 ポッキーさん、一万HITおめでとう〜!
 おめでとうの意味をこめて、パパイアSSを作ってみました。
 タイトル通りの内容かどうかは知りませんが、結構頑張ったぞ〜。
 いやぁ、一万HIT、凄い。頑張った! これからも楽しくHPライフを続けていこうぜ! 
 以上、冬彦でしたっ。













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